「はじめの一歩を踏み出そう―成功する人たちの起業術」を読んだ

「はじめの一歩を踏み出そう―成功する人たちの起業術」を読んだ

2025/11/11
「はじめの一歩を踏み出そう―成功する人たちの起業術」を読んだ。アメリカでは起業した会社の8割は5年後に姿を消しており、それは共通したとある誤りから来ている。本書では著者のこれまでのコンサルティング経験をベースに、事業がどういう形を目指すべきかを提案する。 いきなり結論だが、事業にとって良い状態とは経営者が「起業家」「マネージャー」「職人」の3つをバランスよく発揮できていることである。起業家の要素がないと夢や志を描けない。マネージャーがないと他人に依存したビジネスになる。職人がないと実践が前に進まない。どのピースが欠けても歯車は狂ってしまう。 自分はエンジニアの歴が長いので、この中だと「職人」の気質が一番近いと思う。職人は自分のスキルを発揮して良いものを作れることに喜びを感じる。しかしその視点は常に下から上を見上げる形で、「作ってから考えよう」となって方向性を誤りがちになる。

ホームランを狙うと空振りしやすくなる

ホームランを狙うと空振りしやすくなる

2025/11/10
「常識の1ミリ先を考える」を読んだ。ベストセラーをいくつも手がけた編集者の方の本で、ヒットする企画はどういうものかを15の章に分けて語る。キーワードは「盗んでズラす」。0から生み出すのではなく売れてるものの切り口を変えるのは「コピーキャット」のアイデアの作り方を想起させる。 ヒット作を振り返ってみると、ホームラン狙いのものは失敗しやすいことが分かったという。10万部を狙うぞ、と意気込んだ企画は失敗しやすい。これはホームラインを打つことに意識が行き過ぎて目の前のボール(読者)から目を離してしまうことが原因。著者は読者をひとつ広げてクラスタと呼ぶが、この対象となるクラスタを理解し、その人たちの世界観を分かった上でスイングすると打率があがりやすい。 Webサービスでも同じで、世の中を変えるサービスを作る!と始めてしまうと行き詰まりやすい。規模が大き過ぎてイメージしづらいし、自分の考えたアイデアが世界的に流行るかどうかは企画段階ではわからない。InstagramやAirbnbなどの世界的ヒットサービスも最初は小さく始まっている。その界隈の人に火がつき、少しずつ形を変えながら世界に広がっていった。世界を変えるのは結果であって目的ではない。

「年収300万円で心の大富豪」を読んだ

「年収300万円で心の大富豪」を読んだ

2025/11/04
「年収300万円で心の大富豪」を読んだ。著者は最近ファイナンシャルプランナー1級を取ったサバンナ八木さん。若手芸人の頃に年収300万でも幸せで、そのヒントとなる考えを紹介していく本。昨日図書館で借りた本はこれです。八木さんは「よしもと営業-1グランプリ」というYouTubeで公開されている番組が面白くて最近ハマっており、その流れで読んだ。人と比べず基準を低く。ジャージ姿でエレベーター乗りづらくなるからタワマンは不要です、とかそういう八木さんのマインドが書かれている。 オードリーの若林さんも春日さんのことを「貧乏な頃から幸せだった」と以前語っていた。若林さんは売れて良いところに住んだり美味しいものを食べたりしても満たされないものがあって、一方春日さんは家賃3万9千円の風呂無しアパートに住んでいるときからずっと幸せそうに毎日過ごしてる。この話はなんだか記憶に残っていてたまに思い返す。 本の中で「勉強はお金のかからない趣味」というフレーズがあった。これはほんとにその通りだと思う。八木さんはFPの本を買って1年間楽しめたと。それに飽きた頃には資格が取れていて、こんなにお得なものはないと書かれていた。プログラミングも無限に遊べる趣味で、最初にパソコンを変えれば後は手を変え品を変えいろんな勉強ができる。うまくいくとお金を稼げることもあるのですごい。絵でも文章でも消費するより自分でそれを作る方が長い時間遊べますね。

「未来から逆算する生き方」を読んだ

「未来から逆算する生き方」を読んだ

2025/11/01
「未来から逆算する生き方」を読んだ。 様々な実験により、「未来の自分」は現在の自分からすると他人のように感じていることが分かっている。例えばダイエット中でもおやつを食べてしまう。これはお腹が出てるのが自分ではなく「未来の自分」だから。 また、未来に想いを馳せるとき、今の自分の延長線として考えることしかできない。情動的なときに考えると未来も情動的だと思う。情動的でない時に未来を考えるとこの先も同じ状態がずっと続くと思う。実際は感情が起伏するので予測とは異なる。

「きみに冷笑は似合わない。」を読んだ。

「きみに冷笑は似合わない。」を読んだ。

2025/10/31
「きみに冷笑は似合わない。」を読んだ。副題は「SNSの荒波を乗り越え、AI時代を生きるコツ」となっており、近年のSNSブームやAIによる変化にどう向き合うかが述べられた本。SNSは「何者かになりたい」人々であふれ、「何者かになれた」と自認する人々が自己主張をし、それに対して羨望や嫉妬の声が上がり、簡単に「何者かになる」ための広告が氾濫している。1日あたりのSNS平均時間は143分。食事や風呂など生活の基盤となる営みと同じくらい時間をかけている。それで得られるものは何なのか?「自分も何者かにならなくては」という思いを増長してるだけだとしたら、それは時間の使い方を間違えている気がする。 そもそも「何者かになる」というのはSNSで認められ、注目を集めることではない。それは行動し、実績を積み重ねて見出すもので、本来的には自分がその価値をしっていればそれでよい。世界への貢献やコミュニティへの奉仕の実感が一部の人にしか得られない世の中が、本当に人々を幸福にするのか、私には想像ができない。こちらはAIの進化で「働かなくてよくなった世界」が良いものかを考えた一節。 仕事は対価を得る手段であり、誰かの役に立つ喜びを得られる場所でもある。AIによる自動化とともにベーシックインカム論なども議論されてるが、それが人々が幸せになる未来と結びついてるかは分からない。

少し上の目標に挑む

少し上の目標に挑む

2025/10/28
入院や手術の話を聞くと身が縮こまる。痛みが苦手、というよりは痛みへの怖れが年々増している気がする。歳を重ねると必ず体調は落ちていくもので、その時が来るのが怖いような気がするが、いろいろ状況も変わるし今から心配するのも違うな。ここでいう状況とは医学の発達とかではなく、周りの友達も同じようにどんどん体が悪くなっていくだろうなということをイメージしている。みんなで渡れば怖くないではないけど、不安や悩みを共有できるのは気持ち的に大きい。 健康の話に比べると、普段悩んでること(「仕事とプライベートのバランス」とか「Webサービスの仕様」とか)は小さな悩みのように思える。健康な体があってどこへでも行ける、これだけで本来はもう100点だ。しかしそれを当たり前と感じているのでさらなる望みを持つ。いい仕事をしたいとか、充実したプライベートを送りたいとか。人間は今ある地点よりも少し上の目標に挑み続ける生き物なのかもしれない。上昇志向を持つのは良いが義務感が出てくると辛そうだ。 京セラ創業者の稲森和夫さんの「生き方」という本に「磨き砂」という考え方が出てくる。自分なりの解釈になるが、人生には苦楽があり、幸せなときと不幸なときと上下する。しかしその都度よく考えて一生懸命取り組むことが大事で、その一連のプロセスが磨き砂となり、自分の魂を洗練させていく、みたいな意味だと理解している。

余白がありすぎてもよくない

余白がありすぎてもよくない

2025/10/18
朝起きて一穂ミチ先生の小説「光のとこにいてね」を読む。一昨日から読み始めたが続きが気になって仕方なく、スキマ時間を見つけては読み進めていた。昼前に読み終わって読後感良し。なんというか良い物語に触れたという気持ちで、充実した時間だった。 朝食を食べて身支度。今日は日中は外に出ようと思っていて、梅田のカフェに行くつもりだったが本を読んでたら遅くなってしまった。今からいくとお昼時と被って入れないかもしれない。色々考えた結果自転車で10分くらいの幹線沿いのカフェに来る。 慣れないカフェに来るとまずメニューにノンカフェインがあるかを探す。いざとなればカフェインを摂取する構えはあるが、体がフラフラになってしまうのでできればノンカフェインが好ましい。ルイボスラテというのがあったのでそれを注文。かなり美味しくてうれしい。

「自分をいかして生きる」を読んだ

「自分をいかして生きる」を読んだ

2025/10/15
「自分をいかして生きる」を読んだ。著者は働き方研究家の西村さん。以前読んだ「自分の仕事をつくる」では各界の現場を訪ねて「いい仕事」に迫っていったが、本書は対象を仕事から人生に対象を拡げる。 自分を活かす、というとすぐに連想するフレーズは「好きなことを仕事にしよう」。しかしこの表現は実際と少しズレていると著者はいう。その道のプロの現場に足を運んで見る光景は「この仕事が好き」ではすまない態度だったりする。悩み苦み、ただ好きなだけでは潜れない深さまで達している。ではどういう表現だとよいか?それは例えば「あなたが大切にしたいことは?」あるいは「自分がお客さんでいられないことは?」というフレーズである。 自分の場合に置き換えて考えてみると、例えば漫画や音楽は好きだが自分でやろうとは思わない。しかし居酒屋のモバイルオーダーのアプリの出来が悪いと自分で作りたくなる。そんな感じだろうか。でも、これは今エンジニアとしてのキャリアがあるから思うことかもしれない。もっと遡ると大学時代、何かのイベントの進行を見て自分ならもっと上手くやれると感じていた。勝手に改善点を考えたりしていた。こっちの方が原点に近いかもしれない。

「口の立つやつが勝つってことでいいのか」を読んだ

「口の立つやつが勝つってことでいいのか」を読んだ

2025/10/14
「口の立つやつが勝つってことでいいのか」を読んだ。Xで話題らしくて本屋に行ってもなかなか出会えず、Amazonでポチってゲットした。エッセイ集だがこれといったテーマがあるわけではない。著者の方が見たこと、気づいたことが言葉で表現されていてとても読み応えがあった。 本書のタイトルにある通り、「口がうまいというのはそんなに良いことなのか?」という点から本書は始まる。ひろゆきが人気を博したように、相手をうまく言いくるめられる人がすごいとされる世界になってきている。しかしテキパキと意見を言うのはそんなに良いことなのか?著者はむしろそれはいかがわしく、口ごもったり迷ってる人の方が温かみがあるという。 自分もお笑いが好きで育ったので、かつてはたくさん喋ったりエピソードトークを淀みなく喋ることがクールだと思っていた。でも最近はちょっと違ってきて、たくさん喋るとそれだけハズレの言葉を選んでしまっている、という感覚がある。例えば「個人開発はお小遣い稼ぎに良い」と発言する。これは正しい側面もあるけど自分の見えてる世界とはかなりズレており、こう表現してしまうことで自分を裏切った気分になる。なので言葉を選ぶようになり喋る時間が短くなってきている。それに伴いテキパキと論理的に喋る人は苦手になり、失敗したり勝ち目のない戦いをするような不合理な人と一緒にいたくなってきている。

「不完全主義」を読んだ

「不完全主義」を読んだ

2025/10/13
「不完全主義」を読んだ。放っておくと効率的に、生産的に、完璧にこなそうとしてしまう私たち。しかしそれには際限がなくてやがて疲れてしまう。完璧じゃない自分を受け入れ、その上で大事にしたいことを選んでいきましょう、という本。 著者の前作「限りある時間の使い方」は日本でもヒットして自分も読んだが、これはそんなに刺さらなかった。一言でいうと「タスクをもっと効率的にこなす、という発想をやめましょう」という本で、その考えは少し前から自分のなかにあったからだと思う。今回の不完全主義のテーマは「完璧主義を手放しましょう」。これは自分にとても刺さるメッセージだった。 完璧主義とはどういうことか?例えば街を歩いていてホームレスに小銭を募金しようとする。しかしそこで「いや、支援団体に寄付した方がもっと効果的だと聞いたことがあるな・・」と出しかけた手を引っ込める。そして結局支援団体を探すこともなく終わってしまう。