上達してくると自分に足りない部分が見えてくる

2025/02/17

劇場版の「ミステリと言う勿れ」を観たが、菅田将暉演じる久能くんが「上達してくると目が肥えて自分のできないところが見えるようになる。そこで残念に思ってやめる人が多いが、目が肥えてきたんだから本当は成長のチャンス」と言っていた。

子供の頃は絵を描くのが好きで、キャラクターの絵を紙に書いたりしてよく遊んでいた。小学校の高学年になる頃から周りの子の方が絵が上手だと分かるようになりそこからトーンダウン。中学の美術の授業で嫌な経験をしたのもあり、絵からは遠く離れてしまった。以前読んだ本によるとこれは多くの子供が経験してることらしく、子供の頃はみんな絵を描くのが好きでクレヨンで適当に色を塗るだけで十分楽しい。それが知覚能力が発達してくると自分の描いた絵が現実の物と全然違うことを理解できるようになり、そこで興味を失ってしまうらしい。まさにこのパターンを踏んだ自分だが、大学生や社会人になってからも絵がうまい友人を見るたびに羨ましく思っており、そういう思いが溢れて「お絵かきコラボ」というアプリを作ったりもした。

エンジニアになった当初、プログラミングができるようになるのが嬉しくていろんなアプリを作った。思いついたものを作ってリリースする。自分しか使わないアプリであっても作る過程が楽しいので十分満足できた。そこから色々と優れたサービスを使っていると、コンセプトや見た目のデザイン、使い心地など自分のなかの基準があがり中途半端なものを作れなくなってきた。本当にそのコンセプトで良いのか、対象のユーザーは市場にいるのか。アイデアを洗練する観点としては良いが、考えて作るだけで面白いというものづくりの純粋なモチベーションは忘れずにしたい。


動き出しのトリガーを見つける

2025/02/16

AI駆動開発という言葉を耳にした。AIエージェントにタスクを依頼するとプログラミングで実装してくれ、成果物を人間にレビュー依頼してくる。今時点では実力としてはジュニアレベルなので至らぬ点も多い。何往復か指示を出してみたりするのだが、上手くいかずそれなら自分でもう書くよ!っとなって人間が稼働しはじめるという話。自分でゼロからやる気を出すのではなく、誰かがトリガーとなって自分が動き出す方がきっかけとして強い性質があるということだ。

やる気のコントロールというのは往々にして上手くいかず、仕組み化するのが良いと習慣の世界では言われている。例えば朝起きたら水を飲む、水を飲んだら運動着に着替える、運動着に着替えたら10分散歩に行くというように、連続した行動にパターンを作る。ソファでくつろぐ、仕事は仕事部屋だけでするなど場所に紐づけるのも有効。人間の気持ちはブレやすいので、外部ルールのようなものを勝手に作って自分はそれに従っている、くらいの感覚でいると何も考えずに動ける。

自分のトリガーが何か考えてみると、紙にタスクを書き出すことでエンジンがかかることが多い。今日やることを書き出し、特に大事なものに印をつける。一通り書き出すと着手していくが、この時大事なものではなく簡単なものから片付けていく。数分で終わるものを3-4つ完了させ、タスクリストに打ち消し線を引いて完了したことが分かるようにする。こうしてるとリズムが生まれ、難しい大掛かりなタスクに挑めるだけの勢いがつく。書き出したものが全部終わらなくても問題ない。それは翌日にやれば良いだけで、その日にちゃんと進捗したことが自分で分かることが重要。最初に書き出すことで脳内をクリアにし、作業に没頭できる状態にする意図もある。これは仕事や個人開発のトリガーだが、こんな風に生活の断片にトリガーを仕込んでおくと体が勝手に動いて良い気がしている。


友人と将棋した

2025/02/14

絶賛将棋を勉強中だが、前職の同僚を誘ってオンライン対戦した。話すのは一年ぶりくらいだったので最初に雑談、その後に将棋。将棋ウォーズでは10分の持ち時間を使い切ると自動的に負けになるので対局中は喋れない。二局やってどちらも負けたが得るものがあった。対局後は一緒に盤面を振り返っていろいろアドバイスをもらった。初心者がよくやる失敗例みたいなのをいくつか教えてもらい、意識すれば勝率があがりそうである。

子供のときの友達は学校や部活など同じコミュニティに所属している人になりがちだが、大人になってからの友達は同じ趣味を持つ人。普段マメに連絡を取り合ってなくてもその時がくれば気軽に声をかけられる関係性。スポーツでもテーブルゲームでもなんでもよいが、同じものにハマってる人がいると情報交換ができてより楽しくなる。自分の場合は麻雀、将棋、Podcast、個人開発、スプラトゥーン(最近やってない)あたりか。都合合わずに参加できなかったとしても声をかけてもらえたら自分は嬉しいので、近い関係性の人には自分からも声をかけていきたい気持ちがある。

将棋の話に戻るが、おすすめの書籍や棋譜解析のアプリを教えてもらった。特にアプリでは自分の棋譜を読み込ませ、それを元にAIが分析して各局面の有利・不利をスコア化してくれる。グラフで流れを可視化したり次の推奨手を教えてもらえたりする。仕事でもなんでもそうだが、自分の状況にドンピシャのアドバイスが一番吸収しやすい。自分の指した局で「これは良い手だった」「ここで局面が傾いた」と具体的にアドバイスをもらえるのはありがたい。プロ棋士がAIを使って学習する時代とは聞いていたが、次元が違うとはいえ自分もそれらしいことができてなんだか嬉しい。


足元がグラついたら事実を書き出す

2025/02/14

突然不安になり、自分の未熟さばかりが気になるときがある。不安な状態で無理に進めようとしても上手くいかないので、まずは自信回復から始める。これまでやってきたこと、身につけた技術を文字に書き出す。リスクは肌感覚だと過剰に大きく捉えてしまうらしく、実際の最大損失を計算すると落ち着けるという考えがある。それと同じで過去の自分との違いを書き出し、客観的に見ることで自信を取り戻す。

3年ほど前に転職したが、それまではモバイルアプリエンジニアとして活動していた。モバイルとWebは似ているようでかなり違う。Next.js、React、TailwindCSS、Mantine、Vercel、Tanstack Query、tRPC、NextAuth、SSRやSSGなどのレンダリング、アラート監視、etc...。こうして書いてみると3年でWebの素養を身につけられていて、自分としても十分な成長であると感じられる。技術以外でも広い画面でのデザイン、プロダクトが利益を生む構造の理解、マーケティングなどの周辺知識も学べている。文章を書くことや運動もここ数年で習慣になっていて期待に近い。もちろんまだまだ未熟ではあるが、何もせず3年過ごしていたわけではないなと感じられる。

最近読んだ本「人生の経営戦略」では、人生の前半ではいろんなことを試し、人生後半でそれを組み合わせて価値を発揮する様式が紹介されていた。3年でいろいろ勉強にはなったが、学ぶこと自体が目的というよりは何か作るのが楽しく、それに付随して知識を身につけているというのが実態に近い。技術が伸びれば作れるものの幅が広がる。好きなものを適当に色々作っていきたい。


要約した時に抜け落ちる部分が人生

2025/02/13

昔Facebookが年末にその一年を振り返るショートムービーを作る機能を提供しており、それに対して友人がコメントしていたのが表題。その時なんとなく気の利いた言い回しだなと思い、それ以来定期的にこの言葉を思い出す。

大学で就活をしていた頃、どういう職につくか悩んでいた。それまで勉強とサークル活動しかしていなかったのに急に社会人生活をイメージできるわけがない。また別の友人が「自分の墓が立ったときに『〇〇を成した人物』と書かれるとして、そこにどう書かれたいかが軸になる」と言っていた。これにはまったく共感できない。人生を一文に要約することはできない。

志、生涯を通して成し遂げたいことがないからなのかもしれない。メイクドリームはその瞬間は華々しいがその後も人生は続く。一時的に急上昇する微分的な曲線よりも、じんわり毎日を積み上げる積分型を目指したい。家族や友人など、周囲のお世話になっている人には優しくしたいとは思う。それさえできれば後は、好奇心の続く中で楽しく毎日を過ごしていきたい。