データ・数字との付き合い方

2024/12/29

ロジックの積み上げで決めていると他人と同じ結論をなぞることになる。自分の直感、信じるもののエッセンスを加えたい。ただ人間にはバイアスがあり信じすぎると視野が狭くなる。客観的なデータはそんなとき役に立つ。

すべて感覚で判断していると、リスクを大きく評価しすぎてしまい身動きが取れない場合がある。失敗した時にどうなるか、金銭面や時間面で数字を計算してみる。失っても痛くないならやってみればよい。リスクを取らないのは安全ない感じがするが、チャレンジすれば得られるはずだった機会を失っている可能性がある。

すべてデータで判断していると、自分の拠り所を失う。客観的データが道を示してくれることはない。良質な前提は揃えられるが、決断するのはあくまで人である。データはいまの状況を表す。未来をこうしたいという望みは反映されていない。

人を説得するときは客観的な情報を集めようとする。個人的な意見を言うよりその方が納得感は高めやすい。でも最終的に決めるのはやはり人や集団に属人化している。「それってあなたの感想ですよね?」という揶揄があるが、判断においては自分なりの根拠てわ感想を言えていればそれで良い。


「結論から話す」は本当か

2024/12/28

とあるPodcastで結論から話すことの是非が語られている、と友人が教えてくれた。「結論から話す」は仕事術の1ページに書いてあるテクニックで今まで疑ったことはなかったが、確かに振り返ってみると必ずしも正解ではない気がする。まだそのPodcastは聴けてない状況だが、今時点で思っていることを書いてみたい。

何か相談されるとき、結論だけを言われてもそれをどう受け止めればよいのか分からない。その後に続く話を最後まで聞き、その結論で良いのか判断するならば最初に話された内容を最後まで覚えておく必要があり脳を余計に使う。流れがあって結論があるのが普通の思考の流れだと思うので、結論から提示するのはむしろ逆のことをやってしまっている感がある。

結論ファーストが嬉しいときもある。それはその議題について何度か会話済みのよく知っている状態で、後はどう結論を出すか決めるだけのシーンである。こういう場合は過程はよく知っているので、まずはどの選択肢を選んだかの結論、それからその理由の順で知りたい。先に「これを選んだ」という箱を置いて、そこに理由を詰める形で聞くとスムーズに理解できる。

口頭以外でいうと、テキストコミュニケーションにおいては常に結論ファーストで良いかもしれない。チャットツールなどに書かれたテキストを読むとき、まず自分に関係ある情報なのかを判断する必要がある。結論が冒頭にあることでそれより下の情報の読む・読まないを判断できる。テキストなら読む順番は読み手に任せられてるので分かりやすく構造化して置いておけば良い。先に結論、それから補足事項を箇条書きなどで端的にまとめるのが読みやすい。

自分から語る場合はこのようなところだが、誰かからの質問に答える場合は結論を最初に言うのが良い。このタスクってもう終わってる?などのYes/Noで答えられる質問にダラダラと喋っていてはキャッチボールが成立しない。基本的にはシンプルに答えることを心がけたい。ただ、仕事ではYes/Noの二択でハッキリ答えられる質問は意外と少ない。条件つきYes、今時点では判断できないという回答になる場合も多い。正論より納得感が重要な場面もあり、そういう場合は理由から入って最後にマイルドに結論を伝えるが仕事が進む。

結論から話すべきかどうかに最適解はなく、ケースバイケースによって対応を変えることが求められる。その基準の見つけ方は聞いた相手がどう受け止めるかを想像する時間を持つこと。メッセージは相手に伝わって初めて意味がある。相手のわかる言葉で・受け入れやすい言葉で・聞きやすい形で伝える。曖昧で個人に依る部分が大きいが、人と人とのコミュニケーションは大体そんなものである。


40歳を過ぎたら自分の顔に責任を持て

2024/12/27

「40歳を過ぎたら自分の顔に責任を持て」はアメリカの元大統領リンカーンの言葉。顔は親から与えられるものであるが、40歳を過ぎる頃には過去の経験や自信が顔に現れるようになる。実際に有能な閣僚候補がいたが顔つきが悪いという理由で見送ったこともあるそう。

この言説には同意する気持ちが多い。よく笑う人は口角があがった顔になるしよく怒る人は険しい顔つきになる。1万回同じ動作をするとシワになるという話も聞いた。どんな時間を過ごし、どう考えてきたかは顔つきに現れる。それは美醜ではなくその人の雰囲気を作り上げる。

昔いいとものコーナーで「人相統計学」の専門家なる人が出演していた。人相統計学は例えば額の大きさや眼と眼の間の距離などから統計的にその人の特徴を分析するというもの。その時は「こういう顔の人は犯罪者が多い」みたいな話をしていて、そんな顔の特徴だけで決められてはたまったもんじゃないと思った記憶がある。ただ顔が似ていると性格が近しいのはある気もしていた。その人の過ごした時間が顔つきに出ているから、というリンカーンの説明は納得感が高い。

楽しいから笑顔になるのか笑顔だから楽しくなるのか。最近読んだ「感情の哲学入門講義」によると感情は身体反応と連動するらしい。例えばマッサージをすると体の強張りが取れる。体が緩んでるのはリラックスしている時の状態なので、それによりリラックスした感情が訪れる。怒る気持ちが溢れそうなときは深呼吸をする。呼吸がゆっくりのペースになれば連動して感情も落ち着く。同じ現象を受けてもどう受け止めるかは人それぞれ。40歳ももう目前、冒頭の言葉は心の片隅で覚えておきたい。


楽しい時間は早く過ぎるが振り返ると長く感じる

2024/12/25

1日は24時間と決められているが個人の感じる時間感覚は必ずしもそうではない。同じ15分でも久しぶりの友人と会っている時はあっという間に、遅延した電車を辛抱強く待っているときは永遠のように感じる。人によって体感する時間は違う。ではどのように違うのか?

瞬間瞬間の感じ方としては楽しい時間ほど早く過ぎる。仕事でも趣味でも没頭しているとすぐに時間が経つ。逆に退屈なことをやらされていると中々時間の進みは遅く感じる。長期的に振り返って考えるときには、楽しかった時間は密度が高く長かったように感じる。1ヵ月でこんなに色々やっていたのかと驚くこともある。何もせずダラダラ過ごした日々は振り返ったときに短く圧縮されて感じる。楽しい時間は瞬間的には短く、振り返り時には長く感じる。この違いは面白い。

年末になると1年を振り返る機会が増えるが、最近はその年に読んだ本の振り返りをするのが習慣の一つになっている。定点観測の機会を設けておくとその年の長さを測りやすい。昔からの愛読書だと思っていた本が実は今年の2月に読んだ本だったりして、自分の時間感覚は本当に当てにならない。どうせなら濃い一年だと思いたい。新しいことへの興味や挑戦が日々を濃いものにしてくれる。

仕事で使っているタスク管理ツールの機能を使い、各タスクが完了するまでの時間を計測する動きが一時期あった。膨大な時間がかかると思っていたものが意外と2日で終わり、逆にすぐ終わると思っていたものに数時間かかることがあった。見積もりは本当に難しい。仕事の可視化という意味では24時間という客観的な時間に落とし込むのが便利な場合もある。ただ自分としては主観的な時間、楽しいとか退屈とかそういった個人的な時間感覚の方を大事にしたい。


依存と自立

2024/12/25

「何かに依存している」と聞くと危うさを少し感じるが、私たちは一人では生きれず何かに依存せざるをえない。良くないのは特定の何かだけに依存している状態で、こうなると自分の気分や感情が相手に左右されすぎてしまう。振り回されると自分の人生を生きられず自己効力感が低下する。

自立とは誰にも頼らず生きることではなく、いろんな人やモノに細かく依存すること。繋がる先が多数あればある関係がうまくいかなくても別でカバーできる。急に人と会う予定がなくなっても別の趣味があればダメージは少ない。大切に思える持ち物を増やしていくのは幸福に繋がる。

人に頼る、人に甘える。大切な人に頼られるとうれしい。まずはどちらかが心を開いて歩み寄る必要がある。関係を長く続けたい人には素直な心で頼ってみる。相手の都合で断られることもあるが、それでも「あなたと頼ったら頼られたらしたい」というメッセージは残る。

大人になっての交友関係は意識しないと途絶えていく。関係を切りたくない人にはこちらから声をかけるようにしたい。コミュケーションは重さより頻度。内容はなんでも良い。