いま一度積み上げ思考を取り戻す

2025/07/08

このブログの最初に書いた日記のタイトルは「逆算と積み上げ」。ゴールからの逆算で考えるクセがついているが、逆算思考は自分に足りないものを数える作業なので苦しい。そうではなく積み上げで考えればすべて足し算なので気持ちよく生きられる、みたいな話を書いた。最近はまた逆算思考に侵されているので、今一度この言葉の意味を考えたい。

逆算すること自体は悪いことではない。目指すべき地点があるとき、逆算により必要な作業を洗い出すことができる。プロジェクトには期限があるから何かを妥協したり、誰かにヘルプを出して助けを求めたりができる。しかし長期的な話になると逆算はあまり役に立たず、いたずらに自分を焦らせる要因になってしまう。

例えば自分はWebサービスを趣味で作っているが、これはただ作るだけで楽しい。頑張って作ってるのでできれば多くの人に使ってもらえたらうれしい。ユーザーがたくさんつくとヒットサービスとなり、ヒットするとそのサービスを買いたい会社が現れたりして一攫千金のチャンスもある。純粋な気持ちの先に可能性が広がっているのは悪いことではないが、気を抜くと一攫千金というオマケが目的になり、「ヒットしないと意味がない」と自己暗示をかけてしまう。こうなると苦しい時間がはじまる。

まず、ヒットするかどうかは誰にもわからない。確率を高めることはできても、結局流行るかどうかは時代の運によるものが大きい。それなのに逆算で考えていると自分の力でなんとかできるような気がしてしまう。コントロールできないものを管理しようとすると不幸になる。自分の実力が不足していると思っていろいろ考えるが、「ヒットさせる才能」それ自体があるわけではないので脱出は難しい。もう少し分解して「技術力を高める」「デザインを上手になる」などにブレイクダウンすればコントーラブルな要素に近づく。しかしそれが本当にヒットに繋がっているかは怪しい。「絶対ヒットさせる」という命題が間違っているので、どの努力の方向も報われづらくなっている。

それに比べて積み上げの道は明るい。去年より今年、昨日より今日できることが増えていく。この道がどこに繋がるかは分からなくても毎日は充実する。疑問に思ったことを調べ、思いついたアイデアを試す。上手くいってもいかなくても次に繋がる良いフィードバックが得られる。そうして毎日積み上げた先に悪い未来は来ないような気がする。どこに出るかは分からないが、未来を信じて今を積み上げてよい気がする。

注意点として、積み上げていく方向だけ時折気にしたい。AIは顕著な例だが時代は常に移りゆく。自分が身につけているものが数年後に陳腐化しないか?それは丁的に振り返りたい。大枠の方向だけ考えて毎日は一歩ずつ積み上げる。こういう精神状態を保ちたいところ。