「急に具合が悪くなる」を読んだ
「急に具合が悪くなる」を読んだ。哲学者の宮野さんはがんの転移を経験し、いつ具合が悪くなってもおかしくない状態になる。その時の心情や様子、考えを人類学者の磯野さんと往復書簡の形でやり取りする。これがめちゃめちゃ面白く、一気に読み終えてしまった。
テーマの重さとは裏腹に、前半は意外と読みやすい。これは二人の文章のきれいさ、俯瞰してみる力、喩えやユーモアを入れていくセンスによるもの。「具合が悪くなるかもしれない」と診断された時にそのリスクをどう受け止めればいいのか?健康だと思ってる人も明日突然病気になるリスクはある。ではその閾値はどこにあるのか。こんな感じで考えたことのない命題を突きつけられる。
そんな感じで興味深く読んでいると、後半に入ってさらに深いところへと入っていく。それは宮野さんの体調が悪くなっていくこと、磯野さんの熱い言葉が出始めること。「患者」と「ケアする人」の関係で固定すれば楽かもしれないが、そうではなく共に真理を追求する仲間であろうとする覚悟を感じる。関係が曖昧になるのは怖いこと。質問を踏み込みすぎて傷つけてしまうかもしれないし、ぶつかることもあるかもしれない。それでもお互いを信頼して「ぶっちゃけどうなの」を聞いていく姿勢がこの往復書簡をさらに素晴らしいものにしている。
特にくらった部分、一つ目は多様性について。「多様性」という言葉はよく聞くようになり、ある程度世の中にも浸透してきている。しかしなんとなく気持ち悪さが残る。例えば多様な価値観を認めることが大事とされるので、強く自分の意見をぶつけづらくなっている。「それってあなたの感想ですよね」と言われたらそれ以上は踏み込めない。昔より関係性を作りづらくなっている気がする。
本書ではそれは多様性を「点と捉えている」ことが原因だという。いろんな性別・国籍・属性の人がいますね、と静止画のなかに点で表現しても先はない。そうではなく「線にする」。点と点が結ばれて線になる。個人と個人のつながり方は無数にパターンがある。あぁでもないこうでもないと悩みながら、正解のない中で二人が納得できる空間を一緒に作ること。多様性をそういう動的なものだと考えると腑に落ちることが多いように思う。
もう一つは「選択」について。不確実性については興味があって本を読んだり自分でも文章を書いてみたりしたことがあるが、この本の言葉遣いはとても分かりやすい。
結局、私たちはそこに現れた偶然を出来上がった「事柄」のように選択することなどできません。では、何が選べるのか。この先不確定に動く自分のどんな人生であれば引き受けられるのか、どんな自分なら許せるのか、それを問うことしかできません。そのなかで選ぶのです。だとしたら、選ぶときには自分という存在は確定していない。選ぶことで自分を見出すのです。
何かを決めるとき、未来を「予期」して決めようとするがそれには限界がある。そうではなく「どういう決断だったら後悔しないか。自分が腹を括れるか」で決める。わからない中を突き進むのはとても怖いこと。結果がついてこないことも多々ある。そんな中で恐れず前進するには、少なくとも自分が納得できてなくてはいけない。いろんなビジネス書を読んでたどり着かなかった答えを、この本に教えてもらった。