事実は小説より奇なり

2025/07/04

ショーハショーテン」という漫画がある。お笑いや漫才についての漫画で、同級生二人が高校生のためのM-1のような大会の優勝を目指して頑張る青春ストーリー。バクマンのお笑い版というと分かりやすいかもしれない。登場するコンビがみな魅力的で感動するし、漫才やコントのシーンは本当に面白い。お笑い好きの人には是非読んでみて欲しい漫画だ。

さて、「事実は小説より奇なり」はショーハショーテンの中で出てきたキーワードだ。主人公は漫才のネタが考えるなかで、ウケるネタとウケないネタの違いが分からず困惑する。そんなとき小説家の妹に相談し、打開のヒントとなるのがこの言葉だ。妹いわく、「事実は小説より奇なり」という言葉は間違っている。小説がフィクションであることはみんな分かっている。そこで無茶な設定や台詞を使ってしまうと読者は冷めて離れてしまう。つまりフィクションである小説だからこそ、「事実」と思わせる描写にすることが大事になる。それを聞いた主人公は自分たちの過去のネタを振り返り、本当に自分たちが言いそうなことを話しているネタがよくウケていることに気づく。

確かに良い小説や演技に触れたとき、最初に思うのは「本当にあった話みたい」「本当にこういう人みたい」というリアルと演技の境界が曖昧な感想かもしれない。自分の知らないところで本当にそういう場面があり、たまたま自分はそれを覗き見ているような感覚。こういう時に自分な良いものを観たなと思う。

いま読んでいる小説「踊りつかれて」にもそれを感じる。事件の描写や登場人物の言葉遣いなどが細かいところまで描かれていて圧倒される。弁護士が依頼人の人柄を知るためにいろんな人にインタビューをしていくが、その人たちの関係性が本当に見えるというか、こういう人っているよなぁという感想になる。そういった作品には没頭が生まれ、ページをめくる手が止まらず読み進めてしまう。デザインの世界にも現実世界そっくりに作るスキューモーフィズムというものがある。リアルに作り込むことで使い手の摩擦を極端に減らし、没頭した体験へと誘い込むことができる。