「大量廃棄社会」を読んだ
「大量廃棄社会」を読んだ。副題は「アパレルとコンビニの不都合な真実」で、新品の服やまだ食べられる食品が捨てられる実態をレポートした一冊。作られる服のうち4枚に1枚は新品のまま捨てられる。その実態を知ることなく私たちは気軽に服を買ったり捨てたりしている。
まだ着られる、どころか新品の服が捨てられるなんておかしい。これは誰が作った構造なのか?消費者はラインナップに欠品があるとクレームを言う。企業はそれに応えるために売り切れないほど大量に服を作る。大量に作るにはコストがかかる。だから途上国の安い労働力に頼る。途上国は成長産業を作るという国策としてそれを引き受け、無茶な環境でスタッフを働かせ、やがて事故につながる。悪者がどこかにいるというより、資本主義的な効率を突き詰めて今の仕組みが形作られていったように感じる。そしてその実態を知らずに、気軽に服を捨てたり買ったりしている自分がいる。
食品も同じように廃棄されている。本書によると日本人ひとりが1日お椀1杯分のごはんを捨てているらしい。例えば恵方巻きは元々は関西地域の家庭的な伝統だったのをコンビニが全国に広げ、「節分には恵方巻き」というイメージを作り上げることに成功した。毎年節分の日には多数の恵方巻きが作られ、捨てられる。本来は必要な売れる分だけ作ればよい。そうならないのはやはり資本主義的発想で、たくさん作ることで儲かる仕組みが根底にある(コンビニ会計というらしい)。
レストランで余らしたご飯を包んで持って帰ることは日本では難しい。それは食中毒などが起きた場合に店側の不利益となるから。自己責任にします、といっても許されない。万一クレームに発展したときの被害が大きすぎるため、企業はリスクを減らすために廃棄を選ぶ。
フードロスの章にあった「すてないパン屋さん」の話が面白い。パン屋では焼きたてが売れやすく、一日の終わりに売れ残ったパンを捨てることも多いらしい。焼きたて数回提供するために業務も忙しい。そして忙しい割に儲からず、疲弊感が漂っていたと言う。紹介されたパン屋さんは店を休業してヨーロッパに修行にいき、そこで現地の料理人が「良い感じに」手を抜いていることを知る。工程を減らし、100点を目指さず70点でもいいから楽をする。その代わり素材にはこだわる。良い素材を作っていればシンプルなパンでも美味しい。日本に帰ってきてからはそのやり方を真似し、さらに定期販売を取り入れていくら作れば良いかを明確にする。再開してからは一度もパンを捨ててないらしい。思考停止せず、あるべき姿に向かって工夫すれば道は開かれる。