歩くのに飽きた人が踊り出す

2025/07/30

疲労社会」を読んでいる。競争主義、生産性主義の現代は肉体よりむしろメンタルが疲れやすい。「できる」ことを求められ続けるのはしんどい。どのようにそこから逃れられるか?

興味深い一節があった。ある道があり、そこを目的地に向かって歩いている。駆け出したり走ったりしてもそれは違いにはならない。なぜなら直線を行くスピードが変わっているだけだから。道中をウロウロしたり、その場で踊ったりすることは違いになる。それは本来不要な行動で、目的地に向かうこととは別軸の動作を生み出しているから。

道草を楽しみ、踊るように趣味や仕事をしてる人を人生で何人か見てきた。そういう人たちはゴールすることではなく、自身のスキルの上達でもなく、ただその時間を楽しんでいるように見えた。他の人と比べて自分がどうだと考えることもなく、その人のペースで楽しんでいた。

道のうえで踊り出す前に何が起きてるか?それは「歩くのに飽きる」ことだと著者は言う。歩く・走るはもう飽きた。だから違う楽しみを見出そうとする。そこに小難しい考えはない。プログラマーの三大美徳は「怠惰」「短気」「傲慢」と言われる。同じ仕事を毎日やるのはつまらない、だから自動化する。この仕事をしていても楽しくない、だからAIにやってもらう。そういう考え方が良いとされる。自分の仕事を振り返ってみるとモバイルアプリ、機械学習、プロダクトマネージャー、AIエンジニアとその都度興味があることをやってきた。でも本当は飽きていたのかもしれない。大体のことは3年くらいやると飽きる。それは悪いことではなく、違う遊びを見つけるのが好きなのかもしれない。