Webサービスにはフックが肝心

2025/06/23

便利で人の役に立つものを作りたい。そういう思いでWebサービスを作ってもほとんどの場合はやがてサービス終了することになります。ユーザーが定着しないどころではなく、そもそもユーザーにあなたのサービスが届いていない。知ってもらったり、興味をもってもらうところが最初で最大のハードルになります。

HIPHOPに「フック」と呼ばれる用語があり、これは楽曲のサビの部分を意味します。フックがキャッチーで魅力的だと耳に残る良い曲になる。同じようにWebサービスにもフックが必要です。通りすがりに見かけたユーザーの目を留まらせ、リンクをクリックしてみようと思わせるくらいには。

後発のサービスは先行サービスの10倍便利な必要があると言われています。これはユーザーの乗り換えのハードルが高いから。よっぽどの差がなければユーザーは使い慣れたものを好む。2倍3倍では慣れた土地から引っ越してしてきてくれないんです。10倍便利なものを提供して、はじめて人は動きます。フックもこれと同じで、一目で「これは今まで使ってきたサービスと違う」と思わせなければいけません。

そのためにコンセプトを磨き、それを言語化してキャッチコピーとして表現し、コアな価値を中心にサービスを設計します。実物よりも大きく見せることに意味はありません。興味を持ってWebサイトに訪れたユーザーは、期待はずれだと分かるとすぐに席を外し二度と戻ってくることはありません。小さくても地に足のついた価値を伝えること。最初は数人に刺さるものでOKです。その数人が別の数人を連れてきて、やがて大きな円になっていきます。

フックがないサービスは優等生です。全体的にこなれていて便利ですが、引っかかるものがなく意識から流れていきます。多少荒削りでも個性のあるユニークなプロダクトだと興味を持たれます。これは「新しいもの好き」の人がどの分野にも一定数いて、その人たちが見つけて勝手に知り合いに紹介してくれるから。大事なのはコンセプトを磨くことと、使ったときに感動できるだけのプロダクトを作ること。良いプロダクトを作れればマーケティングはかなり楽になります。人が人を呼ぶサイクルが回れば、人を集める仕事の代わりにプロダクトを磨く仕事に集中できます。本質的なプロダクト作りにもっとパワーを注げます。


「仕事が麻雀で麻雀が仕事」を読んだ

2025/06/22

仕事が麻雀で麻雀が仕事」を読んだ。麻雀好きで知られるサイバーエージェント社長の藤田さんによる著書で、近代麻雀での連載をまとめたものらしい。最近時間を使っている趣味といえば麻雀で、仕事終わりや夜に時間を見つけては打っている。しかし6月に入って頭を仕事モードにも切り替えなければいけない。麻雀と仕事をいい感じにバイパスしてくれる本はないかと探してこの本に行き着いた。

藤田さんの著作は昔から好きでほとんど読んでいる。就活で東京に行く夜行バスの中で「渋谷ではたらく社長の告白」を読み、それが面白くて読書しはじめたほど。賢い言葉でマウントを取る論調ではなく、素直な言葉で考えが述べられていてどれも面白い。

この本もそれは同じだが、一編が短くちょいちょい麻雀の話が出てくるのでやや読み進めづらい(近代麻雀の連載なので当たり前だけど)。藤田さんの言葉は元々わかりやすいので麻雀で喩える必要性も低い。ただ自分もよく見ているAbemaの麻雀チャンネルがニコ生に影響されて生まれたなど、随所に挟まれる雑学は面白い。

「淘汰の激しい業界で活躍し続けている理由は?」と聞かれた時、藤田さんは「調子に乗らないこと」と答える。ビジネスも麻雀も運と実力の要素が入り混じる。トレンドの業界にいたから伸びたのを自分の能力だと勘違いし、調子に乗るといずれ消えることになる。良いときは疑い、悪い時はそう悲観するほどでもないと自分に言い聞かす。自分のメンタルをコントロールするのが仕事でも麻雀でも大事なことかもしれない。


無用と無能は違う

2025/06/22

頑張っても成果が出ないと、自分には能力がないと落ち込んでしまう。自信をなくして落ち込む。辛いメンタルになるのは自分に「無能」のレッテルわ貼ってるからだ。それは実は「無用」の可能性がある。

無能は能力がないこと。無用は役に立てていないこと。能力は数えたり人と比較したらできるが、役に立つかどうかは対象の感じ方次第となる。何かうまくいかないと我々は自分の能力不足を責める。しかし問題は能力の欠如ではなく、その活かし方かもしれない。

2月に発売された「能力主義をケアでほぐす」を読んでいる。著者は研究者の方で、元々は論文の数を競う「能力主義」な環境で働いていたが子供が生まれたことをキッカケにケアワーク中心の生活に変わる。ケアワークは数えられない。GDPに寄与しないし、◯時間でいくら分だけ活動した、という換算もできない。しかし重要である。ただ娘と一緒に過ごした時間に、もちろん価値はある。

無能だと思うと落ち込むが、無用であるなら努力の方向を変えればいい。相手に「大丈夫?」「困ってることない?」と聞き、必要なことをやる。人生は単一の評価軸では測れない。大事なものはその都度確認しなければいけない。


転職経験があると次も会社を変えやすくなる

2025/06/20

最近複数の元同僚が続けて転職している。1-2年などの短いスパンで転職を続ける人をジョブホッパーというが、そういう感じでもない。一度転職を経験すると転職への「ハードル」が低くなる。2回目以降の転職は選択肢として常にそこにある。

私は新卒で入った会社で10年以上働いていた。転職するときには一抹の不安がある。別の会社で上手くやっていけるのか?いまよりホワイトな会社ってないよな…。人間関係は大丈夫なのか?など。でも実際転職してみると意外と大丈夫だ。今どきそこまで悪い会社も少ないし、面接などで大きな違和感がなければ事故は少ない。そして転職により新しいポジション、年収、仕事の内容などを得て自身の成長を感じる。そうなると次に行き詰まった時、2回目の転職をするというのは普通に選ばれる選択肢になる。

一緒に仕事をしてきた同僚がいろんな会社で活躍しているというのもある。候補者も採用担当もミスマッチするリスクは極力減らしたい。そうなると広告よりも社員による紹介を重視する。候補者としては自分の知っている人が働いていると近く感じるし、その人と話すと会社の内情を正確に把握できる。30代になると転職した知り合いも多い(特にWeb業界では)。大学生の頃インターンしていた会社の社長が「友人の会社の動向は常にチェックしておけ」と言っていたが、その意味が分かってきた。知り合いが働いていると興味を持ちやすいし、自分のキャリアが詰まったときのエスケープになる。

今は転職ではなくフリーランスの道を選んだが、会社員に戻る可能性は全然ある。その時は知り合いのいる会社で働きたいと思っている。どれだけ業績が明るくても、一人も知り合いがいない会社は少し怖い。そして自分のキャリア的な下心とは関係なく、久しぶりの飲み会で各々が活躍している様子を聞くのは面白い。


「伝統だから」は思考停止のはじまり

2025/06/19

大学で入っていたテニスサークルは歴史が60年以上と長く、伝統的な行事がいくつかあった。練習前に一列に並んで点呼する、合宿の夜は22時には消灯するなど。毎年大学3年生が幹部学年となり、前の代の先輩たちから各行事の運営方法を引き継ぐ。これが毎年繰り返されて"伝統"は重みをましていく。

その中にはよくわからないルールもある。例えば練習の出席締め切りが8:45の場合、8:46に来ると練習に参加できない。これはまだ練習の人員割りのためというので理解できるが、練習に参加できないが来た以上は帰ることもできない。つまり声出しや玉拾いだけを4時間くらいやり続ける。そんなルールがあると間に合わなさそうならそもそも向かわない方が得という話になる。こういう微妙にズレた伝統がいくつかあった。

サークルの練習にはたまにOBの先輩も来る。大体は在学中の先輩で、1つ上か、大学院に進学していて3つ上くらいの先輩たち。ただ、合宿やOB戦の行事にはもっと上の先輩が参加する。一度20年以上前に卒業した先輩が来たことがあり、いろいろ話していると驚くことがあった。横一列で点呼する伝統も、合宿でのアレコレのルールも、先輩たちの時代にはなかったものらしい。そこでちゃんと調べてみると、伝統と言われた色々なものがここ数年で出来たものらしかった。ちなみに元々はテニスサークルでもなかったらしい。いろいろスポーツをしてみて、テニスが一番ハマる人が多かったからテニス色が徐々に増していったらしい。

自分たちが幹部になるとき、「それは伝統だから」という一言で変えられないものが多々あった。今思えばそれは嘘で、伝統でもなんでも今の時代に合わせて柔軟に変えていけばいい。ただしそのサークルのらしさというか、大事にしている価値観みたいなものは言語化しておくとよい。テニスが強くなれるとか、初心者でも参加したくなるとか。社会人になってからも「伝統」「常識」などと時折出くわすが、それは疑いの目で見ている。自分がおかしいと思うのならいくら周りが当たり前としていても従わなくてもいい。自分の直感をもっと信じていい。