「伝統だから」は思考停止のはじまり

2025/06/19

大学で入っていたテニスサークルは歴史が60年以上と長く、伝統的な行事がいくつかあった。練習前に一列に並んで点呼する、合宿の夜は22時には消灯するなど。毎年大学3年生が幹部学年となり、前の代の先輩たちから各行事の運営方法を引き継ぐ。これが毎年繰り返されて"伝統"は重みをましていく。

その中にはよくわからないルールもある。例えば練習の出席締め切りが8:45の場合、8:46に来ると練習に参加できない。これはまだ練習の人員割りのためというので理解できるが、練習に参加できないが来た以上は帰ることもできない。つまり声出しや玉拾いだけを4時間くらいやり続ける。そんなルールがあると間に合わなさそうならそもそも向かわない方が得という話になる。こういう微妙にズレた伝統がいくつかあった。

サークルの練習にはたまにOBの先輩も来る。大体は在学中の先輩で、1つ上か、大学院に進学していて3つ上くらいの先輩たち。ただ、合宿やOB戦の行事にはもっと上の先輩が参加する。一度20年以上前に卒業した先輩が来たことがあり、いろいろ話していると驚くことがあった。横一列で点呼する伝統も、合宿でのアレコレのルールも、先輩たちの時代にはなかったものらしい。そこでちゃんと調べてみると、伝統と言われた色々なものがここ数年で出来たものらしかった。ちなみに元々はテニスサークルでもなかったらしい。いろいろスポーツをしてみて、テニスが一番ハマる人が多かったからテニス色が徐々に増していったらしい。

自分たちが幹部になるとき、「それは伝統だから」という一言で変えられないものが多々あった。今思えばそれは嘘で、伝統でもなんでも今の時代に合わせて柔軟に変えていけばいい。ただしそのサークルのらしさというか、大事にしている価値観みたいなものは言語化しておくとよい。テニスが強くなれるとか、初心者でも参加したくなるとか。社会人になってからも「伝統」「常識」などと時折出くわすが、それは疑いの目で見ている。自分がおかしいと思うのならいくら周りが当たり前としていても従わなくてもいい。自分の直感をもっと信じていい。