口はひとつで耳ふたつ

2025/04/04

口はひとつで耳はふたつ。自分の話を喋るよりも相手の話を聞くことに力を使う方が人間関係は良好になる。単なる雑談でも相手の話を聞いた方が自分の世界が広がるし、何か相談事であればこちらからのアドバイスを押し付けるよりも相手の本心を引き出す方が話はうまく進む。全力で相手に注意を傾けて話を聞く。単純で難しいが、常に意識しておきたいことの一つだ。

人と話す時に聞き手に回る。素晴らしい作法だがそうすると自分の気持ちや意見を表現する時間が足りなくなる。自分を出せないとそれもまたフラストレーションが溜まるが、自分としてはその気持ちは文章で書いて晴らせば良いというスタンスだ。対人で会話しなくてもテキストで書けば、それで十分心は満たされる。

アメリカの100ドル札に描かれているベンジャミン・フランクリンは「人に話すと自慢になるが本に書くなら興味ある人だけが読むので良いだろう」と言っている。文章ならそれにどれくらい注意を向けるかは読み手が決められる。自分に合わないと思ったら飛ばせるし、時間を拘束しないので対面で話すよりよっぽど良い方法だという。

発散の方はそんなところにして、聞き手になるときの態度について。相槌や質問などいろいろなテクニックが紹介されているが、一番大事なのは相手の話に本気で興味を示すことだと思う。それができれば自然と前のめりの姿勢になり、それは相手にも伝わる。綺麗や上手じゃなくても良いので興味を示す。相手の話すことに疑問を持ったり興奮したりする。そういうことであれば自分にもできそうである。


作ってるものを人に話すか

2025/04/03

このブログは昨年8月から毎日書いてるのだが、当初は朝7時頃に起きてすぐ書いていた。それが生活パターンが変わり昼休みや夕方に書くようになり、時間が徐々に後ろになり、いまは深夜2時。だいぶやり方は変わってしまったが習慣作りのコツはできるだけハードルを下げること。毎日続いているのでまぁ良しとする。

大人になって趣味がいろいろ増えてきたが、一番楽しく時間を使ってるのは個人開発だ。個人開発は本業とは別で好きなWebサービスやアプリを作ることで、仕事終わりや休日の空いてる時間などでコツコツ進める。Web業界ではそこそこ市民権のある活動で、個人開発をしていると話すと「何を作ってるんですか?」と聞かれる。その時にどれくらいちゃんと作ってるものを話すと良いか。好きに答えれば良いのだけど、なんとなく自分の中でひとつのトピックになっている。

仕事以外の時間でもプログラミングする個人開発はそれだけで褒められることが多い。なので「こういうの作ってます」と話すと基本的に「いいですね」と好意的な反応が得られる。これは作ってるものがその人に刺さってるのではなく、他人の趣味を否定しないという文脈に近い。こうして褒められると少しだけ満足してしまう。まだ世に出してないのに自分の気持ちが満たされ、リリースへの飢餓感が減っていってしまう。

個人開発の最大の敵は飽きること。仕事のような強制力がないのでいつ辞めても誰にも怒られないし、実際自分もたくさんのサービスを作りかけで放棄してきた。モチベーションコントロールが重要な要素で、そのためには「作ってるものはリリース直前まで多くは語らない」という方針が自分には合っているように思う。作ってること自体は言ってもいいが、サービスの中身自体はできるだけ話さない。自分が本当に必要だと思ってるものなら他人に言われて内容を変える必要はない。文章やデザインなどの表面上のフィードバックは得られるかもしれないが、それはリリースした後に聞くので問題ない。まずは自分の理想のままに突き進むこと。人に話すかどうかはどっちが自分の継続につながるかで判断してよい。

人に詳細を開放して良いタイミングがある。それはリリースが目前に迫ったタイミング。リリース前は細かいチェックをしたり、規約を作ったりと地味だが重要な作業が続いてエネルギーを消耗する。ここを乗り切る最後のパワーとして友人に見てもらうというのは有効に思える。サービスの説明をしてそれが伝わるか、どの部分で相手のテンションがアガるかなどはサービスをプロモーションする上でとても良い参考材料になる。ただし、ここでもフィードバックを重く受けすぎないこと。その友人が自分が解決したい課題を抱えているとは限らない。話を聞いてもらえたことはありがたく思いつつ、アドバイスは取捨選択してそれに捉われすぎないこと。


ロジックとセンスで戦うとセンスが負ける

2025/04/02

何かの意思決定について話すとき、ロジック(論理)とセンス(直感)をぶつかり合わせるとセンスが負ける。論理は誰が聞いても確からしい客観性がある。直感は本人の感覚によるものが大きく、言語化や裏付けが難しく客観性に乏しくなる。

直感はこれまでの自分の経験や経験から得た学びから生まれる閃きのこと。その道を通ってきた自分自身は確信を持てても人に説明するのは難しく、適当な思いつきとの区別もつきづらく議論では不利。しかしロジックばかりに偏ると「正しいんだけど面白くない」ものが出来上がる。どこに重心を置くかは個人や組織によって違うと思うが、自分は直感主義でいきたいと思っている。

センスが意思決定に反映される方法は、センスがある人を最終的な意思決定者において任せてしまうこと。ロジックを詰めても良いが最後の「決め」はその人に委任する。合議制はいろんな意見を尊重するあまり意思決定が丸くなってしまう問題があるが、決める人を決める方法であればユニークな決定がされる余地がある。直感で決めたにせよ、決定者にはそうなった経緯や理由を周りに説明する必要がある。決定を腹落ちして受け止めてもらえなければチームの推進力は弱まり、行きたい方向にそもそも進みづらくなる。

直感は簡単に鈍る。最初は確信があっても議論していくうちに「自分の考えが間違っていたのか?」と不安になってくる。最終的に判断を下す前に「誰かの顔色を窺うのではなく、本当に自分自身がその案を選びたいのか?」と振り返る。大体の判断はそれ自体には正解不正解はなくてその後やり切れるかで結果が変わる。自分の信じたものならやり切れる。まずセンスで選び、それをロジックで補強していくように思考する。


一年の計は年度末にあり

2025/04/01

一年の計は元旦にありというが、自分の中では年よりも年度末の方が区切り感がある。3月に誕生日があって年を重ねるからかもしれない。年始に考えたときから変わらず、今年の抱負は「良い日を増やす」としている。

良い日とは何か?大きな前進じゃなくて良いので目指す方向に向かって着実に一歩を進めること。特別じゃない普通の日を大事に思えること。良い日を過ごせると気分がよくなり、また次の日も良いコンディションで臨めるようになる。そしてこのサイクルを繰り返すと集中状態が高まりゾーンに入る。昨年末に読んだ「ゾーンに入る」という本に書かれていた内容だが、今年はこれを意識していきたい。

自分なりの良い日の作り方を考えてみた。大きく二つあり、一つは家族や友人など大切な人に親切にすること。対象は大人数じゃなくてよく、ごく身近の数人を大切にできればそれで良い。もう一つは没頭する時間をもつこと。個人開発でも将棋でもなんでも良いが、いまこの瞬間に向き合えると大変心地よい。この二つを支える根底に健康がある。肉体的健康と精神的健康。散歩や水泳で運動の習慣を作りつつ、たまに友人となんでもない時間を過ごす。今年度はこんな感じでいきたい。


村上春樹氏の生活リズム

2025/03/31

最近読んだ複数の本で、小説家の村上春樹の習慣について触れられていた。午前4時に起きて5-6時間続けて執筆。午前の間に仕事は終え、午後からは運動や読書、音楽を聴くなどして過ごすらしい。夜は21時就寝で、365日このリズムを繰り返す。

「学ぶは"まねぶ"」ということで、まずはそのまま真似してみた。朝7時に起きて13時頃までプログラミング、そして午後は運動や読書をして過ごす。朝起きがけの時間は頭がクリアで確かに創作活動に向いている。体力ゲージも回復してるし雑念がないので、目の前のことに集中できる。何も考えずにいると仕事開始後の最初の仕事はメールやビジネスチャットの確認になるが、頭がクリアな時間にするには勿体無い。先にクリエイティブなこと、それからコミュニケーションの仕事という順番が滑らかに進む。

予定通り午前にプログラミングを出来たとして、午後以降はもうプログラミングをしないというのが地味に難しい。やりかけの部分が気になったり、ちょっとだけ続きをやろうとして夜も作業してしまったり、手を止めて翌日に回すというのが中々出来ない。読書や買い物よりもプログラミングが面白いのでそうしてしまうが、これをやり始めると一日中作業していることになって疲れていく。5-6時間ほど集中して作業できれば十分で、追加で時間をとって一日でブーストするのではなく、毎日その5-6時間を着実に積み重ねることを意識する方が結果的には遠くまでいける。

最近読んでいる将棋の本に「普通の手を積みかねて有利な局面を作っていく」と書かれていた。一発で形成逆転できるムーンショットを実現するのは難しい。良いと思う方向に少しずつ、毎日の積み重ねで近づいていく。肉体や精神の健康に気を配りつつ、自分のリズムを作ることにしばらくの間は向き合いたい。