日記を1年書き続けている
日記を毎日書くようになって1年が経った。正確にはこれで380日目。まずは1年間健康を大きく崩さなかったことに感謝したい。
習慣の本にはよく「やめるのが勿体無いと思うようになったら成功」と書かれている。心の中では「いま忙しい面倒くさいな」と「せっかくここまで続けたんだから」という思いが交差する。続ける期間が長くなるにつれて後者の力が大きくなり、習慣が続きやすくなる。
文章はこれまでもそれなりに書いてきた。エンジニアとして技術記事を書いたり、プロダクトマネージャーとして意思決定や組織文化について書いたり。でもそういう文章には目的がある。こういう内容を伝えたい、この文章の要点はここだなと、ゴール地点を決めてそこに向けて書いていく。関係ない脱線や蛇足はなるべく削って最後まで読んでもらえる文章を目指す。これが普段の自分のやり方。
しかしこうしてると文章は常によそよそしく、読み手を常に意識した内容になる。もう少し適当に頭に浮かんだものを書き殴る場所が欲しかった。この日記はまさにそんな感じで、個人開発やAI、読書など好きなことを好きに書いている。人からの評価の影響を受けないエリアだ。
個人開発で作ったアプリやWebサービスにはGoogle Analyticsという分析ツールを普段入れる。これは毎日の訪問者が何人とか、どういうキーワードで辿り着くことが多いとかを調べるものだがこの日記には入れてない。なので誰が読んでるかよくわからない。でもそれでいいと思う。たまに日記読んでますよと言われると「読んでる人いたんだ!」と驚く。それくらいがちょうど良い距離感な気がする。
今年はフリーランスになり、フルリモートで働いているので仕事で関わる人数が減った。自分と話して日記を書くことで孤独感を和らげる効果がある。あとは日記に書くことが何もない日が続いてると気づくと、本を読んだり新しい場所に行ったりする気持ちが上がる。日記を書くのは30分くらいかかる。「もっと早く」「もっと効率的に」が求められる社会で意味や目的がないことをするのは面白い。
未来の24時間を考える
坂口恭平さん著の「生きのびるための事務」の中に「未来の現実を考える」という章がある。今日読み返してみて面白かったので書かれている通りに自分でも試してみた。やり方はとても簡単で誰でもできる。
まず紙に大きく円を書き、現在の24時間の過ごし方をプロットする。7:00-8:00は朝食、8:00-9:00はダラダラ過ごしてそこから仕事、12:00から昼食で...という感じ。1日にかかるお金も書く。こうして今の現実を具体的に書き起こす。自分の場合は業務委託として働いている月火水と、個人開発デーの木金でけっこう違うので2パターン書いた。
次に「未来の24時間」をプロットする。10年後の自分はどういう時間を過ごしていたいか。起きるのは変わらず7:00でいいかとか、朝は散歩したいとか、仕事は15時頃に終えて夕方は本読んだり絵描いたりして過ごしたいなぁとか、想像しながら書いていく。こうしていくと10年後の自分がどう過ごしてるかが具体的になる。あとはその理想通りに時間を過ごしていけば、未来は手元に手繰り寄せられるという寸法だ。
このスケジュールに沿って動けば好きなようには生きていける。でも生活にはお金が必要。そこは「生活していけるだけの評価」を得ないといけないと本書にはある。
まず前提として「好きなことをやる」と「評価される」の間には壁がある。自分が没頭できることが世間から評価されるとは限らない。人からの評価を気にして自分の好きなものにハマれなくなっては本末転倒だ。
しかし評価されないとお金が発生しないので、生きるのに必要なだけは割り切って評価してもらう。ピカソなどの有名な芸術家も自分の世界観の作品を作るのとは別で肖像画を描くなどお金のための活動もしていた。
自分の場合ずっとやっていきたいのは個人開発で、いろいろ作ったりアイデアを具現化させたりするのは楽しい。これがたまにお金になる。好きで作ったものが誰かにとってお金を払うくらい価値があるものだという事実はうれしいが、お金を稼ぐことを目的にすると途端に面白みが減衰していく感覚がある。自分でめっちゃいいと思った機能を追加したとして、誰にも使われなかったらガッカリしてしまうみたいな(本来自分がうれしいだけで良いのに)。
なので整理としては個人開発で自由に作るのが「好きなことをやる」、それが売れたり技術や知識をもとに誰かを手伝う(業務委託)のが「評価される」という仕分けになる。お金はこれでOK。あとは時間の過ごし方で、現実と未来の24時間でギャップがあるところを埋めていけばいい。大きくズレてるのは朝の仕事が始まる前までの時間の使い方と、夕方の運動の時間があまり取れてないところあたりか。9月はこのあたりを意識してやってみて、また月末になったらその時の24時間をプロットしてみたい。
AIが仕事をする裏で
週末に本棚ができ、家のなかの本を集めて整頓した。きれいな状態のものは10冊ほどメルカリに出した。基本的に線を引きながら読むので出品できるものは少ないが、ハードカバーの小説とか図鑑的なものはきれいなので売れる。2冊くらい売れたら近くのコンビニまで持っていく。これが最近の散歩ルーティーンになっている。
最近は仕事でコードを書くことが多く、設計も実装もAIと二人三脚で進める。一度AIに依頼するとこっちのターンになるまでちょっと時間がある。何かするには短く何もしないには長い時間。近ごろはこの時間で机周りの掃除や整理整頓をしている。
今日はサイドチェストの中身を片付けた。2段の引き出しが着いた木目調のもので、学習机に付属している机を想像するとイメージに近い。すごく気に入っているわけではないけどもう5年くらい使っている。新しいのが欲しくて何度か探したけど中々ピンとくるものに巡り合わない。一度いい感じのものを見つけて購入までしたが、金額が高すぎて徐々に不安が募ってきて最終的にキャンセルさせてもらった。「迷う理由が金額なら買え」という言葉もあるが、なんとなく自分の身の丈を越えている気がした。
そんなサイドチェストの引き出しの中。散らかっている最大の要因は使い終わったノートが適当に入れられていることだ。自分は話を聞いたり考えたりするときにメモしながらじゃないと頭に入らないところがあり、数年前からロルバーンのノート(黄色)を愛用している。仕事でもプライベートでもノートとペンを常に持参している。いろんなことを書き殴るので1ヵ月に1冊のペースで使っていて、過去分を捨てるのもなんか違う気がして一応すべて保管している。放っておくとこのノート類が散乱してとっ散らかるので手を入れないといけない。
AIにコードを書いてもらって仕事を進めつつ、机周りもスッキリして考えやすくなる。以前は30分働いて5分家事をするというポモドーロテクニックの亜種みたいな方法でペースを取っていたけど、今はAIの時間感覚に振り回されている。
自分がなれない姿に憧れる
「アンビシャス 北海道にボールパークを創った男たち」を読んでいる。鈴木忠平さんの本は「いまだ成らず」「嫌われた監督」に次いで3冊目。この方の文章はハズレなし。今回もプロローグの数ページを読んだだけで一気に引き込まれてしまった。
テーマは日本ハムファイターズの本拠地移転。球団、オーナー企業、役所、etc... この大事業に関わった人たちに焦点を当てる。個人的には野球にほとんど興味がなく、プロ野球もメジャーリーグも見ずに生きてきたが、それでもこの本は面白い。北海道に行ったらボールパークに行ってみたいとも思っている。野球がテーマではあるが、調整の進め方や熱意を持った提案など自分の仕事に通ずるものもある。
昔ヤフーの社長と話したとき「大きなことを成し遂げたいなら他人を動かす力を、自分のサービスを作りたいなら技術力を身につけたらいい」と言われたことを思い出す。その時は自分のサービスですかぇと曖昧な返事をしたが、アンビシャスに出てくる人たちは前者に近い。球団や市役所などで成果を挙げ、責任あるポジションに着いた人たちが大きな構想を実現させていく。これは個人開発では到底辿り着けない領域。尊敬しかない。
人は自分にできないことに憧れる。「こうはなれないな」と思ってリスペクトする。でもそれは人それぞれの生き様で、隣の芝は青いに他ならない。自分は自分の道を突き詰めていくことしかできない。自分の好きなこと、熱中できることを見つけて取り組む。それはこの本の登場人物も我々も変わらないはず。
すこしの工夫で
友人と趣味でやってるPodcastにお便りが来た。最近はオーディション番組「THE LAST PIECE」の話をもっぱらしていて、お便りの内容はその感想のようなもの。熱量とユーモアが入り混じった長文が届き、朝からクスリとする。良い一日の始まりになった。
昼休み、技術サイトに投稿されていた「角を取るだけでは勝てないリバーシ」を遊ぶ。普通のオセロは角や端を取るのが有利だがこれは違う。「ポイント制で、石をひっくり返すたびに2, 4, 8, 16, 32... のように値が大きくなる」「1000ポイント取るとその時点で勝利」この2つのルールが加わるだけで全然違うゲームになる。よくひっくり返る中央ほど点数が高くて大事になる。逆に角は最後の方にしか置けないので勝負ポイントにならない。ちょっとした変更でこうも違うゲームになるのかと面白い。
CPUと対戦するようになってるが、CPUは特別ルールに関係なく順応してるのも面白い。仕組みとしてはこの先どこに置くと自分にとって有利か?を毎回シミュレーションしている。3手先まで読むのと10手先まで読むのとでは当然後者が強い。そんな感じで読みの深さでレベル分けされている。最後の局面まで読み切れば絶対に勝てる。そんなわけで人間がオセロでAIに勝つことは不可能とされているが、こうやって横にずらしたルールでも同じロジックで強いというのが面白い。
こういう既存のルールを転用したゲームみたいなのはAI時代けっこう気軽に作れそうな気がしている。例えばマインスイーパーは昔からあるが、その対戦版のようなものがMSN Messenger(なつかしい)で遊べて中学生くらいの頃にハマっていた。お互いマスをめくっていって先に爆弾を引き当てると勝利のようなルールだったはず。シンプルなゲームをちょっとした工夫で面白くする。こういうことができる人はたぶん普段喋っていても楽しい人ですよね。
仕事でしんどいことがあったとき、昔は同僚と飲み会でネタにして笑ったりしてたがリモートでは難しい。みんなどうしてるんだろうか?自分はたぶん日記とかに「書く」ことで幾分か気を晴らしている。でも晴れ具合でいうと「喋る」の方がやっぱり強い気がしていて人と話したい時がある。芸人は昔あったイヤな思い出もエピソードトークとして笑いに昇華する。どんなことも後で振り返れば笑い話にできる。そんな感じの態度でいたい。