だらだら過ごす時間を肯定する

2025/05/07

生産性やタイパという言葉が流行する世の中に影響され、何もせずダラダラ過ごす時間を楽しみづらくなっている。ベッドで二度寝する、ソファでゴロゴロしながら映画を見る、スマホで漫画を読むなどをしていると時間の使い方が合ってるのか気になって全力で楽しめない。「朝早起きして一日を有効に使おう」という本を読むたびに朝起きれない自分を責めてしまう。自分を律するために自分ルールを定めてみるのは良いが、それを破った時に過度に自分をいじめてしまうのも辛くなる。自分の目指す方向は定めつつ、たまにサボる自分も認めてあげたい。

「これではダメだ」と思っているとその時間を楽しめない。例えば二度寝するとき、どうせ二度寝するなら窓を開けて光を入れながら寝たら心地いい。漫画を電子で読むのもiPadの大きなスクリーンで読んだらもっと面白い。「こんなことしていてはダメだ」という気持ちが全力で楽しむ自分にブレーキをかけ、その結果薄く長くその行動をしてしまう。漫画が読みたいなら読んだらいい。ただし飲み物を準備してiPadの大きな画面で本当に楽しんで読む。昼寝しすぎてしまったら夜起きて活動すれば良い。同じ時間に寝ないとリズムが崩れて睡眠学的には良くないようだが、これまで不規則に過ごした日も何度もあったのだから気にしすぎない。やってみてやはり翌日のパフォーマンスが上がらないと自分で実感するなら修正すれば良い。習慣は敵ではなく自分の味方につけておく。


木こりのジレンマ

2025/05/06

ある木こりが刃こぼれした斧で木を切っている。通りがかった旅人が「刃を研ぐともっと早く木が切れるよ」とアドバイスすると、木こりは「木を切るのに忙しくて、そんな暇はない」と答える。木こりのジレンマと呼ばれる寓話で、目の前の作業に集中するあまり全体の効率を下げてしまう現象を表している。「全体を見て業務改善の時間を確保しましょう」というのが教えだが、現実ではもう少し問題は難しい。刃を研いでも木を切る速度があがらなかったり、刃を研ぐつもりが実はそれは柄を装飾する行為だったりと落とし穴がいくつもある。

生成AIが注目されていて、自分の仕事にどうAIを組み込むかを誰もが考える。毎日「マーケターの仕事は終わった」「これからはAIに作ってもらう時代」という言説が飛び交い、なんだかそれっぽいデータや動画が添えられていたりする。AIが今後本流になることに疑いの余地はない。では目の前の仕事に導入していこう・・となると途端に何をやればよいか分からなくなる。それっぽいツールはあるが、学習して現場で使えるレベルまで習得するにはコストがかかる。そのコストに見合う対価が得られるかはやってみるまでは見えにくい。目の前の仕事を棚に上げてそこに投資して良いのか?この判断にはバランスが求められる。

AIはトレンドのキャッチアップだけでもエネルギーを消費する。エンジニア目線での自分の考えとしてはChatGPTを汎用壁打ち相手に使い、CursorのAIエージェントで実装を丸投げするような体験を理解できてれば今のところはOKだと思っている。勉強のために色んなツールを触ったり自作してみたりするのは良いこと。しかし現場で役に立てるものをというと今時点ではそこまで多くはないと思っている。ChatGPTの代わりにGeminiやClaudeを、Cursorの代わりにClineやWindsurfを使っても勿論良い。このあたりはすぐに差が埋まっていくので好みで選んで大丈夫。やることが山積みなのにツールの比較に時間を費やしすぎないこと。やるべきタスクを効率的に捌く手段としてAIを活用する。繰り返しになるが、勉強やAIの理解のために各種サービスを比較するのは勿論良いこと。

エンジニア以外はどうか?たとえばプロダクトマネージャーが新機能の仕様を考える際、どういう機能を作るべきかは代わらず人間が考えることになる。AIに任せるのは過去のインタビューの整理、競合調査、技術的な実現可能性、利用データとの照合、会社の方針と合っているかの確認などのタスクが考えられる。これらをAIに効率的にまとめさせ、人間のインプットとする。それを受けて仕様をざっと書き出し、またAIに依頼して整形してもらう。今思いつくのだとこんな感じになるだろうか。エンジニアの仕事と比べて分解したタスクの一つずつを渡しているような感覚になる。ここで注意したいのがこれまでのやり方が今後も本当に最適解なのか?という視点。人間がやるのとAIがやるのではルールが違う。仕様書を丁寧に作らなくてもAIアシスタントを介せばエンジニアに伝わるかもしれないし、開発速度が上がって機能の優先順位を考えずとも並行で5-6個の機能をリリースできるかもしれない。人間のやり方にAIを合わせるのではなく、AIに適したフローにどこかで作り替えるのも選択肢としてはある。

こうやって考えているとまた手を着けづらくなってきた。自分のポリシーとしては理論より実践、絵空事より目の前の仕事を着実にこなす方が偉いと思っている。目の前の仕事のネックになっているのはどこかを考える。それが仕事量ならAIを使って効率化するし、ユーザーが獲得できてないことなら新機能をバンバン作って魅力を上げる。AI時代でも依然大事なのは課題発見と仮設思考。アプローチの方向が見えた上でAIを学ぶ分にはそこまで時間はかからない。本当に困っていることなら学ぶモチベーションも高く保ちやすい。まずは緊急度の高い課題でAI導入をフットワーク軽く試し、小さく手応えを感じるところから始めるのはどうだろう。


お気に入りのPodcast番組が改編されていた

2025/05/05

よく聞いていた雑談Podcast番組「TRY-CATCH FM」が改編され、更新頻度が週4回から月1回に変更になっていた。そのお知らせが出てからもう2ヵ月経った今気づいたので熱心なリスナーとは言えないが、たまに思い出してはダーッと聴いていたので更新が減るのは残念。理由としてはPodcast以外に力を入れたくなったということで、Podcast番組のリスナーも伸び止まりして番組を大きくしていく感じではなくなったらしい。継続することと外からの評価されることはイコールではなく、評判を求めて続けることの難しさを感じる。

自分も友人とPodcast番組をやっているが、それは完全に趣味で話すこと自体が目的になっている。番組のリスナーを増やそうとか、収益化しようとかは露ほどにも思っておらず、たまに番組にお便りが寄せられる現状で大変満足している。更新ペースも適当で、話したい内容が多い時は週2の時もあるし、1ヵ月以上空くときもある。「毎週月曜更新!」などと分かりやすく印をつけた方が人は集まりやすいが、自分との約束が増えて荷物が増えてしまうし、もし月曜に更新できなかったときに申し訳ない気持ちになる。複数回更新に穴があくと番組を続けていく意味があるのかな?などと真面目に考えてしまうだろう。ただ友人と話したいことがあるから集まって話している。ゴールのない趣味は継続しやすい。

一方でそれをビジネスとしたいなら、ある程度強制力を持ってやる必要がある。YouTubeなら更新頻度を高める必要があるだろうし、ライターを目指して毎週文章を書くならそのテーマや質にはこだわる必要がある。公開した際は全力で告知することも大事。ファンがつくかは運の要素もあるが運以外の要素を最大化するように努力する。短期的に結果が出ることは少ないのでそれを継続する。そういう努力の先に自分の目指すゴールがある。

結果が出ないまま努力するのは難しいこと。そういう場合は「この活動を1年続けてみて結果が出なければ辞める」など期間を決めて取り組むのは始めやすい。仮でもゴール地点が見えていれば頑張りやすいし、筋の悪い道に延々と時間をかけてしまうリスクの防波堤にもなる。この日記は書きたいから書いてるだけだが毎日更新は1年間やったら終わりにしようと思っている(今年の8月まで)。フリーランスになってAIサービス開発をいろいろ試すのは2年でやり切ろうと思っている。学生時代と違って社会人生活は3年や4年ごとに勝手に小中高と環境が変化したりしない。自分で区切りを作り、テーマを設けて取り組んでいく。


ある日突然昇進の打診を受けたら

2025/05/04

以前の職場でリーダー的なポジションをやってほしいと打診されたことがある。正式に決まる前の相談のような感じ。当時は右も左も分からず引き受けてしまったが、本当ならいくつかの点を事前に確認する必要があったように思う。

まずは待遇について。給与はどうなるのか、働き方はどう変わるのか。自分の中でお金の優先順位が低い場合にも職位に対して対価を払う意思のある組織かどうかは確認できる。

お金ではなく経験を重視する考え方もある。その場合はそのポジションに着くことで何ができるのか、どういう権限が与えられているのかを擦り合わせる。技術スキルを高めたい時期に組織のマネジメントに手を出すと望んだものは手に入らない。最近の組織は立場によって偉くなるなんてことはなく役割が変わる。その役割でできる仕事が自分がチャレンジしてみたいことなのか、買ってでもしたい苦労なのか。変化は少なからず自分のエネルギーを消耗させる。それに見合う価値のあるトライなのかは一度立ち止まって考えても良い。

迷いがあるなら先輩たちの話を聞くのも有効。すでにそのポジションをやっている先人と話し、得られたこと辛かったことを聞く。その体験が自分の興味とマッチするなら前向きな材料になる。

こうして振り返ると冷静に考えれるが、20代の勢い任せだった頃に同じ判断ができるかは分からない。いろいろ手を出してみたからこそ自分の好きなものが分かるという考えもある。ただ少しでも迷いがあるなら立ち止まって考える時間を持つことは、今では自分の中でポリシーのひとつになっている。


Skypeがサービス終了した

2025/05/03

2025年5月をもってSkypeがサービス提供を終了した。Skypeは大学時代に大変お世話になり、研究室の友達と連絡を取るのによく使っていた。海外に留学していた友達とビデオ通話したこともある。国際電話が高いというイメージがあった時代に無料で好きなだけ話せ、良い時間を過ごせた。社会人になってからはオンライン英会話で使っていたが、英会話サービスが少しずつ自社サービス内でのビデオ通話に対応していき、最近はほとんど開くこともなくなっていた。

一世を風靡したサービスが時代の変化で陳腐化し、下降していく流れはWeb界隈では珍しくない。ニコニコ動画、YouTube、Tiktokを使う年齢層は分かれている。サービスが支持され急成長するためにはそのサービスのコアなるものが必要だが、このコアへの重視が自身を変えることの抵抗になってしまう。InstagramがSnapchatを真似してストーリーを作ったように、YouTubeがShortに対応したように、自分の道から外れたことも柔軟に吸収することが長生きには必要だ。

良い体験を提供する分には後発のサービスの方が有利だ。道を切り開いたサービスはその過程で試行錯誤があり、ごく一部の人しか使っていない人気のない機能も多く抱えている。後発は先人が切り開いた道をみて学ぶ。よく使われている本線の機能だけをピックアップし、それを磨いて最高の体験にして提供できる。Skypeが各サービスに与えた影響もとても大きいと思う。こうしてWeb全体の新陳代謝が進み、より良いインターネットが作られていく。