「ビジネスを育てる」を読んだ
「ビジネスを育てる」を読んだ。1987年に出版されてから50カ国以上で販売されているスモールビジネスについての本。書かれたのは35年以上前だが内容はまったく古さを感じない。例えばかつては大企業が「規模」で戦っていたが近年は「個々人への最適化」が焦点となっているという話。最新のビジネス書でもまったく同じ内容が紹介されている。
スタートアップの経営チームとして頭を使っていた時期があり、その頃は会社の成長についてよく考えた。シリコンバレーには「T2D3」という言葉があり、これは3倍成長(Triple)を2年連続、そして2倍成長(Double)を3年連続でしよういうひとつの指標。出どころは不明だが急速な成長は投資家からは歓迎される。海外の有力スタートアップと渡り合うためにはこれくらいを目指さないといけない、という考えがあるのかもしれない。
本書ではそんな風潮とは真逆のことが書かれている。
成長率が10%だろうと150%だろうと関係ない。そんなことは問題じゃない。他人と比較してはいけない。メディアが好んで騒ぐ「スピード成功」なんて忘れることだ。大切なのは、成長率の数字ではなく、成長があなたにとって心地よいかどうかだ。
自分のサービスを見れば「もっと広がりそうか」「十分広がったので作り込むタイミングか」などは判断できる。市場の平均値と戦ったりメディアの話題に影響されると外部からの目線でサービスを見ることになる。今じゃないタイミングでアクセルを踏んでしまえば疲弊して、逆に寿命は短くなる。
経営者がするべき仕事についても明記されている。それは「魅力的な問題が発生する会社にすること」。どの会社でも問題は必ず起きる。コントールできるのはその問題の質である。取り組むのが面白い問題があれば、それを解決できるだけの賢い人は必ず集まる。あなた自身が問題を解けなくてもよい。ただ良い問題が起きる環境を整え、問題の数が多すぎないように適度に取捨選択できればそれで良い。
本の中で紹介されている信念は「成功するビジネスとは、個人がのびのびと自分を表現することでもたらされる」。成功への道というと何となく実直で、真面目にコツコツと進めることが大事なようなイメージがある。それももちろん大事だが、自分のアイデアはのびのびと表現してもよい。表現してもよいどころかそれが成功をもたらしてくれる。本気で何かに取り組むとつい真面目モードになって視野が狭くなってしまうことが多い。行き詰まったときこそ遊びを取り入れる。いつでもユーモアを持って楽しく表現と向き合う。
自分の部屋
三兄弟の末っ子に生まれたので自分ひとりの部屋を持つのは遅く、高校生の途中くらいまで兄と二人部屋の状態が続いていた。初めて自分一人の部屋をもらったときに嬉しかった記憶はない。なんとなく同じ空間に人がいて、そこで勉強をしたりゲームをしたり、二段ベッドで寝たりするのが好きだった。
大学の頃に実家の建て直しがあり、その間は仮の家で数ヶ月ほど過ごした。その頃には兄は二人とも家を出ていて子供部屋は自分だけ。メタリックなラック棚にテレビやコンポなどを並べて自分の自由にできたが、その部屋どう過ごしていたかはあまり覚えてない。大学生になってあまり家で過ごさなかったのもあるが、一緒に遊ぶ相手がいなくなったのも大きかったような気がする。
本などを読んでいると自分の子供部屋を手に入れたときの高揚感が描かれているシーンがあったりするが、自分にとってはそれは少し寂しいタイミングだったりする。兄と歳が離れていたのもあり、先に二人は大人になってしまい、自分だけが子供のまま取り残されたような感覚が社会人数年目まであった。最初から一人でいることよりも一緒にいた人が去って一人になる方が寂しい。今ではたまに実家に集まるとゲームをしたりする。昔ハマったゲームも最新のゲームも、同じように笑って楽しんでいる。
手に馴染んだ道具は意識から消えていく
「モードレスデザイン 意味空間の創造」を読んでいる。デザインの本質に迫る金言ばかりで読んでいてとても面白い。その中のひとつ、道具についての論考に「ハンマーで釘を打つとき、ハンマーの使い方を意識することはない」という一文がある。良い道具は手に馴染むと意識から消え、「釘を打つ」という目的に集中することができる。
これはハンマーという道具がシンプルなことによる作用に思えるが、そうではない。例えば自動車はハンマーよりはるかに複雑だが多くの人が操作でき、運転中はそのシステムに思いを馳せることはない。これはハンドルを回した分だけ車輪の向きが変わる一貫性と、フロントガラス越しの景色で自分の操作がどう反映されたかすぐに理解できるフィードバックの滑らかさに基づいている。これが仮に「左に30度曲がる」ボタンを押して操作し、「現在の景色を表示」ボタンを押して景色を確認するようであればまるで違う体験になる。こう書くとバカらしく思えるが、実際に業務アプリケーションの多くはそんな使い勝手になっている。
一度自転車に乗れると乗り方を意識しなくなるように、スキルを習得すると無意識でできることが増える。例えばパソコンで「diary」とタイピングする場合、不慣れな人は「d」「i」「a」「r」「y」と一文字ずつ意識するが、成熟した人は「diary」がひとつの単位になる。さらにエンジニアなど日常的にタイピングする人たちにとっては指が勝手に動くような感覚にも近い。キーボードで文字を打っているという感覚は限りなく少ない。
ギターで曲を奏でるとき、弦を抑えるために普段使わない形に指を変形させる。これも慣れるまでは反復練習が必要。人間にとって自然ではない指の形にはなるが、人から音が出るというのが自然ではないことなので変ではない。人間は自分たちの能力を拡張するために道具を作ってきた。使いやすく、無意識でも使えるパーツを装備していくことで人間自身の可能性を拡張している。
言いづらいことを言う
相手がうれしくなるような言葉は言いやすい。本当に関係性が求められるのは言いづらいことを話すとき。相手が悲しむかもしれないけど自分のリクエストを伝えたいときは必ずある。そんな時に「嫌なら嫌と言ってくれるだろうから本心を伝えてみよう」と思える関係性は強い。
そもそもとして、相手のためになるという理由で厳しいフィードバックを伝えることは基本しないようにしている。自分の足りてないところを指摘されるのは多少なりともしんどいこと。尊敬している相手から覚悟を決めて聞くならまだしも、そこらの信頼関係もそれほどない人からフィードバックされても受け入れるのは難しいだろう。「こういう考え方もあるよ」「こんなキャリアの人もいたよ」と自分が見てきたもので材料を増やすことはあっても、その人のスタイルや選んだ道を批判することは絶対にしない。
その上で、本当の心理的安全性とは言いづらいことも言える環境だという話がある。言いづらいことの中には厳しいフィードバックもあるが、これは個人ではなくチームを向いている。「相手を変えるため」ではなく「チームの活動をより良くするため」の発言。これなら良いチーム活動をしたいという前提が揃っていれば意味のある会話ができる。最近読んだ「水中の哲学者たち」のなかで「自分よりも真理を優先する」という言葉が出てきた。自分の意見は大事にしつつ、より良いアイデアが誰かから出たら恐れずそれを取り入れる。対立より対話を大切に、変化に柔軟なスタンスを取っていたい。
結果を急ぐと逆に遅くなる

プログラミングで少し難しいことをしている時、いきなり完成物を作ろうとすると逆に遅い。これは何かに躓いた時にそれを直視せず、ゴールの方だけ見てもがきながら進もうとしてしまうため。簡単なタスクならそれでも走り切れるが、難易度が高いものでは躓きが次の躓きを呼びこのやり方では挫折してしまう。遠回りに見えてもひとつずつ理解した方が結局早い。
趣味で将棋をやっているが、将棋ウォーズで4月中に2級にあがることを目標にしている。目標がある方が学習にゲーム性があって良いかと思ったが、一局一局を大事に振り返らずにすぐ次の対局を始めてしまい積み上がらない。これでは同じミスを繰り返してしまう。目標をめがけて真っしぐらに進むよりも、丁寧に一歩ずつ進んだ方が結局早い。
プログラミングも将棋も誰かに成果を求められてるわけではない。急ぐ必要は早いのになぜ短期で成果を出そうとしてしまうのか?「早くリリースしたい」「早く上達したい」、その早さを求める自分の心はどこから来ているのかと考えると他人との比較が根底にあるかもしれない。同じ物事を自分の方が早くできた、というのは子供の頃から褒められることだった。そのロジックは無意識に刷り込まれている。いまリリースしないと機を逃すかも、という焦りも他人より上手くサービスを届けれる自分でいたいという比較級。比較は幸せから遠い位置にある行動だし、機を逃す如何もタイミングよりサービスの品質に問題があって失敗する方が遥かに多い。
人の期待に応えようとすればするほど、自分の力を示そうとすればするほど成果を焦り逆にゴールが遅くなる。本当は自分のペースで一歩ずつ進めばそれでいい。目標を真面目に捉えすぎず、もっと遊びの要素がある方が上手くいくのかもしれない。