「成長疲労社会への処方箋」を読んだ

2025/08/23

成長疲労社会への処方箋」を読んだ。資本主義のベースには競争があり、競争社会では人々が「もっともっと」と上を目指していく暗黙のルールがある。メンタルを崩す人や過労死はその成長社会の反動として現れている。最近は競争や生産性とは違う軸で物事を見たいなという思いがあり本書もその一環で手に取った。これがとても面白くて一気に読み終わった。

現代は能力主義だが、現代の指す「能力」はとても狭義で、効率や生産性などの向上、つまり効果的にお金を生み出すスキルを指すようになっている。本来人が持つ能力は多種多様、それぞれの人がもつ想像性や創造性が発揮されるだけで十分素晴らしい。それがひとつやふたつの軸に無理やり押し込まれて評価される。客観的な評価にするには定量的じゃないといけない。なので定量で表現できない部分はなかったことにされてしまう。その結果本来違う特徴をもつ人々が同じような人間に整形されて歪みが出る。

次に成長についてだが、これは自分にとって一番面白かった章。何か辛いことがあると最初はそれに苦しむことになる。痛みが大きい間はひたすら治癒するしかないが、ある程度回復してくるとその痛みを自分のギフトだと捉えられるようになる。つまりその体験の表面にあるネガティブな要素だけじゃなく、ポジティブな面を見つけてそれを自分の経験だと思えるようになる。R-指定もラップスタア誕生の中で同じようなことを言っていた。ここまではそれなりに聞く話かなと思う。

面白いのがここからで、そうやって自分の痛みや苦痛を背負えるようになったとき、他の人たちも同じようにまた違う痛みを背負っていることに気づけるようになるらしい。さらに進むとコミュニティや同世代など広い範囲でそれが想像できるようになる。こうして自分→他人→共同体や時代 と自分が引き受ける痛みが変わっていくことが人間の本質的な成長という。確かに自分も以前メンタルを崩して会社を休んでいたが、それ以降は人のしんどい気持ちがよく分かるようになったと思う。「成長」と聞くと「〇〇ができるようになった」という能力的な話が浮かぶが、そうではなく引き受けられる痛みの範囲が大きくなる = 成長という考え方は面白い。

最後に、そんな成長主義・能力主義の現代への抗い方について。私たちは潜在的に「早く」「効率的に」物事を進めることが素晴らしいと刷り込まれていて、これは自分が自分に課してしまうことなので逃れにくい。それならば逆説的に、あえて時間がかかるようなことに腰を据えて取り組むことが処方箋になり得る。それは例えば植物を育てるとか、日記を書くとか、じっくり絵を描くとか、編み物をするとか。「何に役立つのか」という考えから離れ、ゆっくりと時間をかけて何かに取り組むことで少しずつ自分の時間感覚を取り戻していける。

体がウィルスの免疫を作るように、私たちは溢れる情報や時間の過剰な流れについて免疫を高めていかないといけない。仕事とはまったく関係ない、好きな活動をして寛いでいる時間が1日にどれだけあるのか。そういう感覚に自覚的になっていきたい。