「ちょっと踊ったりすぐにかけだす」を読んだ

2025/09/20

ちょっと踊ったりすぐにかけだす」を読んだ。著者はデイリーポータルZでライターをされている方で、子どもたちとの3人暮らしの様子を綴ったウェブ日記を書籍化したもの。最近はエッセイや日記にハマっておりいろいろ読んでいたけどこれは抜群に面白い。読み終わるのがもったいなくて1ページずつ大事に読んでいたがついに読み終わった。

この本で書かれてるのは何か巨大なものを作り上げた経験だったり、人生で一度しかないような珍しい体験ではない。もっと毎日に現れる些細なもの。それを喜んだり悲しんだり慈しんだりしながら書き留める。まさに「日記」という感じで、読んだ後には会ったことのない娘さんや息子さんに親近感を覚えてしまう。

自分も毎日こうして日記を書いているけど、古賀さんの文章は一人称で書かれているのがすごいと思う。例えば自分の文章には「〜と言われている」とか「多くの人が〜している」みたいな俯瞰が入り混ぜになってたりして自分の心情にフォーカスしきれていない。古賀さんは思ったことをそのまま書き、すごいと思ったらすごいと言う。人の生活をのぞき見しているような気持ちになる。日常の些細な心の動いた瞬間を書く。読んでいると自分の毎日にも気づかないだけでこういう瞬間があるなぁと気づけるようになる。

紙面の空いたスペースにメモを書きながら本を読むのが自分のルーティーンになっている。普段はその本のテーマに関する内容を書き込むことが多いが、この本を読んでいるときは全然関係ないいろんな考え事がよく浮かんだ。日常への解像度が引き上げられたためだと思う。当たり前にある日常を再発見するのは難しいけど、この本はその足がかりのひとつになった。


コーチングの参考書

2025/09/19

昨日は久しぶりにお酒を飲んだので朝は頭がやや重い。紹興酒を割ったドラゴンハイボールを頼んだが味が重たくて飲むのに時間がかかった。昔は好きでよく飲んでいたので体の変化を感じる。お酒の場の楽しさと次の日のバランスを考えるようになってきてしまったな。

今日は仕事のない日なのでゆっくり朝食を食べてYouTubeを見漁る。THE LAST PIECEの12.5話が上がってるのに気づいて慌ててチェック。毎週金曜配信だがたまにイレギュラーで週半ばに配信される。しかもサブではなくガッツリ本編でアガった。今日の夜が最終回でデビューメンバーが決まる。メンバー発表もそうだがSKY-HIのフィードバックコメントを楽しみにしている。合格でも不合格でも本人のことを第一に考えたコメント。どんなコーチングの教科書よりも勉強になる。

昼は個人開発。toneというタスク管理アプリで目玉となりそうな機能を作っている。機能追加には磨き上げる改善系のものと、価値をぐいっと広げる系のものとに分かれるが今やってるのは後者。まだユーザーも全然いないのでひらすらいろんな価値を提供していきたい。今の目標は「最初のファンを作ること」。気に入ってブログやXで紹介してくれたり、要望のフィードバックを送ってきてくれるようなユーザーが1人生まれる状態を目指している。

夕方にゴロゴロしながら「Beautiful Life」を見る。キムタクと常盤貴子の名作ドラマ。映像はかなり古さを感じたがストーリーは今でも通用する王道のもので名作たる所以を感じる。常盤貴子は足を悪くして車椅子に乗っているが、建物が段差だらけでお出かけがしづらいみたいな描写がされていた。今はバリアフリー法とかも出来て状況が少しは改善している気がするけどどうなんだろうか。家の電話で通話する、タバコを路上に投げ捨てるなど時代を感じるシーンがいくつかあったが、個人的にはキムタクが図書館で本を机に投げ置く場面が気になった。荒々しい役でもないのでもっと丁寧に扱ったら良いのに。


インターネットとの出会い

2025/09/18

歳の離れた兄がおり、その影響で小学4年生の頃から家にパソコンがあった。ディスプレイやキーボードのかっこよさに惹かれて特に理由もなくよくパソコンを立ち上げていた。パソコンを意味あって使うのはゲームの攻略情報を検索するときくらいだったが、友達が遊びにきた時に「お絵かき掲示板」なるものを見つける。マウスで絵を描いて投稿し、それにコメントがつけられるという簡単なものだったけど、誰か知らない人からコメントをもらうドキドキがあって当時はとても面白かった。

もう少しネットに慣れてくるとオンラインのブラウザゲームにハマるようになる。特に思い出深いのが「エンドレスバトル」というゲームで、ガンダムのような機体を一体選んで自分のキャラクターにし、ボタンをポチポチ選んで強化したり他のプレイヤーを攻撃したりするものだった。いくつかの国があり、各プレイヤーはどこかの国に所属する。チャットは基本的にその国の中の人と会話できる。どこの国を奇襲するとか、宣戦布告して決まった時間に両国のプレイヤーが集まって戦うとか、交流も含めてとても面白いゲームだった。

よく交流した人とはMSNメッセンジャーのコンタクトを交換して繋がり、他のゲームを一緒にしたりもした。その中の一人にプログラミングの知識を持っている人がいて、簡単なJavaScriptを書いてエンドレスバトルの画面の見た目を変えたり、他の国のチャットに入室したりを披露しており、その不思議さに惹かれてプログラミングに興味を持ってエンジニアになることに繋がった。

中学生の途中くらいで熱が冷めてその界隈とは切れてしまったが、大学生になったとき特に仲の良かったゲーム友達が久しぶりにチャットしてくれたことがあった。その人は神奈川で塾講師をしているらしく、そこで使う数学の問題を作ってくれないかと頼まれて何問か作るバイトをした。その時に色々話し、やっぱりこの人は面白いなぁとか、当時はいろんなゲームをしてたなぁと懐かしくなった。ゲーム自体はそこまで得意じゃないが、オンラインでチャットしながら遊ぶのがあの頃はとても楽しかった。本編を無視していろんなステージに行って散歩したり、記念撮影したりと自由に遊んだ。今でもできないことはないが、あの頃ならではの時間の密度がそこにはあったように思う。


理解者

2025/09/17

高校1年生くらいまでは身長が低く、背の順ではいつも一番前に並ばされていた。ある日教室で保健の授業を受けているとき、「救出時の人の抱え方」みたいなのがテーマになり、一番前の席に座っていた身軽な自分が呼ばれて若い男の先生に見本として抱えあげられた。それはあっという間のことだったが、そこまで親交も深くないクラスメート達の前で辱められた気持ちになり、その先生のことは好きだったので反動のショックを受け、今も解決できないモヤモヤを抱えている。思い返せばその時友達と喋って騒がしくしていた気もする。注意の意味も込められてだったかもしれないが、それなら普通に注意して欲しかった。

高校3年のとき、個人の好みでかなり態度に差をつける数学教師がいた。いつもうるさくしていたサッカー部のメンバーには優しく、同じことを一回でも自分がすると厳しく怒られた。子どもながらに理不尽を感じていたと思う。三者面談の時に母親が「あの先生ちょっと変やな」と言っていた時は自分の理解者がいると思ってうれしかった。学校生活で尊敬できる先生に出会ったことがなく、卒業後に母校の先生に会いにいったみたいな話を聞くと環境が違うなと感じてしまう。

社会人になった今は自分で環境も選べるようになり、周りは優しい人ばかりでとても生きやすい。Web業界の性質もあってか上下関係も厳しくなく、あってもゆるい先輩・後輩くらいの関係で何かを押し付けたりすることがないのがうれしい。自由奔放に生きたいというわけではなく、勝手に誰かの価値観で測られたり押し付けられたりして消耗するのが苦手なだけ。誰かの規定した箱に体を捻って入るのではなく、自分なりの物差しを持てたらよい。


「流行りそう」では作らない

2025/09/16

三連休はほとんどパソコンに触らず本を読んだりして過ごしていて、自分の中のものづくり欲が枯れてしまったのかと心配になったが朝にプログラミングを少しするともっと続きをやりたくなり平常運転に戻った。やる気が起きて動くのではなく動くからやる気が出る、というのは真実。今日は仕事の日なので途中で中断し、夕方退勤後にまた続きのソースコードを書いた。

最近は「AI時代の開発組織」とか「AI時代の学習」とか、AIそのものよりひとつ大きな括りの話をよく見聞きする。AI開発への驚きを一通りみな表明したので次のステージに移ったのかもしれない。自分は変わらずAIアプリケーションの可能性を信じていて、AIで面倒なことが楽になったり日常が楽しくなったり、そういうユーザー向けの何かを作ることに興味がある。技術面や組織でのAI運用に比べると日本ではあまり盛り上がってない気もするが、直接的に生活をよくするポテンシャルがAIアプリにはあると思う。

社会人になってから15年くらい個人開発をしていて、いろいろ好きに作ってきた。次は何を作ろうかというのも常に考えている。日常の課題から考えることが多いが、それは数年後に見返すとまったく使わなくなってたりする。その時々で直面する課題は変わる。例えば昔は「位置と連動するリマインダーアプリ」を作りたかった。コンビニに近づくと「牛乳を買う」、ポストに近づくと「封筒を投函する」みたいに通知してくれるもの。しかし今は家で仕事をしているのでまったくいらない。昔より行動がゆっくりになったからか忘れ物も少なくなっている。こうやって輝きがしぼんでいったアイデアがいくつもある。その代わり今気になる別の問題、面倒なことをアイデアメモに追加している。

週末に小澤さんの「小澤隆生 凡人の事業論」を読んだが、その中に「でかいことをやりたい人」と「好きなことをやりたい人」がいるという話が出てきた。前者にあたる人は業界や領域を選ばず柔軟に動ける。ビジネスチャンスに敏感でヒットを生みたい人たち。後者は医療や農業など自分のこだわりのあるフィールドで仕事に従事する。自分はかなり後者寄りだと思う。流行りそうだと思って作って当たるほど世の中甘くない。自分や周りの人が困ってることがあり、それを鮮やかに解決しようとした先に広がる道がある。