「嫌われた監督」を読んだ

2025/05/14

嫌われた監督 落合博満は中日をどう変えたのか」を読んだ。中日ドラゴンズの監督に落合博満が就任する。野球ファンが喜ぶようなロマンは追わず、現実主義にひとつずつ積み上げてチームを強くする。監督を勤めた8年間で日本シリーズ進出や優勝など好成績を収めるが、なぜかマスコミや経営チームから厳しい目線を浴び、やがて退任することになる。落合はファンやマスコミを喜ばせるようなサービストークはしない。本書は落合と近しい選手やコーチに取材し、周りから落合という人物を浮き彫りにしていくノンフィクションとなっている。

野球から遠い人生を送ってきた自分も落合の名前は知っている。子供の頃によく名前を聞いたし、社会人になってからはコーチングや育成などビジネス的な文脈での引用によく出会った。落合の考え方は成果に向けてまっすぐなのでビジネスの場面で参考にしたい気持ちもよくわかる。ただエンターテイメントとしてのプロ野球にとっては盛り上げが物足りない場面も多く、やがて球団側とのすれ違いが大きくなっていく。

たとえば完全試合間近のピッチャーでも交替させる。ファンとしては歴史的瞬間に立ち会いたいので続投させてほしいが、勝つための最善を取るのが落合監督。ただ非情な人物の決断という感じではない。選手心理ももちろん分かりつつ、それでも自他の感情よりも「勝利」を優先順の上に置いているような印象を受ける。印象的だった一節を紹介:

「心は技術で補える。心が弱いのは、技術が足りないからだ。」

落合が求めたのは日によって浮き沈みする感情的なプレーではなく、闘志や気迫という曖昧なものでもなく、いつどんな状況でも揺るがない技術だった。心を理由に、その追求から逃げることを許さなかった。

技術が足りないとき、人は精神論へと逃げる。例えばプレゼン発表で緊張してしまうとき、緊張を抑える工夫をいくらしても意味はない。それよりも発表練習を繰り返して技術を高める。意識せずとも次のセリフが出てくるようにする。この状態までいけば本番でどれだけ緊張しても間違えるほうが難しい。気合いでなんとかするのではなく技術を高める。シンプルだが本質を突いた一言だと思う。