共用エリアを綺麗に保つ
2024/10/20
『集まる場所が必要だ――孤立を防ぎ、暮らしを守る「開かれた場」の社会学』を読んだ。図書館などのインフラが街に与える影響について書かれた本で、なかなか興味深かった。
一番面白かったのは「荒廃するマンションとそうでないマンションの違い」。アメリカのとある治安の悪いエリアで、新しくマンションが建つことになった。このマンションは人気ですぐに全戸が埋まったが、やがて敷地内で窓が割られたり、薬物の取引がされたりするようになり危険なエリアとなっていく。住民たちは逃げるように引っ越し始め、マンションに空き部屋が増え、人が減ることでさらに治安が悪くなる。
ここで「やっぱ治安悪いエリアって難しいよね」となるのは思考停止で、実はその隣に立つマンションはとてもうまくいっており、住民たちは満足して暮らしている。マンション内の治安も良い。その違いは何かというと、ズバリ「共用エリアが綺麗に保たれているかどうか」。どちらのマンションでも住民たちは自分の部屋など、明らかに自分のエリアだとわかる範囲についてはきちんと手入れしていた。違うのは共用部分の廊下やロビーの扱い。うまくいっているマンションは住民全員の顔がわかる程度に小さく、そのためみな責任感をもって管理していた。新築のマンションは住戸数が多くて見知らぬ人の行き交いが多かったため、当事者意識が薄れて誰も共用部分をメンテせず、そこから乱れていったという。
数珠つなぎで本を読む
2024/10/13
8月頃から読書熱が高まっており、そのまま途切れることなく読書の秋に突入した。読みたい本を絶やさず手元に確保するために、定期的に本を買っている。
本を買う一番のきっかけは友人の紹介で、直接聞いたりブログを読んだりPodcastを聴いて、紹介されている本を買う。個人書店を応援したいのでメモしておいて本屋で買いたいが、急ぎの場合はAmazonでポチることもある。本を読んでいるとそのなかで別の本が引用されていたりする。そこで気になったものもメモして買う。こんな感じで数珠繋ぎで本を読んでいく。
本を紹介する本というのもある。「千年の読書」は生きづらさ・食・幸福などの章に区切られ、テーマごとに様々な本が紹介される。単純な列挙というよりは語りながらいろんな本を紹介していくような文体なので次々と読みたくなる。こういう本を起点に新しい本と出会うのも良い。「経営読書記録 表」はビジネス本版の紹介本だ。著者の楠木さんは錚々たるビジネス本の帯コメントを書いたり翻訳したりしている。その楠木さんが読んだ本のなかから特に印象深いものを紹介する。選書というと小説やエッセイなどが多い印象があるが、この本で紹介されるのはゴリゴリのビジネス本、しかもどれも上質なもので素晴らしい。ビジネス本は多く出版されているが、すぐに使えるテクニック!みたいなものではなく長く自分の中に残る本を読みたいと思っている。玉石混合のビジネス本のなかで、確かな目で選書してもらえるのはありがたい。
アクセシビリティに関するNのこと(後編)
2024/10/12
アクセシビリティと似ているものとしてユーザビリティがある。ユーザビリティが使いやすさを意味するのに対し、アクセシビリティはそもそもアクセス可能かどうかを表す。音声で操作できたり拡大して文字を読めたりするのがアクセシビリティ、サービスの使い勝手が良くて目的を達せられるのがユーザビリティ。バリアフリーという単語が昔はよく使われたが、それは特定の障害を取り除く意味合いがあった。いまでは障害は濃淡あれど人それぞれあるもので、すべての人にとって使えるものを提供しようというのでアクセシビリティと呼ばれる。包括するという意味でインクルーシブデザインなどと呼ばれることもある。
障害とはなにか?個人が持つものではなく、環境との間に生まれるものだと理解している。視覚障害の方でも勝手をよく知る自分の家なら楽に移動できる。外に出ると気をつけないといけないことが多い。これは外の建物やサービスで配慮が不足しているから。人と環境の間に障害があり、それはひとつずつ取り除いていける。ここでいう障害はグラデーションがある。例えば車椅子の人にとって使いやすいよう作られた駅構内は、スーツケースを引いている人にも助けになる。一時的に足を怪我し、松葉杖をついているときも助かる。人によって能力はさまざまで、階段を何段か登るととても疲れてしまう人もいるかもしれない。アクセシビリティを高めることは全体にとってポジティブになる。Webサイトのすべてをキーボードで操作できるようにするのは、視覚障害者にとって大事なことだが同時にキーボードを使いこなして効率化したい人にもよろこばれる。
ただし、「障害者のためのデザインは結局、非障害者にとっても有用だ」と安易に考えすぎるのも注意が必要。非障害者にとって役立たないものの優先度が下がるわけでは決してない(むしろ感覚的にはあがるべき)。ニュースの手話通訳や点字ブロックは障害者のニーズにのみに応える。韓国では美観上よろしくないという理由で点字ブロックの色が目立ちにくいグレーになっているらしい。全員にとって、を強調しすぎるあまり本来の問題を解決できなくなるのは本末転倒だと頭に入れておきたい。ちなみこのあたりの話は「サイボーグになる」という本に教えてもらった。障害をもつSF作家と俳優の二人が書いた本だが、社会の障害と人間の感情、テクノロジーとの関連について書かれていてとても面白かった。
長所も短所もなく特徴がある
2024/10/06
新卒の採用面接を受けていたとき、自分の考える長所や短所はどこか?とよく聞かれた。何かで読んだテクニック通りに長所は良い部分、短所は逆転すれば長所にもなりうるようなことを言っていた(人と話すのが好きなので一人で黙々と作業するのは苦手ですね、とか)。なんとなくこの問答には意味がないような気がしていた。そこから話が膨らんだことないし。今、自分が面接をする立場になってみて同じような質問をする時があるが、やはりこの質問では盛り上がらない。なぜか?
短所が反転させて長所にできるように、長所も反転させて短所になる。人が生まれ持って備わった長所や短所というのは存在しなくて、あるのはその人の特徴だけ。その特徴が環境によって長所になったり短所になったりする。これはUSJをV字回復させたことでお馴染みのマーケター、森岡毅さんの著書「苦しかったときの話をしようか」で言語化されたものだと記憶している。森岡さんの本はどれも面白くマーケティングの本質を勉強できるものだが、この本はちょっと毛色が違う。森岡さんには子供がおり、その我が子に宛てて就活、昇進、転職、起業などに関する文書をプライベートとして書き溜めていた。それを編集者が見つけて感銘を受け、一般読者向けにも出版される運びになったらしい。そんなわけで本質を見抜く森岡さんの仕事観が世にでることとなった。
就活で仕事場を探すとき、やってはいけないのは「自分の特徴が弱みになる」場所で働くこと。例えば同じ場所でじっとしてるのが苦手な人が、1日8時間座りっぱなしのデスクワークをする。あるいは好奇心旺盛で新しいもの好きな人が、既存の伝統や慣習を何より重んじる場所で働く。これを避けるために、まずは自分の特徴を探そう、というのが著者の主張だ。
余裕がなくなるということ
2024/09/30
ものづくりはクリエイティブな作業なので、取り組むには余裕が必要。この余裕は分解すると時間的余裕と精神的余裕がある。時間的余裕は日々の忙しさで、たとえば仕事で残業続きだったり毎日がミーティングだらけだったり、土日のどちらも予定が詰まっていたりすると余裕がなくなる。サービス設計や良いユーザー体験を考えることは時間がかかる。ああでもないこうでもないと頭を捻る必要があるので、30分スキマ時間あるからここでこの判断をしよう、という類のものでは本来ない。ずっと考えてて、あるときスッと腹落ちするタイプのものだと思っている。なので時間がたっぷりあることは重要。幸い転職してからは残業ゼロ、ミーティングも週に2-3時間しかないので良い環境で仕事できている。
精神的余裕は気持ちの問題で、何か大きな懸念があると目の前に集中できなくなる。たとえば引っ越しを控えていてライフラインの手続きをやらないとと思ってたり、胃カメラをしたら変性している粘膜が見つかり病理検査の結果を数ヶ月待っていたり。気になること・心配事があると気が逸れてしまって集中できない。友人やパートナーと不穏な雰囲気になるとかもそう。心穏やかに過ごしたい。
森博嗣先生の著書「夢の叶え方を知っていますか?」を読んでから、幸せとは没頭する時間のことだと定義している。何かに没頭するには時間と精神の両方に余裕がないといけない。健康で、自由に使える時間があって、打ち込める何かがある。没頭する条件が揃ってるだけですでにかなり幸せなのかもしれない。
手書きで日記を書く
2024/09/27
このFeedback Loopとは別に、人に見せない日記を書いている。自分の心を落ち着かせるために書いているもの。日常を生きてて嬉しいとかムカつくとか心が動いた瞬間を短文でメモしておき、夜か朝にそれを見返しながらザーっと書き出す。このやり方は2, 3年続いていて、しっくりきている。「ずっとやりたかったことを、やりなさい」で紹介されるモーニングページという手法と、昔NHKの特番で見た植本一子さんの日記の書き方に影響を受けている。
日記帳は作らず、そこらへんのノートとか紙とかに書く。iPhoneのメモアプリに書くときもあれば、iPadのノートアプリにApple Pencilで書くときもある。なので過去の日記がどこにあるか自分でもわからない。昔のノートを見返したとき、仕事のメモの合間に急に日記が出てきたりする。読み返してみると意外と面白かったりするので、日記を一箇所に集めたいモチベーションが湧いてきた。
そこで作ったのが日記アプリ「Relief」で、心が動いた瞬間を短文で記録する機能と、それを見ながら長文の日記を書く機能を搭載している。iPhoneで書いてもiPadで書いても同期されるようになっていて集約できる(Apple IDを使って繋げている)。ただ、これまでのReliefはキーボードで書く必要があり個人的にテンションが上がりきらない部分があった。
「時給はいつも最低賃金、これって私のせいですか? 国会議員に聞いてみた。」を読んだ
2024/09/26
「時給はいつも最低賃金、これって私のせいですか? 国会議員に聞いてみた。」を読んだ。
著者である和田靜香さんは50代単身フリーランス。お金や住まい、ジェンダー、税金などの日常の不安や悩みを直接国会議員にぶつけ、その問答をまとめた一冊。今年で36歳になるが、この歳まで政治にどう関われば良いのか学ぶ機会はなかった。学校の授業で三権分立とか衆議院と参議院とかは学ぶけど、それは知識としてであって、自分の生活から直接つながるものではない。選挙は毎回行ってるけど、自分の一票が何かに反映されたと感じたこともない。ニュースを追っても派閥とか政局とかの話が多くてそこじゃないと思ってしまう。保護犬とか同性婚とかエネルギーとか、興味があるトピックはあるがどうアプローチしてよいかわからない。それが本を読む前のスタート地点。
さて、まずは冒頭のパンチラインから。日本には有権者が1億人。自分はその1億分の1だと。しょせん、それっぽっちだと。でも、ゼロじゃないよ、と。そこから出発すれば、あきらめずに済むんです。自分自身の有権者としての力を過大評価しても挫折するし、過小評価しても敗北につながる。等身大で評価しないといけない。あぁ、めっちゃ過大評価して挫折したり、過小評価して敗北していたわ。すでに面白い。そして本編に入ってからも、和田さんの生活に根付いたリアルな悩みをひとつひとつ打ち返していく国会議員の小川さん。小川さんの言葉はどれもストレートに頭に入ってくる。これまで自分が抱いていた政治家像と何が違うかというと、話をよく聞き、状況を言語化でき、難しいで終わらせずに自分なりにこうすべきという提案をしっかり持っている。提案はあるんだけど、話しながら折り合いをつけていく柔軟さもある。デキる人の仕事、という感じだ。
「家父長制はいらない」を読んだ
2024/09/23
『家父長制はいらない 「仕事文脈」セレクション』を読んだ。家父長制とは男性が一家の長で、家族に対して絶対的な支配権を持つ制度のこと。1876年に民放で定められ、戦後に廃止されたが現代もこの慣習は根強く残っており、そのせいで苦しむ人がいる。この本はリトルマガジン「仕事文脈」の中からフェミニズム、ジェンダーなどに関する記事をピックしてまとめられたもので、合計18人の著者がいろんな角度から家父長制にまつわる文章を書いている。
どの記事も面白かったが、特に印象に残った覚えている文をピックアップ。こうした場面では「パートナー」といった言葉よりも「夫婦」というキーワードを使った方が効果が大きいという判断があったからだろう。たしかにそうなのかもしれないが、その現状に追随していたら、数の少ない人たちが小さな違和感を感じ続ける状況は変わらない。これはSEOライティングについての一文だが、自分も同じような経験がある。何かを表現するとき、誰も傷つけない表現はあるんだけど、それだと抽象的すぎて誰にも刺さらないものになってしまう場面。「夫婦」のように言い切ってしまう方がターゲットに届きやすいなら商業的にはそれを選択するのが正解となる。でも自分の気持ち的には違和感があって…みたいな。Webサービスを作ってるとターゲットを明確にすることがよく求められるが、そのターゲットを言語化することで誰かに違和感を感じさせてしまってる気がする。各々が生活しているのに、わざわざ線引きして分断させてしまってるようなイメージ。インクルーシブな社会とマス向けの資本主義のバランスを最近よく考えるが、なかなか自分のなかで折り合いがつけられてない部分。表現の現場でよく聞かれる言葉がある。「実力があれば評価される」「優れた作品をつくれば結果はついてくる」
(中略)
本を読むと何が良いのか
2024/09/18
趣味の一つに本があり、エッセイ、日記、ノンフィクション、小説、自己啓発、ビジネス本、技術本などジャンル問わず幅広く読んでいる。仕事の忙しさや気分によって波があるが、1ヵ月1万円分読むのをなんとなく目標にしている。この1万円というのは確か「レバレッジ・リーディング」に書かれていた金額で、社会人の始めの頃にそのアドバイスに触れて、よくわからないけどいったんこの基準でやってみよう、としたのが今でも続いている。特に社会人初期は本に1万円使うのはお財布的な影響が大きかったが、読書の習慣がついたことはそれを遥かに上回る良いことがあった。
SNSはレコメンドエンジンが発達し、自分の興味関心に沿った情報だけが流れてくる。日常的に自分の考えと近いものばかりに触れるようになり、さらにその考えが強化される。エコーチェンバーやフィルターバブルというキーワードで指摘される現象だが、これは世界の分断を生む。自分から見える景色が強化されすぎて他の人の意見や価値観に耳を傾けるのが難しくなる。読書はこれを解決してくれると思っていて、他人の考えや世界を知ることができる。例えば最近『「コーダ」のぼくが見る世界――聴こえない親のもとに生まれて』を読んだが、こういう本を読まなければその人の体験や心情を知る機会はなかなかない。いろいろな考えを知ることは明日からの仕事に使えるわけではないが、相手の立場に立って考える(共感/エンパシー)のに大事なこと。自分の価値観は限定的な世界で培われたもので、その価値観を人に押し付けてはいけないな、と最近はよく思う。
エンジニアの世界ではXが人気で、最新の技術動向はXで得られるといっても過言ではない。エンジニアは情報をオープンにする傾向があると思うが(OSS=オープンソースソフトウェアという文化がある)、Xはその性質と相性がよく、技術を試したり何かを作ったりするとそれをXでシェアすることが多い。界隈の人をフォローしておくと、いまこれが流行ってるんだなとか、みんなこういうのを最近勉強してるな、みたいなのをなんとなくキャッチできる。トレンドというのはふわっとしていてGoogleでは調べにくいものだが、Xのおかげでぼんやりと可視化されている。
対話がないと疑心暗鬼になる
2024/09/16
チームや組織で働くと、必ず自分とは価値観の異なる人とやり取りすることになる。相手の言動に疑問を持ったとき、その疑問は相手に直接聞いてしまうのが多分一番良い。これ聞くと失礼かな?と考えて躊躇ってしまうが、聞かないとそのモヤモヤは晴れずに胸中で生き続ける。モヤモヤが残ってると、次また同じことがあったときに「この人はいっつもこうだな」みたいに自分の中で勝手にそれを濃くしてしまい、疑問が熟成されていく。言動ではなく、その人自体を疑問に思ってしまう。
『他者と働く - 「わかりあえなさ」から始める組織論』では、他者のナラティブ(物語。文脈のようなもの)を理解する重要性が説かれている。価値観の違う、対岸にいる人。彼らとは同じ川岸に集まることはできないが、川辺まで寄り添ってよく話を聞き、そこに橋を架けることはできる。橋を架けるために大事なのが対話で、ある意見が出た時、それがどういう価値観から出たのか、どういう状況下で生まれたものなのかを考える。頑固に自分の意見を曲げない人がいるとして、実はチームの目標が厳しく周囲のメンバーのためにどうしてもそう言わないといけないかもしれないし、過去に同じような成功体験があってそれで意見が強くなってるのかもしれない。同意はできないかもしれないが、相手の立場になること、相手を分かろうとする姿勢が重要。
対話がないとどうなるか?埋められなかった差分を、こちらのロジックで勝手に補足していまう。仕事にやる気ないのかなとか、こういう性格だからそうしてるのかなとか、自分から見える景色だけで勝手に着色してしまう。自分と違うものは怖れる傾向があるので、よっぽど意識しない限り悪い方に着色する。それで疑心暗鬼になり、一度疑ってしまうとその人と真っ正面から話すのがどんどん難しくなってくる。火は熱いうちにではないけど、気になることは早めに対話して疑問をひらいていきたい。