石橋を叩きすぎない

石橋を叩きすぎない

2025/01/03
「仮説行動―マップ・ループ・リープで学びを最大化し、大胆な未来を実現する」を読んだ。仮説思考という言葉を近年よく聞く。闇雲に動くのではなくまず仮説を立て、それを検証していく動きのことだ。著者はその仮説思考に加えて「行動」の重要性を説く。良い判断をするためには良い情報が必要。その情報は検索ではなく行動によって手に入れることができる。 何か判断する時、私たちはリスクを考える。失敗すると痛い、確実度の低い道は怖い。リスクは極力避けたくなるのが人間の本来だが、それを試さないことで失っているものが実はある。昔WWDCというAppleが主催するカンファレンスに出張で参加したことがある。会場はアメリカなので交通費も宿代も高い。カンファレンスの内容はインターネットでも公開されるので、わざわざ高いお金を払って行く必要はないように思える。でも世界中から自分と同じ開発者が集まってきていて、エンジニアじゃないと意味がわからないくらい小さな発表に熱狂的に拍手する。そういう空間で時間を過ごしたことは経験として大きい。 エンジニアには勉強会という文化があり、会社や個人がスペースを借りてお互いのノウハウを発表し合う会がよく開催される。業務外の時間に開催されているものなので参加する義務はもちろんない。ただそこで緊張しながら発表したり、他社のいろんな価値観のエンジニアと交流したことは確実に自分の糧になっている。勉強会に参加する時間はプライベートだし、発表することには炎上リスクもある。しかし参加したことで得られたものはリスクより遥かに大きい。

ブランディングの正体

ブランディングの正体

2025/01/02
「ブランディングの誤解」を読んだ。N1マーケティングでお馴染みの西口さんの新書。西口さんと元USJの森岡さんのマーケティング論はリスペクトしていて著書が出たら即買うようにしている。 ブランドは抽象的で計測はできないというイメージがある。テレビCMなどで自社のPRをしてもそれが何に繋がるか定めないことも多い。著者はこれはブランディングの誤解であるといい、本当の意味でのブランディングについて説明する。 複数の商品やWebサービスがあり、ユーザーはそれを比較して購入する。この時点ですでに選ばれるだけの何かがあり、選ぶことで最初のブランドが形成される。実際に使ってみて期待通りか期待を超えた場合はさらにブランドが強化される。次の購買タイミングでも同じ商品を選び、リピーターになるとブランドが定着し、ユーザーはファンになる。

40歳を過ぎたら自分の顔に責任を持て

40歳を過ぎたら自分の顔に責任を持て

2024/12/27
「40歳を過ぎたら自分の顔に責任を持て」はアメリカの元大統領リンカーンの言葉。顔は親から与えられるものであるが、40歳を過ぎる頃には過去の経験や自信が顔に現れるようになる。実際に有能な閣僚候補がいたが顔つきが悪いという理由で見送ったこともあるそう。 この言説には同意する気持ちが多い。よく笑う人は口角があがった顔になるしよく怒る人は険しい顔つきになる。1万回同じ動作をするとシワになるという話も聞いた。どんな時間を過ごし、どう考えてきたかは顔つきに現れる。それは美醜ではなくその人の雰囲気を作り上げる。 昔いいとものコーナーで「人相統計学」の専門家なる人が出演していた。人相統計学は例えば額の大きさや眼と眼の間の距離などから統計的にその人の特徴を分析するというもの。その時は「こういう顔の人は犯罪者が多い」みたいな話をしていて、そんな顔の特徴だけで決められてはたまったもんじゃないと思った記憶がある。ただ顔が似ていると性格が近しいのはある気もしていた。その人の過ごした時間が顔つきに出ているから、というリンカーンの説明は納得感が高い。

嫉妬から逃れる方法

嫉妬から逃れる方法

2024/12/23
「感情の哲学入門講義」を読んだ。哲学の入門本で元々は大学の講義で扱った内容をまとめたものらしい。ソクラテスやニーチェなどよく聞く哲学者の名前は一切出ず、身近な例を挙げながら哲学とは何か、感情とは何かを深掘りしていく。本の冒頭にもあるが全体を通してくだけた話し口調で書かれていて読みやすい。 本の中で嫉妬に関する記述がある。誰かに嫉妬するには二つの条件があり、ひとつは自分が他人より劣っていること。そしてもう一つは「その人が得た利益は自分も得られたはず」と考えること。自分より優れた人は世にたくさんいる。しかし全員に嫉妬の気持ちを抱くことはなく、オリンピック選手やソフトバンクの孫さんなどは異世界の人物として素直に応援できる。どんな場面で嫉妬を抱くかというと、同期が出世したとか、自分も思いついてたアイデアで誰かが成功したとか、自分にも手が届きそうだと思える事象に対して嫉妬する。この言語化は個人的に面白く感じた。 ではどうすれば嫉妬から逃れられるか?それは「他人が受けている利益は自分が得られるはずのものではない」と自覚すること、と本には書かれている。例えば人気のYouTuberを見て「この企画は自分でもできそうだな」と思う。しかし本当にすごいのはその動画を撮っていることではなく、日々企画を考え、誹謗中傷が飛び交うインターネットに顔を出して勝負し、視聴者数がいないときでも継続して更新し続けるその姿勢である。それは自分にはできないと思えればそこで嫉妬は取り除かれる。表層ではなく裏側のプロセスを見る。一朝一夕で得られる報酬はない。

日本で一番自殺率の低い町

日本で一番自殺率の低い町

2024/12/22
「生き心地の良い町 この自殺率の低さには理由(わけ)がある」を読んだ。著者が日本の市区町村で自殺率の低いところを探していると、徳島県のある町(海部町)が目に留まる。近隣の町を見てみると特段自殺率が低いわけではない。病気など不安の種自体は等しくある。では、何が自殺率を減らす要因となっているのか?著者は実際に町で暮らし、住民と関わる中でその因子を発見していく。最近読んだ本の中でも抜群に面白く、一気に読み終えた。 町の人と話したり特徴を調べたりするなかで、著者は5つの因子を見つける。例えば「赤い羽根募金が集まらない」。海部町では近隣よりも募金が集まらない傾向があるらしい。自殺が少ないと聞くとなんとなくハッピーなイメージを持ち、募金はよく集まるものかと想像するが実際は逆。「この募金が何に使われるかよくわからない」と参加しない。逆に町の祭りなどにはお金は出す。他の人がやってるからではなく、判断の拠り所が自分にある。 うつ病の受診率が高いというデータも見つかる。他の町では「うつ」が周りにバレないようにと考えるが、海部町では誰々がうつになったらしい、じゃあお見舞いにいかないと、とオープンにやり取りされる。これを嫌に思う人もいるかもしれないが早い段階で明るみに出されるのは良い面も多い。うつ病を認めにくいのは周りの目など社会的な環境が大きい。周りから特別視されず、治療後は普通に同じように働ける環境であれば受診を妨げるものはない。

誰もが「新しい時代が来た」と言いたがる

誰もが「新しい時代が来た」と言いたがる

2024/12/15
IoT、ブロックチェーン、AI、DX。いつでも誰かが「新しい時代が来る」と言い、常に革新が起きるとされている。 「逆・タイムマシン経営論 近過去の歴史に学ぶ経営知」を読んだ。最近ハマってる楠さんの本で、その時々の流説に惑わされず本質を見極めるための指南書。「DXで時代は変わる」「AIについていけないと終わる」などの煽るような言説がどの時代にもあるが、それはそういうことで得するプレイヤーがいるから。例えばメディアは大げさに言って注意を引く必要がある。投資家は激動の時代にして変化率を高め自分たちの投資のリターンを大きく跳ねさせる必要がある。この本では過去にもてはやされた説を振り返りつつ、その正体を時代背景と合わせてひとつずつ紐解いていく。 何かのブームが起きるとき、必ず成功事例と共に流布される。セブンイレブンやヤマト運輸はITをうまく活用して他社と差をつけた。これを見てウチもITだ!としても中々上手くいかない。企業には文化や環境の土台があり、そこに馴染まないものを持ってきても花開かない。セブンイレブンやヤマト運輸は「IT化」のトレンドが来る前から情報をうまく使うことを戦略としていた。戦略が先、ITが後。どんなトレンドもそれ自体が本質になることはなく、企業が目指している目的に辿り着くための手段に過ぎない。

キャリアは轍

キャリアは轍

2024/12/11
「キャリア」と聞くと今後どうなっていきたいか、どんな役割を目指したいかを連想するが、キャリアの語源は轍。前方ではなく車が走った後にできる。自分がこれまでやってきたこと自体がキャリアである。 目標を立てることが尊ばれている。何歳までに何を実現したいか、明確な人ほど良いとされている。10年後の状態から逆算して現在の行動を決める。そうできたら良いだろうが、なかなか今時点で10年後を決めるのは難しい。自分は「便利なものを作りたい」というなんとなくの方向性があるくらいで、具体的なイメージはそこまでない。何かを消費するよりも作っている時の方が脳汁が出て楽しい。その状態をできるだけ長くしたい、くらいに思っている。 『エフェクチュエーション 優れた起業家が実践する「5つの原則」』という本がある。起業してうまくいった人にアンケートを取り、共通する部分を抜き出して深掘りした本だが、その中に偶発性を味方につけるという章がある。目標までの道が明確な場合、偶然起きる出来事はノイズになる。目標を抽象化して持っているとき、偶然の出来事は「この状況をどう活かせるか?」の追い風にできる。どんなトレンドになり、どんな人と今後出会えるかはわからない。すべてを逆算して計算するのではなく、その時々の偶然を楽しみながら取り入れる。良し悪しはわからないがこの発想の方がなんとなくスキである。

リベラルアーツとは何か

リベラルアーツとは何か

2024/12/09
リベラルアーツとは何か?博識や物知りとは違う、実践に基づいた教養。例えばスーパーのレジに並んでいる時に前に割り込まれたとする。その時「なんだコイツ」という怒りで終わらせず、この人がどういう状況にいるのかに想いを馳せる。子供が家で泣いていて急がないといけないのかもしれない。大事な仕事がこの後あり急いで戻らないといけないのかもしれない。実際どうかはわからないが、こうして一呼吸置くことで余白ができ、多面的に考えられる。リベラルアーツはそういう類のものだと理解している。 リベラルアーツは実践の中で磨かれる。色々な分野の学問を学び、それを実践する。専門職的なスキルが高い人はすごいとは思うが憧れの対象ではない。憧れるのは自分の基準を持っている人。「自分はこうしたい。だからこう行動している」こうやって自身の価値観をシンプルに言語化できる人には憧れる。 一生手元に起き続けたい本に「他者の靴を履く アナーキック・エンパシーのすすめ」がある。シンパシーとエンパシー、日本語に訳すとどちらも「共感」だが意味するところは異なる。シンパシーは自分と同じ属性に対して感じるもの。一方でエンパシーは相手の立場になって考えることだ(=他者の靴を履く)。明らかに一方に非があると思われる状態でも一考の余地を残す。相手がその言動に至ったのはどういう背景があったか?想いを巡らせた結果それに同意できなくても構わない。相手の立場で考えることは上手くなりたい・継続していきたいことのひとつ。

「通知表をやめた。」を読んだ

「通知表をやめた。」を読んだ

2024/12/07
「通知表をやめた。: 茅ヶ崎市立香川小学校の1000日」を読んだ。神奈川にある小学校で通知表の意義を考え、やめるに至った経緯と現状の変化をまとめた本。この小学校の近くの友人宅に最近遊びに行ったので縁を感じて購入。教育や評価は関心のある分野なのでとても面白かった。 まず通知表をやめるといっても評価をやめるわけではない。子供の学習に対する評価そのものはしっかり行う。通知表は学期末に学生や親に向けて発行するもので、その発行をやめたという話。小学生の頃は生まれた月などにより成長に個人差がある。普段からそれは気にしなくていいんだよと声をかけていても、通知表でスコアをつけてしまうと矛盾したメッセージを届けてしまう。そういったモヤモヤから出発し、本当に必要なものは何かを考えた結果通知表の廃止が決断される。学校教育というと堅くて動きが遅いイメージがあったが、この本に記録された議論を見ると普段の自分たちの仕事と何ら変わりないように思える(むしろ進んでいる)。本質を見つめて改善に取り組む仕事を尊敬する。 面白かったのはテストで点数をつけるのをやめたという話で、内部的には点数はつけるが学生に返す回答用紙には記載しない。点数があると子供たちはそこに注目してしまい、他の子と比べる材料にしてしまう。点数を書かないことでどこを正解してどこを間違えたのか、純粋にその正誤だけにフォーカスが当たる。思えば「この問題は5点」「この問題は10点」といった配点に何の根拠もない。それは100点満点にするための工夫であり、できなかった問題に向き合うのとは別のベクトルだ。

成功も失敗も、自分と会社で50:50

成功も失敗も、自分と会社で50:50

2024/12/02
『「能力」の生きづらさをほぐす 』を読んだ。何かあったときに個々人の能力値に問題が帰結されがちだが、その能力って何なの?を紐解いていく本。社会人になりたての息子の悩みに対し、教育学を専攻し組織開発の仕事を長年してきた著者が答えていく物語形式。例えばある会社で活躍できなかった人が、転職先ではエースになる。能力というと絶対的なスキルに思えるが、実は環境とのマッチングの要素であることが語られる。 会社で仕事をしていて、その仕事の成否がすべて自分の手にかかっていることはほとんどない。会社の他の部署や取引先、業界のトレンドや時代など目に見えないたくさんの変数があって、自分の仕事はその一部にすぎない。評価も同じ。組織になると評価はつきものだが、その評価の尺度は企業や組織によってまるで違う。活発に意見を言うことが、あるチームでは歓迎され別のチームでは煙たがられる。その人の能力や性質は変わっておらず、周囲の環境が評価に反映される。評価は水物だがずっとそこにいるとそれが分からなくなり、評価が低い = 自分の能力が低い と考えてしまう。 一方で、変数の一部に過ぎないとはいえ自分の仕事も立派なひとつの変数である。仕事がうまくいかなかった時に環境のせいにするのは簡単だが、それでは改善の余地を逃すことになる。ちょうど良い考え方として、「自分と会社で50:50」というのを掲げたい。活躍しても自分個人の力ではないし、仕事で失敗したらその責任が完全に自分にあるわけでもない。浮き足立たず、他責にしすぎないために50%は常に自分の領分だと思っておくのはちょうど良い。