図書館で貸出カードを作った

図書館で貸出カードを作った

2024/11/17
新しい散歩コースを模索中だが、歩いていると近くに図書館を発見した。図書館で本を借りるのは東京に住んでた頃はよくやっていたが、関西に来てからは立地的に難しく、利用する機会をなかなか見つけられずにいた。こんなに近くにあるならと立ち寄り、貸出カードを発行してもらう。同時に15冊まで借りられるらしい。そんなには読めないだろうが、良い場所を見つけた。 その図書館はさほど大きくないが、今の時代は図書の取り寄せができるので不便しない。インターネットで欲しい本を探して予約しておけば、最寄りの図書館に届いたタイミングで通知がくる。返却の際もブックポストがあり、図書館が閉まったあとでも返すことができる。便利な仕組みが整っていてありがたい。 最近読んだ「集まる場所が必要だ――孤立を防ぎ、暮らしを守る「開かれた場」の社会学」では、図書館のような公共施設の重要性が書かれている。カフェやショッピングモールのような商業施設はお金を払った対価として良い時間が手に入る。お金を払わない人は客と見なされず、対象となる人を選別する性質がある。一方図書館は無料で誰でも利用できる。学びたい、交流したい、そこに在りたいすべての人を肯定する。私は公園が好きだが同じような理由かもしれない。何の条件もなく、ただそこにいることを許されるのは心地よい。

日記を朝に書く

日記を朝に書く

2024/11/15
なんとなく日記は夜に書くイメージがある。小学生のときの夏休みの宿題は、その日に起きた出来事を振り返って書く絵日記だった。起こったことを書くスタイルでは夜にしか書けない。 最近は朝に日記を書くのが良い気がしている。夜に書くとその日起きた出来事が中心になるのに対し、朝は自分の心の中の大切なことついて描写できる。しんどいことや辛いことがあっても、夜寝れば忘れられることもある。朝起きてもまだ引きずっているものがあれば、それは自分にとって大事なことなのでちゃんと向き合う。 日記を書く効用はいろいろな本で書かれている。バイブルの一冊である「ずっとやりたかったことを、やりなさい。」では、モーニングページという毎朝脳内を書き出す習慣を推奨している。思ったことをただそのまま書き出す。誰かに見せるものではなく、自分の関心や恐れをただ文字にする。これが想像以上に心を楽にしてくれる。

良いユーモア 悪いユーモア

良いユーモア 悪いユーモア

2024/11/13
年末が近づくとM-1の話題が多くなる。M-1は関西では圧倒的視聴率を誇る番組で、私も学生時代から毎年欠かさず見ている。今年は何度か劇場にお笑いを観に行っていて、テレビでまだ見かけない若手の面白さを知れてさらに楽しみが大きい。応援しているのはエバース、バッテリィズ、たくろう。真空ジェシカには今年も決勝で笑わせてもらいたい。 お笑いは素晴らしい文化で、仕事の場でも役立つことが多い。例えば会議で特定のテーマについて話していて、話題が行き詰まるときがある。そんなときユーモアのある一言が差し込まれると頭が解きほぐされ、そこから次のアイデアに繋がったりする。失敗をポジティブに転換できるのも素晴らしいところだ。芸人は過去の自分の失敗談をエピソードトークとして昇華する。仕事で失敗したとき、後悔をいつまでも引っ張る必要はない。十分に反省したら、あとは自分の情けない話として笑いにするくらいがちょうど良い。 星野源は自身のエッセイ「いのちの車窓から」で、学生時代に大便を漏らしたことが自分の暗さを形成したと書いている。そ体験は彼の中で長らくトラウマになっていたが、その後とあるオーディションでその話をすることになる。するとその役がたまたま「うんこを漏らす」役で、見事合格。自分の辛い過去が仕事につながり、心の持ち様が変化したことを綴っている。辛い出来事、大きなコンプレックスはなかなか人に話せず自分だけで抱えてしまう。それを人に笑い話として話せたとき荷物は軽くなる。自分のなかでその経験を何かに繋げ、ストーリーにすることで他者に話しやすいものになっていく。

心地よいものに囲まれる

心地よいものに囲まれる

2024/11/12
部屋を見渡すと実は気に入っていないものがあることに気づく。昔はよく着てたけどもうしばらく着ていない服、丈の長さが微妙に足りていないカーテン、買ってはみたけど思ったより部屋に馴染まないラグ。慣れると意識しなくなるが、こういうものが実は細かく生活の快適度を下げている。 「私の生活改善運動」という本の中で、自分が本当に気に入ってるものだけを周りに置こうという一節がある。本を読んだ直後それに従って部屋を整理したところ幸福度があがったため、定期的に思い返しては部屋を片付けている。私はリモートワークで家で働いているので、とくに部屋で過ごす時間が長い。お気に入りのもの、しっくりくるものに囲まれていると良い気分で一日を過ごせる。 部屋のなかの気に入ってるものや場所をリストアップしてみる。私の場合、壁掛けの時計、照明、ダイニングテーブル、読書用の椅子、観葉植物などはよく気に入っている。キッチンのゴミ箱やいくつかのマグカップ、ローテーブルはあまり気に入っていない。こういうものは処分する。まだまだ使えて捨てるのが勿体無い場合は、メルカリやジモティーで誰か欲しく思ってくれる人に譲る。テレビは音響が微妙であまり気に入っていないが大物すぎて処分に迷う。テレビ用のスピーカーを買い足す方向で解決するつもりだが、映画やドラマをそんなに見るわけじゃないので二の足を踏んでいる。本音ではテレビごと処分したいが、NetflixやAmazonプライムを見るときにちょっと便利ではある。洋服は引越しのたびに捨てていてかなり数も減っている。前述の通りリモートワークで人と会う機会も少ないので十分事足りる。家でリラックスして着れる服の割合が増えている。

習慣に関するNのこと

習慣に関するNのこと

2024/11/11
昨日仕事終わりに本屋に立ち寄った。ふらふらと本を眺めていると目に留まったのが習慣本のコーナーで、習慣についての本がこんなにたくさん出版されていることに驚いた。習慣が人生を変える、その習慣があなたをダメにする、統計からみる習慣、etc...。実にさまざまな角度から習慣について触れられており、自分の知らない間にひとつのジャンルになっていることを知る。 私が読んだ習慣本のなかで一番心に残っているのは「ジェームズ・クリアー式 複利で伸びる1つの習慣」で、今でも参考にしている考えが多々ある。習慣はできるだけ小さくする、場所に紐づける、何かの行動と行動を関連づけるなどなど。特に面白かったのは習慣に対するご褒美の話で、例えばダイエットを目標ににする場合、3ヵ月続いた褒美としてデザートを自分に与えてしまうとうまくいかない。これは習慣で達成したいものとデザートとが正反対のベクトルを向いているから。そうではなく、ダイエットのご褒美としてはマッサージやスパなど体を良くするものが相応しい。同じ方向性のもので揃えるのが大事。 三日坊主についての記述も面白い。習慣化しているとどうしても面倒になるときが来る。もし習慣が途絶えてしまった時はどうするか?できるだけ早く、小さく再開することが重要と著者は言う。例えばランニングに行けなかった次の日は必ず外に行く。ランニングするのが一番だが、それが億劫な場合はランニングウェアに着替えるだけでも良い。昨日できなかった分も、と今日を気張る必要はなくただすぐに再開することが大事らしい。また、三日坊主になっても三日は達成できたという考え方もできる。習慣の行動は「自分がなりたい姿」へ一票を投ずることだと表現しており、この表現は自分的にしっくりきてよく思い出す。ギターの練習を1ヵ月してなくても音楽を諦めたことにはならない。習慣や目標の設定を自分に合う形にできなかったまでで、やり方を工夫してまた再開すれば良いだけである。

瞬間的に憧れることが少なくなった

瞬間的に憧れることが少なくなった

2024/11/08
私は人に憧れやすい性質で、一緒に働くデキる人や業界で活躍している人をいつも羨望の眼差しで見ていた。だが最近はちょっと変わってきていて、ひとつの出来事ではなかなか判断できないな、と感じている。 例えば何かのサービスを作ってそれがバズったとして、大事なのはその後ちゃんと良いものに磨いていき数年後も愛されるサービスであること。例えば何か素晴らしい仕事をしたとして、大事なのは環境や時代が変わっても同じように活躍できるかということ。その瞬間の「点」ではなく、連続した「線」で評価したいという気持ちがある。 こう考えるようになったのは、社会人として十数年過ごした時間の長さによるものだと思う。色々な人や物事がバズっては消え、またバズっては消えていく。世間は新しいものを求め、すぐにそれを消化して飽きていく。コロナ禍にClubhouseというサービスが流行ったが今私の周りで続けている人はいない。一世を風靡したFacebookですらもう見なくなった。その時代を象徴するサービスを作れたことは偉大なことだと思うが、過去ほどは憧れなくなってきた。

センスとロジック

センスとロジック

2024/11/08
センスとロジック。何か良いものを見たとき、それを分析するまでもなく良いと感じる。まず最初に良いと感じ、その知覚の後にはじめて言語化として良い理由や特徴を挙げることができる。 Webサービスを作るときは感覚と論理の両方の脳が必要になる。心地よいアニメーションをつけたり、居心地が良いと思える空間づくりは感覚的に。クチコミが広がる仕組み、売上があがるロジックは論理的に。完全にどちらかに振れるものでもなく、実際はグラデーション。アニメーション時間や色使いもロジックで積み上げることができるし、サービス拡大の仕組みも「人がこう思うから」など感性的なアプローチだったりする。センスを分解したのがロジックで、目に見えない細かいロジックの積み重ねがセンスになったりもする。 チームで働くとき、言語化の力、つまりロジックがより必要になる。全員で同じ方向を向いたり、納得感を持って進めるためには明文化・明確化することが必要。センスは言語化できない場合も多いので必然的にロジックへの比重が高まる。説明上手になるのは良いが「なんとなく良い」「なんか嫌に感じる」という素の感覚も大事にしたい。まだ言語化ができないだけで、それも重要な自分のアンテナの一つだ。

同じ本を二度読む

同じ本を二度読む

2024/11/05
線を引きながら本を読んでいる。読み終わった本は基本処分しているが、心に響いた本、内容を覚えておきたい本は本棚に残す。読み返すことは滅多にないが背表紙が目に入るだけで読んだ時の気持ちを思い出させてくれる。 以前本棚を整理していて、大学時代に読んだ「顧客が熱狂するネット靴店 ザッポス伝説」をもう一度読んでみた。ザッポスはユーザーファーストという言葉がない時代から顧客第一主義を実践した会社で、ネットで買った靴のサイズが合わなかったら無料で返品を受け付けるし、急いで手に入れたいという要望があればあらゆる手段を使ってお客さんに届ける。「ワオ!(感動)」を社是としていたザッポスは顧客から熱狂的に支持され、やがてAmazonに買収されることとなる。 ペンを持ちながら再読してみる。大学の頃の自分は赤いペンで線を引いていたので、今度は青いペンを片手に読む。線を引くところが同じだったり、今では全然響かない箇所に線が引かれていたり、過去の自分の価値観と対面しているようで面白い。行動は覚えていてもその時代の感情の移ろいは忘れてしまう。本を読み返すことは過去の感情と向き合えるレアな体験だな、などと思いながらあっという間に読んでしまった。

人にすぐ影響される

人にすぐ影響される

2024/11/02
人に影響されやすい。偉人の自伝を読むと翌日からそのように振る舞ったりするし、Appleの本を読めばシンプルで洗練されたデザインを作りたくなる。良いサービスに触れるとそれを応用できないか考える。身近な人でもそうで、近くで一緒に働く人の考え方や仕事の進め方を勝手に真似ていってしまう。 大学の頃に聞いた話では、身近な人の名前を10人あげていき、その人たちの年収を平均したものが自分の年収になるらしい。有名なコンサルの大前研一氏も自分を変えたければ環境(付き合う人)を変えろと言っている。普段の生活で触ったもの、見たもの、聞いたものが自分の思考になる。周囲に似る性質があるので自分がなりたい人たちの中に身を置け、というのは的を得た助言な気がする。私も気持ちのいい友人や知人と一緒にいる時間を最大化したいと思っている。大人になると用事なく人と会う機会も減り、放っておくと関係性は薄くなる。繋がりを保ちたい人には自分から声をかけるのは意識したい。 人を真似てしまうのは悪いことではない。「コピーキャット ― 模倣者こそがイノベーションを起こす」では優れたものの模倣の組み合わせがイノベーションだと定義している。世の中で流行っているもの、過去に流行ったものに対して別角度からアプローチする。例えばプリクラが人気だが、それをスマホで使えるようにするにはどうするか?切り口を変えると新しい体験が提供できる。

共感と距離感

共感と距離感

2024/10/30
誰かの話を聞いているとき、できるだけそれに共感するような姿勢になる。自分の知識を探ったり、過去の経験と照らし合わせてみたり。「自分だったらどう思うか」「自分だったらどう行動するか」を考えながら、相槌を打ったり質問をしたりする。人の話をちゃんと聞く、という意味でこれは悪いことではないが、この共感の姿勢には限界がある。人によって価値観は様々であり、どうしてもイメージしきれない話もあるからだ。 例えば戦争に行った人の話に自分が本当の意味で共感することはできない。その話題を抽象化して、自分の中の似た経験を引っ張り出してくることはできるが、それは相手の話を矮小化してしまって逆に失礼な気もする。こんな時できるのはただ聞くことで、自分は関係なく相手がその事象についてどう思っているのか、どこに悩みがあるのかを質問する形で会話することしかできない。共感と距離感のバランスを上達したい。 そんなことを思っていると「共感と距離感の練習」という本を本屋で見つけた。まさしく読みたかったタイトルで即購入したが、そのものズバリの回答が書かれているわけではなかった。著者の小沼さんが日常で感じた心情の変化を綴るエッセイで、その中で他者に寄り添ったり自分の感覚を大事にしたりする。その揺れ動きを積み重ねることが練習になる。「ここは共感、ここは距離感」といった明確な線引きはなく、常に考えていくことでしか上達の道はないのかもしれない。