誰もが「新しい時代が来た」と言いたがる
2024/12/15
IoT、ブロックチェーン、AI、DX。いつでも誰かが「新しい時代が来る」と言い、常に革新が起きるとされている。
「逆・タイムマシン経営論 近過去の歴史に学ぶ経営知」を読んだ。最近ハマってる楠さんの本で、その時々の流説に惑わされず本質を見極めるための指南書。「DXで時代は変わる」「AIについていけないと終わる」などの煽るような言説がどの時代にもあるが、それはそういうことで得するプレイヤーがいるから。例えばメディアは大げさに言って注意を引く必要がある。投資家は激動の時代にして変化率を高め自分たちの投資のリターンを大きく跳ねさせる必要がある。この本では過去にもてはやされた説を振り返りつつ、その正体を時代背景と合わせてひとつずつ紐解いていく。
何かのブームが起きるとき、必ず成功事例と共に流布される。セブンイレブンやヤマト運輸はITをうまく活用して他社と差をつけた。これを見てウチもITだ!としても中々上手くいかない。企業には文化や環境の土台があり、そこに馴染まないものを持ってきても花開かない。セブンイレブンやヤマト運輸は「IT化」のトレンドが来る前から情報をうまく使うことを戦略としていた。戦略が先、ITが後。どんなトレンドもそれ自体が本質になることはなく、企業が目指している目的に辿り着くための手段に過ぎない。
キャリアは轍
2024/12/11
「キャリア」と聞くと今後どうなっていきたいか、どんな役割を目指したいかを連想するが、キャリアの語源は轍。前方ではなく車が走った後にできる。自分がこれまでやってきたこと自体がキャリアである。
目標を立てることが尊ばれている。何歳までに何を実現したいか、明確な人ほど良いとされている。10年後の状態から逆算して現在の行動を決める。そうできたら良いだろうが、なかなか今時点で10年後を決めるのは難しい。自分は「便利なものを作りたい」というなんとなくの方向性があるくらいで、具体的なイメージはそこまでない。何かを消費するよりも作っている時の方が脳汁が出て楽しい。その状態をできるだけ長くしたい、くらいに思っている。
『エフェクチュエーション 優れた起業家が実践する「5つの原則」』という本がある。起業してうまくいった人にアンケートを取り、共通する部分を抜き出して深掘りした本だが、その中に偶発性を味方につけるという章がある。目標までの道が明確な場合、偶然起きる出来事はノイズになる。目標を抽象化して持っているとき、偶然の出来事は「この状況をどう活かせるか?」の追い風にできる。どんなトレンドになり、どんな人と今後出会えるかはわからない。すべてを逆算して計算するのではなく、その時々の偶然を楽しみながら取り入れる。良し悪しはわからないがこの発想の方がなんとなくスキである。
リベラルアーツとは何か
2024/12/09
リベラルアーツとは何か?博識や物知りとは違う、実践に基づいた教養。例えばスーパーのレジに並んでいる時に前に割り込まれたとする。その時「なんだコイツ」という怒りで終わらせず、この人がどういう状況にいるのかに想いを馳せる。子供が家で泣いていて急がないといけないのかもしれない。大事な仕事がこの後あり急いで戻らないといけないのかもしれない。実際どうかはわからないが、こうして一呼吸置くことで余白ができ、多面的に考えられる。リベラルアーツはそういう類のものだと理解している。
リベラルアーツは実践の中で磨かれる。色々な分野の学問を学び、それを実践する。専門職的なスキルが高い人はすごいとは思うが憧れの対象ではない。憧れるのは自分の基準を持っている人。「自分はこうしたい。だからこう行動している」こうやって自身の価値観をシンプルに言語化できる人には憧れる。
一生手元に起き続けたい本に「他者の靴を履く アナーキック・エンパシーのすすめ」がある。シンパシーとエンパシー、日本語に訳すとどちらも「共感」だが意味するところは異なる。シンパシーは自分と同じ属性に対して感じるもの。一方でエンパシーは相手の立場になって考えることだ(=他者の靴を履く)。明らかに一方に非があると思われる状態でも一考の余地を残す。相手がその言動に至ったのはどういう背景があったか?想いを巡らせた結果それに同意できなくても構わない。相手の立場で考えることは上手くなりたい・継続していきたいことのひとつ。
「通知表をやめた。」を読んだ
2024/12/07
「通知表をやめた。: 茅ヶ崎市立香川小学校の1000日」を読んだ。神奈川にある小学校で通知表の意義を考え、やめるに至った経緯と現状の変化をまとめた本。この小学校の近くの友人宅に最近遊びに行ったので縁を感じて購入。教育や評価は関心のある分野なのでとても面白かった。
まず通知表をやめるといっても評価をやめるわけではない。子供の学習に対する評価そのものはしっかり行う。通知表は学期末に学生や親に向けて発行するもので、その発行をやめたという話。小学生の頃は生まれた月などにより成長に個人差がある。普段からそれは気にしなくていいんだよと声をかけていても、通知表でスコアをつけてしまうと矛盾したメッセージを届けてしまう。そういったモヤモヤから出発し、本当に必要なものは何かを考えた結果通知表の廃止が決断される。学校教育というと堅くて動きが遅いイメージがあったが、この本に記録された議論を見ると普段の自分たちの仕事と何ら変わりないように思える(むしろ進んでいる)。本質を見つめて改善に取り組む仕事を尊敬する。
面白かったのはテストで点数をつけるのをやめたという話で、内部的には点数はつけるが学生に返す回答用紙には記載しない。点数があると子供たちはそこに注目してしまい、他の子と比べる材料にしてしまう。点数を書かないことでどこを正解してどこを間違えたのか、純粋にその正誤だけにフォーカスが当たる。思えば「この問題は5点」「この問題は10点」といった配点に何の根拠もない。それは100点満点にするための工夫であり、できなかった問題に向き合うのとは別のベクトルだ。
成功も失敗も、自分と会社で50:50
2024/12/02
『「能力」の生きづらさをほぐす 』を読んだ。何かあったときに個々人の能力値に問題が帰結されがちだが、その能力って何なの?を紐解いていく本。社会人になりたての息子の悩みに対し、教育学を専攻し組織開発の仕事を長年してきた著者が答えていく物語形式。例えばある会社で活躍できなかった人が、転職先ではエースになる。能力というと絶対的なスキルに思えるが、実は環境とのマッチングの要素であることが語られる。
会社で仕事をしていて、その仕事の成否がすべて自分の手にかかっていることはほとんどない。会社の他の部署や取引先、業界のトレンドや時代など目に見えないたくさんの変数があって、自分の仕事はその一部にすぎない。評価も同じ。組織になると評価はつきものだが、その評価の尺度は企業や組織によってまるで違う。活発に意見を言うことが、あるチームでは歓迎され別のチームでは煙たがられる。その人の能力や性質は変わっておらず、周囲の環境が評価に反映される。評価は水物だがずっとそこにいるとそれが分からなくなり、評価が低い = 自分の能力が低い と考えてしまう。
一方で、変数の一部に過ぎないとはいえ自分の仕事も立派なひとつの変数である。仕事がうまくいかなかった時に環境のせいにするのは簡単だが、それでは改善の余地を逃すことになる。ちょうど良い考え方として、「自分と会社で50:50」というのを掲げたい。活躍しても自分個人の力ではないし、仕事で失敗したらその責任が完全に自分にあるわけでもない。浮き足立たず、他責にしすぎないために50%は常に自分の領分だと思っておくのはちょうど良い。
孤独な夜の過ごし方
2024/11/29
どうにも寂しい夜の過ごし方。本を読む、日記に考えてることを書き出す、散歩に出る、人に頼る。本の種類は何でも良いが、技術書やビジネス本よりは小説やエッセイが良い。本に目的がありすぎると昼の思考になる。夜はもっと間接的で良い。
エッセイは誰かの考えや生活に触れられる。いろんな人がいろんな場所で考え事をしてるんだなと理解することは、何かに囚われた気持ちを解放してくれる。小説はストーリーテリングで物語の世界に没入させてくれる。映画やアニメよりも想像力が求められるので他のことを考える余裕などない。寝る前に「プロジェクト・ヘイル・メアリー」を読み進めてから寝ていたときは心身ともに調子が良かった。そういうハマれる小説を常に探している。
モヤモヤで苦しいとき、逃げずに逆に向き合う。本当の悩みは考えないようにしてもすぐに戻ってくる。文字にして書いたり、散歩しながら独り言をつぶやいたりして自分が何を嫌に思ってるのか、何をずっと考えているのかを洗い出す。モヤモヤの根本原因が分かると意外に楽になる。人間は1日に3万回以上考えるが、その9割は無意識らしい。原因が何か掴んでおかないと、無意識でもモヤモヤに触れ続けてしんどくなる。
日記を本の形にしてみたら
2024/11/29
今日で今の会社で働いて丸3年らしい。それまで新卒からずっと同じ会社で働いていたので変化を恐れる気持ちもあったが、いろんなことを経験できたので転職して良かった。職種を変えたことで手を動かすより考える時間が増え、それに伴い興味関心など自分の理解も深まった。
この日記も3ヵ月以上続いていて、そろそろ過去に何を書いたか振り返りたくなってきた。サイトに検索機能をつけても良いがもう少しアナログにしたい。3ヵ月ごとに本の形にまとめると面白いのではないかと思って最近調べている。電子書籍ならEPUBという形式に変換すれば良い。印刷する場合もEPUBにしておけば何かと取り回しが利きそうなのでまずはここを目指す。WebサイトはHTMLという技術で作られるが、EPUBはその変化系で基本的な部分は共通している。試行錯誤しながら読みやすいデザインを調整している。
確認がてら自分でパラパラと読み返すのだが、めっちゃ自分のことなので面白い。当たり前だがどの日の日記も自分が当事者。内容を覚えていない回もあるがそれも自分の考えの確認になって良い。気になったのが締めの言葉で、「〜していきたい」とか「〜と思っている」みたいな、総括っぽい表現が繰り返されている。ビジネス文章では最後にまとめがある方がメッセージが伝わりやすいが日記では必要ない。無理にまとめず、問いやモヤモヤを抱えたまま終わっても良い。
時間をどう使うかが誠意の表れ
2024/11/24
読書中に話しかけられる。このとき本を閉じて話を聞くこともできるし、曖昧に返事をして読書を続けることもできる。話の内容や関係性によっても変動するが、何を大切にするかとは時間の使い方だというのは覚えておきたい。
最近友人の勧めで「愛を伝える5つの方法」を読んだ。著者はベテランの結婚カウンセラーで、いろんな夫婦やカップルを見てわかった人間関係の秘訣を書いている。愛とは燃え上がるような恋愛だと思っている人が多いが、出会った当初の初期情動には期限があり2年ほどしか保たない。良い関係を築くにはこの情動が落ち着いた後の行動こそが重要で、行動とはつまり選択により愛を示すこと。相手のための時間を優先することが愛の示し方である、と書かれている。
上司と部下が仕事やプライベートな話を定期的にする1on1という文化がある。部下のための時間と銘打たれているが、実際話を聞いているフリをして別の仕事を考えたり作業したりはできてしまう。ヒエラルキー的に上司は強い立場なのでそれを指摘する部下はいない。しかし、ちゃんと話を聞いてくれてるかどうかは必ず伝わる。今後何かで悩んだときにその人に相談することはないだろう。一方、仕事で忙しいのに自分のために時間を作ってくれ、パソコンを閉じてしっかり向き合って話を聞いてくれる上司もいる。申し訳なく思いつつも、自分が大切にされるのはやはりうれしい。その人に出会えたことに感謝するし、自分もこうありたいと思わせてくれる。相手への気持ちは行動に出る。
使いやすいデザインを考える
2024/11/22
Webの仕事をしていると「デザイン」の意味がとても広いことが分かる。見た目の装飾だけでなく、ユーザーの行動の設計もそこには含まれる。デザイナーの仕事は多岐に渡り、ユーザーへのインタビュー、コンセプト設計、見た目の装飾、イラストを描く、アイコンやバナーの作成、ときにはプログラミングも行う。
とはいえ、元々デザインという言葉から連想していたのは見た目のデザインだ。私は使いやすいデザインに関心があり、使い心地の良いサービスと悪いサービスの違いを長年気にしてきた。
使いやすいサービスは文字サイズや余白感、画像や影の使い方が適切で、なんとなく画面を開いていて居心地が良く、窮屈な感じがしない。あるページを見た時に大事なものから順に視線が誘導されるが、それは文字の大きさや色使い、配置により実現される。さらに、その色や配置のパターンは複数ページで同じように適用する。使っていくうちに「決定ボタンは大体この辺にある」「下線が引かれたテキストはクリックできる」などとユーザーが学習する。一貫性がもたらす効用だ。
シンプルな文章を書く
2024/11/18
「Simple 「簡潔さ」は最強の戦略である」という本を読んだ。私はシンプルという言葉が好きで、本のタイトルにそれが入っていると大抵買ってしまう。本の著者はアクシオスという会社の創業者で、アクシオスは短く要点をまとめたニュースレターで一躍有名になったオンラインメディアらしい。短く簡潔にというのがポリシーで、本の内容も仕事術というよりは文章の表現に関するものに多く触れられていた。
コンテンツに溢れ、すべての情報に目を通すことはできない時代になっている。その中で読むべきニュースと、「なぜそれが重要か?」を短文にまとめて配信する。この形式は現代の情報収集にとてもマッチしている。ただしこれは情報収集の効率化においては有効だが、小説やエッセイなど文章そのものを楽しむケースにおいては適用すべきものではないので注意したい。ストーリーや日記を要約してしまっては大事なエッセンスがこぼれ落ちてしまう。
このWeb日記を書き始めてから、脳内で考えたことをそのまま書き出すことに興味がある。そうなるとタイトルの付け方や見せ方、文章をいかに削るかといったことは重視しなくなってきているが、仕事関連の文章ではそれをすべきだと感じた。「文字を削るのは読み手に対する誠意」と本にはあるが、確かに同じ情報量を得られるのであれば短い時間で読めるほうがよろこばしい。