「傷つきやすさと傷つけやすさ」を読んだ

2025/11/22

傷つきやすさと傷つけやすさ ケアと生きるスペースをめぐってある男性研究者が考えたこと」を読んだ。最近はケアの本をよく読んでいるが、その中でも本書は3本の指に入るくらい面白かった。本屋でたまたま手に取った本なので、出会いに感謝。

まずは冒頭のくだり、「我思う、ゆえに我あり」でお馴染みのデカルトについて。彼は「自己」についての考えを書いていたが、そこには彼の身の回りを世話していた人物への言及がなさすぎることを指摘する。さらにデカルトは貴族の出で受けた教育も良い。特権を享受しつつもそれを自覚せず、あたかも普遍的なもののように表現することはケアを無視しすぎている。この指摘がまず面白い。

そしてケアを無視していることは現代にも通ずる。例えば会社での競争主義は男性が中心となっており、それは家にいる女性にケアを押し付けて成り立ってきたものといえる。自分はいまそれなりに仕事もできて楽しく過ごせているが、それは自分の才能や努力のおかげではなく、そもそも家の中が落ち着いて勉強できる環境で、困ったら塾に通わせてくれる親の考えや投資があり、その結果大学まで何不自由なく進めたことが要因として大きい。しかし気を抜くとそれを忘れてしまう。これはケアにスポットライトが当たりにくい状況を意味する。

自分の力で、という考えは自分にも牙を剥く。例えば自分が動けなくなったり、家族の介護をする必要が出たとき、「人に迷惑をかけないようにしないと」「家族のことは家族で」という考えが出てくる。これはケアの役割を家庭に押し込めていたのが自分に内面化されており、自己責任論として自分にのしかかる。

本当は人間は弱いので、困ったら周りにサポートを求めればいい。「困ってます」と言って助けを乞えば誰かが手を差し伸べてくれる。でもそれが自分の論理のせいでできない。そういう空気を自分たちで作り上げてしまっている。

言ってしまえば、私たちは常に誰かを傷つけている。「結婚しました」という報告は「自分も結婚に向けて動かないといけないのかな」というプレッシャーを与えるし、「仕事がこんなに順調です」という発言は仕事が楽しくない人をさらに悩ますことになりかねない。自分も週末によくプログラミングして趣味のアプリを作っていたが、それを見た同僚から「土日に勉強してないなんてダメですよね」みたいに言われたことがある。実際はまったくダメではないが、何かのメッセージは常に誰かを傷つけうる。そしてその人たちの暮らしや考えが自分から見えてないことが多いので、この傷つけは知らないうちに起きている。

著者の方はこう述べる。

「もしかして私は誰かを差別しているのではないだろうか?傷つけているのではないか?」という畏れをもち続けることでしか、自らの傷つけを減らすことは難しい。

誰も傷つけないことは無理だ。であればせめて、自分の発言を反芻して考え、できるだけ聞く人のことを慮って発話することしか自分にはできないのかもしれない。

そして相手からの「傷つきました」というフィードバックには真摯に耳を傾け、それ以降の発言に反映させていく。こうして少しずつ見える視界を広げていく。


無料サービスはいずれ有料化する

2025/11/21

テレビで「ゴチになります」を観る。ちゃんと見たのは数年ぶりか。実家にいる時は楽しく観てたが、いまは一品一品の値段というよりは豪華メンバーによる掛け合いとか、コーナーが重視されてるような印象を受けた。長く続く番組は変容を遂げますね。「脱皮しない蛇は死ぬ」という言葉を思い出した。

昼は買い物に行き、久しぶりに服を買った。モンベルのあったかズボン。登山するわけではなく家用なのでオーバースペックではあるが、履き心地と暖かさを優先して購入。この冬はこれで過ごす。

AIラジオのzenncastは1年半くらい毎日自動更新されてるが、朝にエラーの報告が来ていた。見てみると裏側で使っているDifyというサービスが原因で、どうやら今月から料金プランが変更になったらしい。

イチからシステムを作り直すのも面倒だし、いったん有料プランに入るかな…今時点ではそこまで価値を感じてないのだが。AIもかなり賢くなってるので、リニューアルがてらフルスクラッチで作り直すのはありかもしれない。

インターネットの無料サービスはこんな感じですぐ有料化する。最初の無料期間は集客のためだと分かってはいるけど、開発者としては面倒でしかないな。


地に足の着いた調査は楽しい

2025/11/20

以前作った日記アプリ「Relief」を久しぶりに見てみると、有料ユーザーの半分が海外ユーザーになっていた。リリースするときに一応英語対応していてよかった。テンションが上がったのでちょっと手を入れてアップデート。過去に書いた日記を振り返りやすくしてみた。なかなか気に入ってる変更。

次に作るアプリのアイデアを考えていて、その準備でAIモデルの性能比較をした。OpenAIとかGeminiとかGrokとか、いろんな会社が日々モデルを改良している。連続的に追い続けるのは難しいので、良い機会だと思ってドキュメントを読み込んだ。

比較では簡単なサンプルを作って動かし、精度や応答速度を表にまとめていく。最近はVibe Codingで勢い任せに作ることが多かったが、こうして地に足のついた調査をしてる時は喜びがある。ちゃんと知識がついている。AIで作るのは早いけどすぐ息切れして、その後手を入れるのが大変になってしまう(今時点のAIの性能では)。

11月末で、フリーランスになって半年になる。いろいろ変化もあったのでnoteなどにまとまった文章を書いておきたいと思っている。年末も近いし、今年試したチャレンジは今年のうちにまとめておきたい。


「ikuzine」を読んだ

2025/11/19

ikuzine」を読んだ。その名の通り「育児のZINE」で、著者は友人のヤマダさん。内容はPodcast番組の文字起こしになっていて、参加者それぞれの育児に対する考え方やモヤモヤが読めてとても面白かった。

参加者の中には小説家の滝口悠生さんがいる。滝口さんの表現には心を掴まれることが多かったので書いておきたい。

例えば電車で子供が静かに過ごせたとき、親は「えらかったね」と褒める。しかし静かにしていて嬉しかったのは親目線であって、それを「えらい」と言ってしまうと親の都合すぎるところがある。なので滝口さんは「静かにしてくれて助かりました。感謝してます」と伝える。この表現であれば立場がフラットなまま子供を褒められていて心地よい。

そして子供の可能性の話。子供が何かに触れる機会は、ある程度は親側が用意しないといけない。例えばバイオリンの才能が実はめっちゃあったとして、バイオリンに触れる機会がそもそもないと才能に気づけずにチャンスを逸してしまう。しかし、かといって習い事ばかりで時間を埋めてしまうのも健全とはいえない。ではどうするか?

子供と触れ合う時間を多くして、子が何に興味を持つのか、何にどんな反応をするのかをよく観察することが一種の代替案といえる。子供が出すサインを見逃さないように観察する。最近は大人の社会でも「話すよりも聞くスキルが大事」という流れがあると思うが、子供とでもそれは一緒なのかもしれない。相手に自分の意識を向けて全力で聞くようにしたい。

滝口さんのパンチラインばかり紹介する形になってしまったが、他の参加者の方のやり取りも面白い。「子育てに正解はない」という言葉を聞いたことがあるが、各々のやり方や悩みをテーブルに置き、「それは全然良いんじゃない?」「それはこういうやり方もできるかもね」と会話する。家族という存在は閉鎖的になりがちだと思うので、こうやって気楽に話せる場があるのはとても良い気がする。そしてその会話をカフェの隣の席で聞かせてもらってるような感覚になった。

自分はメルカリShopで「DX版」を買ったが、そうすると著者の子育て日記が番外編としてついてくる。これも面白かった。子供とのやり取りがリアルに記録されているのだが、そこに出てくる子供の発言が大人の自分には出せない視点で心を打たれた。そして些細な日常の会話は普通だと忘れてしまうと思うので、日記に残して読み返せる面白さにも改めて気づかされました。

11/23(日)に東京で開催される文学フリマ41にも出店されるようなので、もし参加される方はのぞいてみてください!


「生成AI時代の価値のつくりかた」を読んだ

2025/11/18

生成AI時代の価値のつくりかた」を読んだ。久しぶりのオライリー本。この本にはプログラムのコードは出てこない。その代わりどんどん賢くなる生成AIとどう付き合っていくか、どういう点を意識して仕事をすれば良いのかが書かれている。

本書で一番インパクトを受けたのが「+AIからAI+へ」というスローガンだ。「AIがすごいので活用しましょう」と始めるプロジェクトは大体失敗する。それは既存の機能にプラスアルファでAIを付加しようとするから。AIはもっと破壊的で、仕事そのものを変えるポテンシャルがある。AIが組み込まれた体験を軸に考えるようにマインドを切り替えることが出発点になる。

では具体的に何から始めれば良いか?それは「仕事の構造を書き出すこと」。自社のビジネスの流れを細かく分解して並べる。そしてAIが得意な部分をそこから見極める。仕事の目的は大きく分ければ「コスト削減」か「利益創出」の2パターンしかない。コスト削減の方が自社だけで完結できるので難易度が易しい。著者はリスクの低い社内業務の自動化から始めることを推奨している。

OpenAIやAnthropicのモデルは素晴らしいが、それは誰でもアクセスできることを忘れてはいけない。モデルは誰でも使える。プロンプトも多少の工夫はできるが大差はつかない。では他者と差別化する要因はどこにあるか?それは「自社固有のデータ」にある。

自社のエッセンシャルなデータは学習に使われないよう気をつけること。良いデータセットがあればモデルをチューニングしてユニークな体験を生み出すことができる。

個人的な予想としては生成AIを使えば仕事が10倍の量できると思っている。しかしそれは他社も同じ。一時的に差がつくこともあるかもしれないが、最終的には「AI活用度」は事業価値とは直結しないだろう。最近の技術コミュニティではAI活用法がよく議論されてる気がするが、いまフォーカスして掘り下げるべきはそこではないのかもしれない。