「自分をいかして生きる」を読んだ

2025/10/15

自分をいかして生きる」を読んだ。著者は働き方研究家の西村さん。以前読んだ「自分の仕事をつくる」では各界の現場を訪ねて「いい仕事」に迫っていったが、本書は対象を仕事から人生に対象を拡げる。

自分を活かす、というとすぐに連想するフレーズは「好きなことを仕事にしよう」。しかしこの表現は実際と少しズレていると著者はいう。その道のプロの現場に足を運んで見る光景は「この仕事が好き」ではすまない態度だったりする。悩み苦み、ただ好きなだけでは潜れない深さまで達している。ではどういう表現だとよいか?それは例えば「あなたが大切にしたいことは?」あるいは「自分がお客さんでいられないことは?」というフレーズである。

自分の場合に置き換えて考えてみると、例えば漫画や音楽は好きだが自分でやろうとは思わない。しかし居酒屋のモバイルオーダーのアプリの出来が悪いと自分で作りたくなる。そんな感じだろうか。でも、これは今エンジニアとしてのキャリアがあるから思うことかもしれない。もっと遡ると大学時代、何かのイベントの進行を見て自分ならもっと上手くやれると感じていた。勝手に改善点を考えたりしていた。こっちの方が原点に近いかもしれない。

自分と社会との繋がりを描いた図も面白い。真ん中に「自分」が立ち、右側に「社会」がある。そして左側には「自分自身」がいる。社会に合わせてばかりいると自分自身がおざなりになる。逆に自分自身ばかりと話してると社会との縁が遠くなってしまう。現代を的確に表している気がして好きな表現だ。

SNSで情報との距離が近くなっている現代は「社会」の影響力が大きい。それと離れる時間を意識的に作って自分自身と「ふたりっきり」になる。自分と対話する時間でのみ生育される内面がある。

自分と向き合うことについて、好きなパンチラインがある。

他人からもらったアドバイスより、口に出してみた気持ちや自分が語った言葉の余韻が、再び自分に揺さぶりをかけて、それが次の場所へ向かう足がかりになってきた感覚がある。

これは「もし過去の自分に相談されたらどう聞くか」という著者の思考実験のなかで出てきた言葉だが、なるほどと頷きながら読んだ。思い返すと他人からもらったアドバイスで道が決まることはほぼなかったような気がする。数回あったような気もするが、それも自分の中では決まっているものがあって、それに符合する形で共鳴していたのかもしれない。

最後に、もうひとつパンチラインを紹介。とある画家の方がインタビューされたときの一幕。

「”絵画は死んだ”とよく言われるけど?」という質問にこう答えていた。

ー あまり関係ない。わたしが朝起きて、絵を描こうと思い続けてればね。ロックと同じようなもので、たとえば、今、ギター中心の曲はあまり作られていないけど、誰かがやりたいって思っていいものを作れば、誰もそんなの価値がないなんて言えないじゃない。

この言葉にものづくりのエッセンスが詰まっていると思う。自分が価値があると思えば、他者からの評価がなくてもその価値はゆるがない。


「口の立つやつが勝つってことでいいのか」を読んだ

2025/10/14

口の立つやつが勝つってことでいいのか」を読んだ。Xで話題らしくて本屋に行ってもなかなか出会えず、Amazonでポチってゲットした。エッセイ集だがこれといったテーマがあるわけではない。著者の方が見たこと、気づいたことが言葉で表現されていてとても読み応えがあった。

本書のタイトルにある通り、「口がうまいというのはそんなに良いことなのか?」という点から本書は始まる。ひろゆきが人気を博したように、相手をうまく言いくるめられる人がすごいとされる世界になってきている。しかしテキパキと意見を言うのはそんなに良いことなのか?著者はむしろそれはいかがわしく、口ごもったり迷ってる人の方が温かみがあるという。

自分もお笑いが好きで育ったので、かつてはたくさん喋ったりエピソードトークを淀みなく喋ることがクールだと思っていた。でも最近はちょっと違ってきて、たくさん喋るとそれだけハズレの言葉を選んでしまっている、という感覚がある。例えば「個人開発はお小遣い稼ぎに良い」と発言する。これは正しい側面もあるけど自分の見えてる世界とはかなりズレており、こう表現してしまうことで自分を裏切った気分になる。なので言葉を選ぶようになり喋る時間が短くなってきている。それに伴いテキパキと論理的に喋る人は苦手になり、失敗したり勝ち目のない戦いをするような不合理な人と一緒にいたくなってきている。

「人間として何が重要か?」という節はとても面白かった。本書では「親切」はどうかと述べられている。「愛」は重すぎて扱いづらい。愛を注いだ結果裏切られた場合、そのエネルギーが反転して相手への憎しみに変わってしまうことがある。親切は愛よりもちょっと軽い感じがする。隣人を愛すことはできなくても隣人に親切にすることはすぐできそうだ。仲の良い人と争いになった時は愛を減らして親切を増やしましょう。

読書は新しい物語と出会う方法、という話も面白い。人はみな物語を生きている。そして大体人生は思う通りにはいかないので、悩んだり苦しんだりして思ってもみない道に進むことがある。これまでの物語では生きていけなくなったなら、新しい物語を自分にインストールするしかない。

本との本当の出会いは、読んだときではなく、その本を思い出す体験をしたときなのかもしれない

1年にそれなりの数の本を読んでいるが、読んだ本の内容を覚えているかというとまったくそんなことはない。でも何かに行き詰まった時、「あの本にはこう書かれてたな」とか「あの本で言ってたのってこれのことか」と分かる瞬間がたまにある。誰かの物語は予想しないタイミングで自分の心を軽くしてくれるときがある。


「不完全主義」を読んだ

2025/10/13

不完全主義」を読んだ。放っておくと効率的に、生産的に、完璧にこなそうとしてしまう私たち。しかしそれには際限がなくてやがて疲れてしまう。完璧じゃない自分を受け入れ、その上で大事にしたいことを選んでいきましょう、という本。

著者の前作「限りある時間の使い方」は日本でもヒットして自分も読んだが、これはそんなに刺さらなかった。一言でいうと「タスクをもっと効率的にこなす、という発想をやめましょう」という本で、その考えは少し前から自分のなかにあったからだと思う。今回の不完全主義のテーマは「完璧主義を手放しましょう」。これは自分にとても刺さるメッセージだった。

完璧主義とはどういうことか?例えば街を歩いていてホームレスに小銭を募金しようとする。しかしそこで「いや、支援団体に寄付した方がもっと効果的だと聞いたことがあるな・・」と出しかけた手を引っ込める。そして結局支援団体を探すこともなく終わってしまう。

この時問題なのは自分の性格ではなく、行動しようとした気持ちを止める自分の中の完璧主義な部分だ。「もっと効果的に」「最善の方法を」そう考える自分が行動を止めてしまっている。

完璧主義を手放すというのは無計画に生きるということではない。計画はあっていいし長期的な目標もあっていい。ただ、今この時間を過ごすことを大事にする。その計画が成功したら自分の素晴らしい人生がスタートするのではなく、すでに今目標を追いながら自分の人生を営んでいると考える。

それでも自分の仕事のアウトプットや成果の質が気になって仕方ないときは量を意識する。たくさん出すことを考えればいつまでもひとつの品質にこだわってはいられない。たとえば毎日15分日記を書いたり、新しいことを学んだりすると定常的にアウトプットできるようになる。ただし、ここでも「自分で決めたんだから絶対毎日続ける」という気張りは必要ない。「だいたい毎日」続けばいい。できなかった日があっても、その翌日また再開したらいい。

完璧主義者は新しいことを始めるのが大好きで、やがてそれが自分の理想から離れていくと歩みを止める。その何かが思い通りに進むことはない。例えばWebサービスを作っていてもユーザーのフィードバックに応えるうちに思ってもない方向に行ったり、作っていても楽しくない機能が増えてきたりする。自分の描いた通りの完璧に近づける必要はなく、将来をコントロールせずに身を任せればいい。

その他、特に心に残った一節をメモ。

  • インスタグラムをだらだら眺めてしまうのは「決めたことをやらなければ」と無理をしたストレスからの逃避
  • 毎日3-4時間は誰にも邪魔されない時間を作り、他の時間は日々の雑多な混乱を受け入れる
  • 親切にしたいと思ったら、すぐに行動に移す
  • いつだって、ただ次の瞬間だけを考えればいい。「次にすべきこと」にベストを尽くしていればいい
  • 情報を追うだけなら、1日に10分もあれば事足りるはず。それ以上画面をスクロールしつづけても不安や無力感が増すだけで、何より実際に行動を起こすための時間が食いつぶされてしまう

限りある自分を受け入れ、そのなかで大切なものを見極められる目を持ちたい。


「ラップスタア」が面白い

2025/10/12

Abemaのオーディション番組「RAPSTAR」が今年も始まっている。応募したラッパーの中から審査員が選考し、各ステージの突破MCを決めていく。最終的に優勝すると300万円がもらえる。最近はアイドルのオーディション番組が人気だが、このラップスタアは少し異質なところがある。

まずHIPHOPは自分の生い立ちを語る。番組内で披露する曲の歌詞はすべてラッパーが考えるが、その歌詞を追うだけでどういう生まれで、何を大事にしている人物なのかが伝わる。例えば少し前までハマっていた「THE LAST PIECE」でも作詞のシーンは何度かあったが、それはひとつの曲をメンバーで分割して、いくつかの小節に自分の夢やなりたい姿を詰め込むものであった。ラップスタアは一人ずつの参加、しかもラップで言葉を詰め込むので情報量が違う。

オーディション中で曲を作るとき、番組が用意したビートを選び、その上に自分のラップを乗せて披露する。合宿では24時間で曲を作ることもあり、それなのにとんでもなく高いクオリティでいつも喰らわせられる。なんでこんなスラスラ曲が作れるか不思議に思っていたが、そのMCの過去作を聴いていると似たような表現が出てくることがある。まだ光の当たってないときから自分と対話して積み重ねたものがこのタイミングで表出しているのかもしれない。ソフトウェア開発でも自分で試した断片的なコードがふとした瞬間役に立つことがあるので、なんとなく重ねて楽しんでいる。

審査員は6人いる。R-指定のような毎回出る人もいれば、その年に初めて入る審査員もいる。HIPHOPに詳しいわけではないので知らないMCが審査員になることもあるが、数回見た時点でもれなく好きになっている。その人のスタンス、シーンへの想いなどに触れるとこれまた喰らう。6人の嗜好はそれぞれ異なり、背景の物語を重視する人、聴き心地を重視する人、言葉選びや押韻を重視する人、ビートへのアプローチを重視する人など見ている観点が微妙に違う。もちろん重なる部分もあると思うがこの観点の違いが番組をさらに面白くしている。さらに審査員もみんな現役なので、早めに落ちてしまった人でも後に一緒に曲をやってフックアップしたりもする。優勝せずとも世の中に見つかることもある。自分のスタイルを貫くラッパーの姿はかっこいい。


食うのには困らない

2025/10/11

外に出るとみんなイヤホンをしている。音楽を聞いたり動画を見たり、歩くのに使わない耳を何かで埋めている。名前は忘れてしまったが、数年前に友達と聞いている音楽を共有するアプリがあった。アプリを開くと友人が聞いている音楽が一覧で並び、タップするとそれを自分も聴ける。会社の同僚を誘って使っていたが、ポケットの中で誤タップして通話をかけてしまうことがあった(電話する機能もついていた)。朝の通勤中に間違い電話することが多かったので、その後会社で会って一緒に笑った。

昨日は前職の後輩と夜ご飯。出張で大阪に来るとのことで連絡をくれていた。去年も同じように声をかけてくれた。うれしい。2時間くらい色々話してとても楽しかったが、特に興味を惹かれたのが山での自給自足。山に住んで鶏を飼い、完全に自給で生活している人・コミュニティがあるらしい。一発当ててもう働く必要がないことを「食うのには困らない」と表現したりするが、本当の意味の食うのには困らないを知った気がした。

あとは3Dモデル界隈の生成AIの話を聞かせてもらったがまったく分からない。仕組みの想像すらできず、どの会社が強いかとか表層の話ばかり聞いてしまう。本気で理解するには紙とペンが必要だな。次回会うときまでには知識を入れておきたい。一家に一台3Dプリンタを持つ時代ですよと以前言われたことがあったが、さすがにそれはまだ来てないとは思う。しかし自分としてはAIの情報を追ってるつもりでも局所的なんだな。たまには違う分野の人と話さないといけないぁと思った。

実家にて義母の育児日記を読ませてもらう。普通のキャンパスノートの1ページに1日分が記録されていて、各時間帯にやったことと一言コメントが添えられていた。これがとてもリアルで、最近読んだどんな本より面白かった。スマホは便利だけど筆跡そのものにも歴史が宿る。アナログの良さがある。