「自分とか、ないから」を読んだ

「自分とか、ないから。教養としての東洋哲学」を読んだ。著者の名前はしんめいP。しんめいP?なんか怪しい。そう思って手に取ってこなかったが、友人の知り合いであることが判明して一気に距離が縮まって購入。読んでみると大変面白く、しょうもない理由で避けていた自分が恥ずかしくなった。
内容は東洋哲学について、これでもかというくらい噛み砕いて解説している。著者の方は東大卒で一流企業に入るが合わずに退職する。そこで無職の期間を長く過ごし、辛い時期に東洋哲学に出会う。西洋哲学は生き方の追求などの頭がいい感じがして無職で読むとより辛くなる。東洋哲学は「楽になるための哲学」で、これだと思ってブッダや老子のことを調べていき、そのエッセンスを読みやすく書いたのが本書。
いくつかメモした言葉を書く。
苦しみの原因、それは「自分」なのだ。
すべてが変わっていくこの世界で、変わらない「自分」をつくろうとする。
そんなことしたら、苦しいにきまってるやん。
何かに捉われず自分も柔軟に変化していく方が苦しみはすくない。
いちばん低いところにいるのに、いちばん強い。
そもそも争いにならないから、「敵」がいない。無敵なのだ。
敵が無いと書いて「無敵」というのも面白い。
「お金をいっぱいゲットしよう」もいいけど、
「お金をいっぱいゲットして、いっぱい人をたすけよう」と、でかく考える。
すると、でっかい自分、「大我」になる。
自我を抑えるのもいいけど、難しければそれを追求しまくって大きくする。スケールを壮大にして、それを善いことに向ければいいやん、という考えが面白い。
こんな感じで難しい表現を現代に噛み砕いて解説してくれる。文体はかなりカジュアルめで、最初読み始めた時はもしかすると苦手かもな…と身構えたものの、著者のセンスが抜群で、クスリとさせてもらいながら一気に読みました。こういう文章もいいですね。
THE Wを見た
夕飯をつけながらふとテレビを点けるとTHE Wがやっていた。女性芸人のNo.1を決める大会で賞金は1,000万円。いつも思うけどM-1と時期が近すぎて盛り上がりづらい。今年は粗品さんが審査員をやっていて注目されていた。粗品さんはytvの審査員を今年初めてやり、その的確な分析と厳しく愛のあるフィードバックで番組を盛り上げた過去がある。
THE Wはレベルが低いと言われていて、それはTHE WのファイナリストがM-1の3回戦あたりでみんな落ちているので根拠もある。それでも審査員は毎年「面白い」を前提にコメントしてたが、粗品さんは「面白くなかった」「1秒も笑えなかった」「おもんない客が変なところで笑ってただけ」と辛辣なフィードバックをする。
自分も粗品に話が振られたときは観ていてワクワクしたが、全肯定できないモヤモヤが少しあった。それが何か考えてみると、「強者の意見は常に正しい」世界を嫌がってるんだと気づいた。世間の目を気にして曖昧なことを言う審査員が増えてるなか、本当に実力アップに繋がるコメントをする粗品さんは必要な存在。でもファンが「粗品が言ってるから正しい」「粗品に歯向かうやつはアホ」みたいに言い出すと息苦しい。粗品さん自身が「お笑いわかってないアホども」と言うように、考えることを放棄して誰かの追従だけする人が増えていく様子は寂しい。
あとは最近の賞レースはバラエティ的な空気に包まれていて、例えば敗退した人も面白いコメントで爪痕を残そうとする(本当は悔しいけど出さない)。エルフが粗品コメントを笑いで返そうとしてズレた時があったが、それはエルフが番組の雰囲気を重視しようとしたからで、番組側がどういう大会にしたいのかを出演者と共有する必要があったように思う。
ちなみにAbemaのオーディション番組「RAPSTAR 」では審査員6人のスタイルや審査の観点がそれぞれ違っていて、この違いが番組に厚みを生んでいる。どの人のコメントも聞いてもなるほどと唸らされるし、6人がお互いの審査をリスペクトしてる様子も見られて色んなスタイルがあるんだなと実感できる。今は粗品さん一人が目立ってるが、他の審査員とバランスが取れるようになればもっと見やすくなるかもしれない。
アプリのデザインが楽しい
自分はメインの機能を最初に作り込むことが多い。設定とか通知画面とか、そういうサブ的なものは最後まで手をつけない。メインの使い道で楽しく便利さが享受できるか?それをまず最初に確かめたいと思っている。
デザインも組み込む。自分はFigmaなどのデザインツールは使えないので、紙とペンで適当にラフ図を書いて、それを見ながら実装する。こうしてるとメイン画面だけ立派で、他はしょぼいアプリが出来上がる。そして次はサブ画面を作っていくのが従来だったがー。
AIの登場により、メイン画面を渡せばそのテイストでサブ画面のデザインを考えてもられるようになった。この使い方が思いの外便利で感動している。サブ画面は登場頻度としては低いが、アプリ全体の一貫性を担保するためには手を抜けない部分でもある。一貫性というのは見た目やタップしたときの挙動、ボタンの配置など。AIは模倣が上手なので、「このアプリでこういう画面作るならデザインはこうでしょ」を提案するのが上手い。
自分はデザインのインスピレーションを探すときはDribbbleなどのデザインサイトを眺めることが多い。素晴らしいデザインが多いが、そのデザイナーの世界観が強すぎて基本的にはそのまま使えない。上のAIを使った方法なら、自分のアプリをよく理解してるデザイナーがいろんな画面をオシャレな感じで作ってくれる。これはかなりスピードアップになる気がする。
一通り実装したものは自分のiPhoneに入れて普段使いする。ご飯前とか歯磨きしながらとか。そうすると見えづらかったり何のボタンかわからなかったりして不満を覚えるので、それを一つずつ潰して滑らかにする。こうしてアプリの摩擦が減っていくのがとても楽しい。見た目上のデザインはAIがかなり上手くなってるが、全体感の設計やアニメーション・インタラクションなどの動きの部分は、まだまだ人間の土俵だなと感じている。
迷っちゃダメよ。迷いは創作の敵だから
RAPSTARでSEEDAさんが言っていた「迷っちゃダメよ。迷いは創作の敵だから」という言葉がクリティカルヒットした。なんか最近は迷いが多かった気がする。フリーランスになって好きなことをやれる時間が増えて、考えすぎて手が止まる瞬間が多々あった。2026年のキャッチコピーは「迷いは創作の敵」でいきます。
ここ2週間くらい仕込んでいたアプリがひと段落。Appleの審査も通ってあとは機を見てリリースすれば良い。マーケも頑張ろうということで、別の自分のアプリから誘導できるように調整した。Figmaを使って自分でバナーを作る。それなりに気に入るものができて満足。
夕方、新しく買ったポットが届く。説明書がそれなりページ数があり読むのがめんどくさい。全ページの内容をくわせたAIを作り、そのAIとチャットできるページのQRコードだけ送ってほしい。知りたいのは使い始める前に洗う必要があるのかどうかで、自分の目ではその答えは見つけられなかった(洗った)。
12月は振り返りの文章をいくつか書きたいと思っており、そのひとつであったZennの記事がたくさん読まれていてうれしい。でも8月頃にほぼ同じ内容を勉強会で話したときは全然反応がなかった。オンライン発表だったのも関係あるかもしれない。人がいるところで発信する大事さを再確認する。
「勝負眼」を読んだ
「勝負眼」を読んだ。サイバーエージェント藤田さんの新作で、週刊文春の人気連載をまとめた形。藤田さんといえば最近社長を交代することを発表して話題となったが、そういう会社の成熟、移り変わりみたいな話題が多い(あと麻雀の話が多い)。
自分が就活の頃、サイバーエージェントはメガベンチャーの代表とされており、説明会や選考にも参加した。他の会社が貸し会議室で説明会を開催するのに対し、サイバーエージェントは大きなホールを貸し切って開催し、最初に藤田さんからのメッセージが巨大モニターに流れる演出をしていた。その当時から藤田さんの見せ方へのこだわりはすごいと思っていたが、本書でもそのあたりは何編か書かれている。
本書で一番印象に残ったのは以下の文節。
クールジャパンは日本の文化の良いところを世界に広めようとしているに過ぎない。一方で、クールコリアは自国の文化を世界水準に高めることを目指している。
クールジャパンは何か違うなと思っていたが、その理由をズバリ指摘している。今の時代良いものはグローバルで課金される。なのでサービスやプロダクトは世界基準を目指すべきだ。
アメーバブログが苦戦していた頃、藤田さんが当時のサービス責任者を外して自分がオーナーとなって動いた話がある。当時の担当者はアメブロではないブログサービスを使っていた。「一番のユーザーである自分が誇れるサービスにする」を基準にしてサービスのクオリティを底上げた。
Abemaでも同じことが言える。以前聞いた話ではアプリの体験やデザインについて、藤田さん自身が膝を突き合わせて会話しているという。自分の中に基準があり、そこに向けて改善を続けられるチームは強い(社長自身がこのスタンスを保てているのがすごい)。
社長の交代劇に直接触れている回は思ったより少なく、藤田さんの考えや行動を振り返って書いているものが多い。文春での連載というのもあってか麻雀の例えが多く、それも麻雀好きの自分にはたまらない。
思考を整理し言語化する時、そのプロセスを通じて自分自身が大きく成長するということだ。
一方、言語化する機会をもたず、感覚で仕事をしているような時期は、いたずらに時が流れ、停滞しているように感じられる。
感覚で乗り切ってると積み重ねがない。やるときは勢いで進めてもいいが、後で振り返り言語化することで血肉になる感覚は自分にもある。手を動かしては振り返り、少しずつ上達していくプロセスはそのものが面白い。