10知った上で1を話す
何かを人に話すとき、10知った上で1を話すようにしたい。自分を大きく見せたいと思うと1しか知ってないのに10話す。これは知ったかぶりで、表面上は取り繕えても長続きしない。1知って1を話す。これは普通に思えるが深みがない。例えば本に書かれていた名言をそのまま引用するような感じ。自分の言葉にできていないと他人には刺さらない。
10知って1を話すとはどういうことか?本の名言をそのまま鵜呑みにするのではなく、自分の経験と照らし合わせて咀嚼して理解する。複数の本を読んで共通する部分はどこかを理解する。抽象化したうえで改めて言語化する。より説得力が上がるし、その発言に対して質問されてもすぐ答えられる。
本当に理解している場合、質問は心から歓迎できる。自分の理解の再確認になったり、うまく答えられない部分は自分に不足していた部分として「伸び代」にできる。曖昧な理解で話を進めていた場合、質問はできれば避けたいものになる。それは自分の領域を侵され、取り繕った表面が崩されるものに思える。本当に優秀な人はオープンでいる。自分の評判がどうかより、解決したい問題そのものに集中している。
自分のことを書く
人のプライベートにズカズカ土足で踏み込んではいけない。人によって繊細な部分は違い、何気ない一言が相手を傷つけてしまうこともある。プライベートに触れずに仕事や趣味など共通の取り組みについて話してるだけでも十分楽しい。でも、自分の弱い部分を聞いてもらうにはやはり深い関係が必要。そのためにまずは自分から発信する、というのはどうだろうか。
この日記に自分のことを書き、Podcastでも自分のことを話す。大炎上時代に危険なタネを蒔いている感覚もなくはないが、それよりも自分について話しておくのが大事な気もする。気遣いができる人ほど相手にどこまでの話を聞いていいか慎重になっている。自分が仲良くなりたいのは往々にしてそういう人なので、自分のことを開示しておくと会話が進めやすくなる。
世間は1億総ツッコミ社会で、一人のボケ(目立った事象)について全員でツッコミを入れるような構図が多い。お笑い文化の浸透も相まって道から外れたことをするとすぐにツッコまれる。ツッコミ側は常識や正論を言っておけばよいので楽でノーリスクだが、自分が憧れるのはボケる側の人。何かを作ったり発信したり、自分が好きなことを見つけてそれに取り組む姿をみるとうれしくなる。お金持ちには憧れないが、良い年の取り方をしている人には憧れる。
文字での発信というと、長い文章を書くのが面白い。X(旧Twitter)は短文で投稿できて気軽だが、短い文章に要約できすぎてどこに真実があるか分からなくなる。キャッチーなフレーズや鋭い視点だけを書き込むのは映画の予告だけを見続けるみたいなもの。それっぽく誤魔化すのではなく、要約すると削ぎ落ちる部分をつないで文章にすることが最近は心地よい。
若者に説教する人間には絶対なりたくないと思っているが、自分のことを話すのが好きなのもまた真実。アメリカの100ドル札に描かれているベンジャミン・フランクリンは「伝えたいことがあるなら文章に書くくらいがちょうど良い。興味がある人だけが読むなら相手の時間を無用に拘束することもない」という旨のことを言っている。完全同意。自分のことは話したい、しかし飲み会の場で支配的に話したくない自分にとって文章は望ましい。
チンチロライブに行った
霜降り明星・粗品が主催するチンチロライブに行った。チンチロは粗品のYouTubeで人気の企画で、メンバーはシモリュウの二人とダブルヒガシ大東を合わせた4人組。元々YouTube企画だったのが最近はライブでやるようになり、前回は武道館、今回は横浜アリーナでの開催となった。
会場は満席ですごい人数。メンバーのカラー(YouTubeのテロップの文字色)のペンライトを振ってる人がいる。座席から「がんばれー!」や「龍二いけー!」のような声をかける人が多く、それにツッコミを入れて会場が沸くシーンも多々。音楽のライブともお笑いのライブとも一線を画している雰囲気。
チンチロはサイコロを3つ振ってその出目で勝敗が決まる。駆け引きなどなく完全に運の勝負ではあるが、サイコロを投げる前にフリを入れたり流れを演出することでお笑いイベントとして成立している。四人の息のあった連携や先輩後輩なくいじりあう関係性などに楽しく見られるが、特に粗品のプロデュース能力がすごい。さりげない言動で流れを作って他の3人が動きやすい雰囲気を作っている。YouTubeを見ていてもボケやツッコミはもちろん、その企画力に感心させられることが多い。得点を決める能力がありながらパスやゲームメイクも巧みというので、仕事の参考になる部分も多い。
客層は幅広いものの若い人が多く、前の席には大学生と思われる4人組。この日は出目が神がかっていて何度も見せ場があったのだが、彼らはその度に顔の前で手をバンバン叩いてよろこんでいた。こういう空間っていいよね。SNSなどでは周りの目を気にしないといけない時代なので、こういうリアルな閉じられた空間の価値はあがってると思う。ちなみにステージ上では定期的に四人の席替えがあったのだが、そのスキマ時間の度にかなりの人数がトイレなどで席を立っていた。あまり他のライブでは見たことがない光景だったので面白い。
チンチロの企画はYouTubeで無料公開していて、そこで出来たノリやストーリーを引っ提げてライブに繋げている。この最初に無料の場所でファンを作ってからリアルで集金する仕組みに令和を感じた。ライブ前にYouTubeでこれまでの見せ場を集めた復習用の動画を出したり、会場で開演前にチンチロのルールを最速でVTRで説明したりと楽しむための前フリもちょうど良い。ステージや演出も粗品のこだわりを感じるもので、とても楽しい時間を過ごせました。
成功も失敗も、自分と会社で50:50
『「能力」の生きづらさをほぐす 』を読んだ。何かあったときに個々人の能力値に問題が帰結されがちだが、その能力って何なの?を紐解いていく本。社会人になりたての息子の悩みに対し、教育学を専攻し組織開発の仕事を長年してきた著者が答えていく物語形式。例えばある会社で活躍できなかった人が、転職先ではエースになる。能力というと絶対的なスキルに思えるが、実は環境とのマッチングの要素であることが語られる。
会社で仕事をしていて、その仕事の成否がすべて自分の手にかかっていることはほとんどない。会社の他の部署や取引先、業界のトレンドや時代など目に見えないたくさんの変数があって、自分の仕事はその一部にすぎない。評価も同じ。組織になると評価はつきものだが、その評価の尺度は企業や組織によってまるで違う。活発に意見を言うことが、あるチームでは歓迎され別のチームでは煙たがられる。その人の能力や性質は変わっておらず、周囲の環境が評価に反映される。評価は水物だがずっとそこにいるとそれが分からなくなり、評価が低い = 自分の能力が低い と考えてしまう。
一方で、変数の一部に過ぎないとはいえ自分の仕事も立派なひとつの変数である。仕事がうまくいかなかった時に環境のせいにするのは簡単だが、それでは改善の余地を逃すことになる。ちょうど良い考え方として、「自分と会社で50:50」というのを掲げたい。活躍しても自分個人の力ではないし、仕事で失敗したらその責任が完全に自分にあるわけでもない。浮き足立たず、他責にしすぎないために50%は常に自分の領分だと思っておくのはちょうど良い。
最近はプロダクトマネージャーとして働いており、これは管理職に近い。エンジニアと違って「これが私のスキルです」というのは示しづらくなった。良いWebサービスが作れても、それはエンジニアやデザイナーなど実際に手を動かしている人の手柄であるべきだ。じゃあプロダクトマネージャーの評価はどう測られるかというと、「どんなサービスを手掛けたか」で見られることが多い。GoogleやAmazonで働いたり、新進気鋭のスタートアップでの経験があると評価が高くなりやすい。しかしそれは会社に個人の評価が紐付き過ぎている気がする。その環境で個人がチャレンジしたこと、どんな課題解決に取り組んできたかなど、行動ベースで自分の実績は振り返るようにしていきたい。
ひとり遊びが上手くなった
最近はひとりの時間でも楽しめるようになった。本来は誰かと一緒に何かをするのが好きで、食事でも旅行でも気心知れた友達と行きたいと思っている。ただ年齢があがるにつれて家族を持つ友人が増え、そうなるとなかなかタイミングを合わせるのが難しくなる。余暇をひとりでどう楽しめるかは人生のポイントになった。
前職を退職するときの有給消化期間、一人で一週間ほど京都に行くことにした。その時に買ったのがFUJIFILMのX100V。カメラ好きの友人に相談して買ったのだがこれが一人遊びの入門になった。カメラはISO感度やシャッタースピード、焦点距離など一枚撮るにも変数が多い。私はまったく知識がないので一つ一つ試しながら覚えていくしかない。その時間がかかりすぎるオプション選択が没頭させてくれた。
そもそも誰かと一緒が好きなのは、旅行で美しい場所に行っても一人だと感動を分かち合う相手がいないのが寂しいから。おいしいご飯を食べたら「これおいしいね」と言い合いたい。共通することでよりその場を楽しめるし、後から思い出として話せるのも楽しい。カメラの設定を工夫しながら撮るのはこれに近い部分があり、自分のイメージ通りに撮れるよう試行錯誤している間は目の間の風景を何度も楽しめる。
以前はフィルムカメラを使っていたが、フィルムだと現像しないと撮った写真を確認できない。一発勝負の面白さはあるが、上達したいならフィードバックの間隔は短い方が良い。デジタルカメラだと撮ったその場でデータを確認でき、試行錯誤がしやすいのが良い。また、X100Vはデジタル一眼ではなく、コンパクトデジタルカメラのすごい良いやつという位置付けらしい。レンズを取り替えることができないが、その分コンパクトで持ち運びやすく、旅行の荷物に加えやすいのも気に入っている。ここが絶景ポイントです!みたいな場所よりは散歩中になんとなく自分が気に入った風景の写真を撮りたいと思っているので、持ち運びやすさは大事なポイント。
カメラに入門したのをきっかけとして、美術館に行ったりカフェに行ったり、一人でいろんなことをできるようになった。一人で飲み屋にもたまに行く。その場合はお酒を飲みながら本を読んだりと自由に過ごす。友達と行くときはレビューを調べたりして良い店を選びたいが、一人のときはよく知ったチェーンの方がゆったりできる。チェーン店には客を放っておいてくれる気楽さがある。
ひとりで楽しく過ごすこともできるが、やはり本当は友達となんでもない話をしているのが一番楽しい。大人になってからの友人関係は意識的に動かないと薄れていく。自分から連絡したり誘ったりして機会をつくり、好きな人とは関係性が続くようにはしていきたい。