孤独な夜の過ごし方
どうにも寂しい夜の過ごし方。本を読む、日記に考えてることを書き出す、散歩に出る、人に頼る。本の種類は何でも良いが、技術書やビジネス本よりは小説やエッセイが良い。本に目的がありすぎると昼の思考になる。夜はもっと間接的で良い。
エッセイは誰かの考えや生活に触れられる。いろんな人がいろんな場所で考え事をしてるんだなと理解することは、何かに囚われた気持ちを解放してくれる。小説はストーリーテリングで物語の世界に没入させてくれる。映画やアニメよりも想像力が求められるので他のことを考える余裕などない。寝る前に「プロジェクト・ヘイル・メアリー」を読み進めてから寝ていたときは心身ともに調子が良かった。そういうハマれる小説を常に探している。
モヤモヤで苦しいとき、逃げずに逆に向き合う。本当の悩みは考えないようにしてもすぐに戻ってくる。文字にして書いたり、散歩しながら独り言をつぶやいたりして自分が何を嫌に思ってるのか、何をずっと考えているのかを洗い出す。モヤモヤの根本原因が分かると意外に楽になる。人間は1日に3万回以上考えるが、その9割は無意識らしい。原因が何か掴んでおかないと、無意識でもモヤモヤに触れ続けてしんどくなる。
夜寝れなかったり、生活リズムが崩れても仕方ないと割り切る。人生長いのでそういう日もある。深夜にお風呂張ったり、アロマキャンドル焚いて本読んだりしていつもと違う感じを逆に楽しむ。個人でいろいろ工夫してみて、それでもどうしようもなかったら友達を頼る。変に別の理由をつけず「話を聞いてほしい」と呼びかける。1-2時間くらい話せば楽になる。この時誰に声をかけるかが大事で、自分の意見をグイグイ押してくる人は適してない。一緒に悩んでくれるタイプの人も深く落ちてしまう。話は淡々と聞きつつも、たまに相槌や笑いを挟んでくれる人だと一番素で話しやすい。
ひとりの時よりも、誰かといる状態から引き算されてひとりになった状態の方が寂しい。それは家族でも友人でもパートナーでも同じ。ひとりそのものが寂しいというよりは、喪失したという感覚がより孤独を感じさせる。今は苦しくても明日はどうだろうか?1ヵ月後はどうだろうか?1年後、10年後は?こうして時間を未来に飛ばしながら考えていくと未来の自分は笑顔である。孤独が永久に続くのではなく、ちょっと長いけど一時的な状態であることが分かれば耐えられる苦しみになる。
日記を本の形にしてみたら
今日で今の会社で働いて丸3年らしい。それまで新卒からずっと同じ会社で働いていたので変化を恐れる気持ちもあったが、いろんなことを経験できたので転職して良かった。職種を変えたことで手を動かすより考える時間が増え、それに伴い興味関心など自分の理解も深まった。
この日記も3ヵ月以上続いていて、そろそろ過去に何を書いたか振り返りたくなってきた。サイトに検索機能をつけても良いがもう少しアナログにしたい。3ヵ月ごとに本の形にまとめると面白いのではないかと思って最近調べている。電子書籍ならEPUBという形式に変換すれば良い。印刷する場合もEPUBにしておけば何かと取り回しが利きそうなのでまずはここを目指す。WebサイトはHTMLという技術で作られるが、EPUBはその変化系で基本的な部分は共通している。試行錯誤しながら読みやすいデザインを調整している。
確認がてら自分でパラパラと読み返すのだが、めっちゃ自分のことなので面白い。当たり前だがどの日の日記も自分が当事者。内容を覚えていない回もあるがそれも自分の考えの確認になって良い。気になったのが締めの言葉で、「〜していきたい」とか「〜と思っている」みたいな、総括っぽい表現が繰り返されている。ビジネス文章では最後にまとめがある方がメッセージが伝わりやすいが日記では必要ない。無理にまとめず、問いやモヤモヤを抱えたまま終わっても良い。
本といえば、最近知人のYamadaさんがZINEを作って売っている。「乱読の地層」という書評本で、エッセイ・ノンフィクションのカテゴリから50冊分のレビューが読める。読書欲が高まったときはYamadaさんのおすすめから読むことがあるが、かなり高確率で刺さるのでありがたい。乱読の地層も読ませてもらい紹介されてる未読本を5冊ほど購入した。ちなみにZINEで紹介されてた中だと、「牙」「サイボーグになる」「継続するコツ」あたりが好き。
Yamadaさんの本はメルカリShopsで購入できる。メルカリなので匿名配送。こういう使い方もできることに驚いた。今週末の日曜日には文学フリマでリアルでも売るらしい。植本一子さんのブースで一緒に売るらしくまさにインターネットドリーム。会場は東京ですが、気になった方は行ってみてください。
Duolingoを始めて50日経った
食わず嫌い気味だったDuolingoで英語学習をするようになって50日経った。毎朝仕事前に15分ずつやっていて、ここまでは絶やさず毎日続けられている。そして今後も続けていけそうな感覚がある。
気に入っている部分をいくつか書いてみる。例えば英語の文法を学ぼうと参考書を開いてみると、過去形や関係代名詞など、文法のエッセンスが章ごとに分かれていて一つ一つ説明されている。これは勉強する分には良いが、もちろん普通の会話ではこうやって区切られて登場することはない。Duolingoは過去形のセクションでもそれとはまったく関係ない以前学んだ内容が出題されたりする(気がする)。間違えた問題は正解するまで何度も出題される。この回数をこなしながら学んでいく方法は実際に英語を使いながら習得していくのに似ているんじゃないだろうか。座学でばかり学んできた自分にとっては新しい感覚を覚えている。
オンライン英会話のNativeCampを少々やっていたが、英会話だと会話が進むことが重視され文法が間違っていても立ち止まって確認しづらい。ティーチャーの言っていることが分からなくてもなんとなく誤魔化せてしまう。実際の会話もそんなものかもしれないが、英語力をあげたい立場からするとあまり適していない。元々ディクテーションをやりたいのがDuolingoを選んだモチベーションだったが、英語を一単語ずつすべて聞き取り書き出すのはとても勉強になる。"a"とか"that"とかかなりの頻度で聞き逃すし、文法の知識含めてリスニングが向上している実感がある。
ややネガティブ要素に考えていたゲーミフィケーション的な要素だが、すっかりハマってしまった。5問連続で正解したときに鳥が跳ねると嬉しいし、XPが2倍手に入ると言われたら少し英語の時間を伸ばしてしまう。連続50日!みたいな賑やかしがあり、それを途絶えさせたくないという思いで毎日最低1レッスンはしようとアプリを開く。ひとつレッスンをすると気づけば3つ4つやっているもので、こんな感じで習慣が作られた。今はiPhoneのホーム画面とロック画面にその日レッスン済みかどうかわかるウィジェットを置いていてすっかりファンである。ちなみにXPによるリーグ?みたいなのはまったく意味が分かっていない。いろんなリーグに勝手に参加させられてそこで順位があがっていくアニメーションを見せられる。意味はわからないが、それすら好意的に感じている。
伝え方のプロは相手の理解度に合わせて説明する
説明が分かりやすい人と分かりにくい人がいる。伝え方が良いと話が頭にスッと入ってくるが、伝え方が悪いと自分の脳内で整理しながら聞く必要があり必要以上に疲れたり、場合によっては意図を履き違えて理解したりしてしまう。この違いは何によるものだろうか?
社会人になりたての頃は、そのトピックの知識が豊富なら分かりやすい説明ができるのかと思っていた。しかし専門家と呼ばれる人が必ずしも説明上手なわけではない。その分野を学び始めでも良い質問を連発し、相手の意図を正確に理解できる人もいる。知識量とは別のところに工夫がありそうだ。
紐解いてみると、「相手の理解度をみて話しているか」は説明上手な人に共通している気がする。例えば会議で話すとき、参加者のトピックへの理解度はバラバラなことが多いであろう。ある人は長い間その問題について議論してきていて、ある人は最近チームに入ったばかりで経緯や課題感を分かっていない。こういう状態でいきなり本題を話しはじめると、大抵はベテランの人だけが話すことになってしまい新人は議論に参加できない。複数人で会議する意義はいろんな観点からその物事を見れることなので、参加できないメンバーがいるのは勿体無いことだ。
説明上手の人はどうするか?まず会議の参加者の事前の理解レベルを揃えることから始める。それは経緯を話すことであったり、前回までの議論を要約して伝えることかもしれない。解決したい課題を明記することかもしれないし、その会議のゴールを設定することかもしれない。手段は無数にあるが、「理解度を揃える」ことを意識する。この時間はそこまで時間がかからず、会議の冒頭5分くらいで十分できる。あるいは事前に参加者にメモを展開しておけば読んできてくれるかもしれない。たった5分で議論の質があげられるのならやらない手はない。
芸人が話す言葉に「前フリ」というのがある。ボケや一発芸の前のアクションのことで、前フリにより今からやるボケがより厚みを増して面白くなる。話の流れの演出と言い換えても良いかもしれない。本題の前に流れを作るという意味で、理解度を揃えるのはこの前フリによく似ている。前フリは重要だがあくまで本題のための事前作業なので、ここに時間がかかりすぎてもよくない。会議では経緯や歴史を延々と話す人がいるが、それは本題の時間を削ってしまうので説明のプロではない。理解度を揃えることにフォーカスし、最速で前フリするのが重要である。
理解度を揃えることが大事だと書いてきたが、出発点は相手の理解レベルを知ることだ。これは普段からの観察や対話により解像度をあげていくしかない。逆の立場で考えると、自分の理解度を周囲に伝えるのは良い動きだ。自分が学んでいること、分からなかったことをシェアしたり、会議中に疑問に思ったことを素直に質問する。面接や社外の人との会議など初対面の場では自分の出自を簡単に自己紹介するのも良い。「エンジニア出身です」と一言添えるだけで相手は技術用語を使って良いことを理解する。説明が上手い人は話が早く、そういう人は相談して変なことにならないので気軽に話しかけられる。これは目指す到達点の一つである。
キリの悪いところでやめる
その日の仕事を終えるとき、キリの良いところまで進めて止めがちである。ただ、実はキリの悪いところで切り上げた方が翌日仕事を再開しやすい。
プログラミングならエラーになる状態で、デザインなら3分の2くらい詰めた状態で止めておく。そうすると翌日何から始めれば良いか明確なので、いきなり作業モードに入れる。キリの良いとこで終えてると何から着手するかをまず考える必要があり、動き出すのにエネルギーが必要。最初のステップをなるべく低くしておくと入りやすい。
「君たちはどう生きるか」にもあったが、人間は同じことをやり続けたい生き物だ。ゲームを始めればゲームをやり続ける。勉強を始めれば勉強をやり続ける。最初の一歩を踏み出しやすく設計することは理に適っている。
一日寝かせるという効果もある。革新的なアイデアが思い浮かんだと思っても翌朝改めて考えると何でもなかったりする。落ち着いて見つめ直すことは普段の仕事にも有効で、日を跨いで仕事をすることで振り返りのチェックポイントを作る。前日の仕事を別の自分がレビューする。
一日の終わりだけではなく昼休みや細かい休憩でも中途半端な状態で手を止めるのは有効。最近は健康寿命を伸ばしたいと思いストレッチや運動を1時間に1回くらいのペースでやっている。休憩の回数が多いほど滑らかに再開できるかどうかは全体の仕事に影響してくる。