理解者

2025/09/17

高校1年生くらいまでは身長が低く、背の順ではいつも一番前に並ばされていた。ある日教室で保健の授業を受けているとき、「救出時の人の抱え方」みたいなのがテーマになり、一番前の席に座っていた身軽な自分が呼ばれて若い男の先生に見本として抱えあげられた。それはあっという間のことだったが、そこまで親交も深くないクラスメート達の前で辱められた気持ちになり、その先生のことは好きだったので反動のショックを受け、今も解決できないモヤモヤを抱えている。思い返せばその時友達と喋って騒がしくしていた気もする。注意の意味も込められてだったかもしれないが、それなら普通に注意して欲しかった。

高校3年のとき、個人の好みでかなり態度に差をつける数学教師がいた。いつもうるさくしていたサッカー部のメンバーには優しく、同じことを一回でも自分がすると厳しく怒られた。子どもながらに理不尽を感じていたと思う。三者面談の時に母親が「あの先生ちょっと変やな」と言っていた時は自分の理解者がいると思ってうれしかった。学校生活で尊敬できる先生に出会ったことがなく、卒業後に母校の先生に会いにいったみたいな話を聞くと環境が違うなと感じてしまう。

社会人になった今は自分で環境も選べるようになり、周りは優しい人ばかりでとても生きやすい。Web業界の性質もあってか上下関係も厳しくなく、あってもゆるい先輩・後輩くらいの関係で何かを押し付けたりすることがないのがうれしい。自由奔放に生きたいというわけではなく、勝手に誰かの価値観で測られたり押し付けられたりして消耗するのが苦手なだけ。誰かの規定した箱に体を捻って入るのではなく、自分なりの物差しを持てたらよい。