「流行りそう」では作らない

2025/09/16

三連休はほとんどパソコンに触らず本を読んだりして過ごしていて、自分の中のものづくり欲が枯れてしまったのかと心配になったが朝にプログラミングを少しするともっと続きをやりたくなり平常運転に戻った。やる気が起きて動くのではなく動くからやる気が出る、というのは真実。今日は仕事の日なので途中で中断し、夕方退勤後にまた続きのソースコードを書いた。

最近は「AI時代の開発組織」とか「AI時代の学習」とか、AIそのものよりひとつ大きな括りの話をよく見聞きする。AI開発への驚きを一通りみな表明したので次のステージに移ったのかもしれない。自分は変わらずAIアプリケーションの可能性を信じていて、AIで面倒なことが楽になったり日常が楽しくなったり、そういうユーザー向けの何かを作ることに興味がある。技術面や組織でのAI運用に比べると日本ではあまり盛り上がってない気もするが、直接的に生活をよくするポテンシャルがAIアプリにはあると思う。

社会人になってから15年くらい個人開発をしていて、いろいろ好きに作ってきた。次は何を作ろうかというのも常に考えている。日常の課題から考えることが多いが、それは数年後に見返すとまったく使わなくなってたりする。その時々で直面する課題は変わる。例えば昔は「位置と連動するリマインダーアプリ」を作りたかった。コンビニに近づくと「牛乳を買う」、ポストに近づくと「封筒を投函する」みたいに通知してくれるもの。しかし今は家で仕事をしているのでまったくいらない。昔より行動がゆっくりになったからか忘れ物も少なくなっている。こうやって輝きがしぼんでいったアイデアがいくつもある。その代わり今気になる別の問題、面倒なことをアイデアメモに追加している。

週末に小澤さんの「小澤隆生 凡人の事業論」を読んだが、その中に「でかいことをやりたい人」と「好きなことをやりたい人」がいるという話が出てきた。前者にあたる人は業界や領域を選ばず柔軟に動ける。ビジネスチャンスに敏感でヒットを生みたい人たち。後者は医療や農業など自分のこだわりのあるフィールドで仕事に従事する。自分はかなり後者寄りだと思う。流行りそうだと思って作って当たるほど世の中甘くない。自分や周りの人が困ってることがあり、それを鮮やかに解決しようとした先に広がる道がある。