本気を出せる環境に身を置く

2025/06/12

大学の頃スポーツ系の大型ショップでアルバイトをしていた。そこではお客さんからの質問に答えたりテニスラケットのガットを張ったりしていたが、手の空いた時間は商品の整列や埃取りをすることになっていた。最初は教えてもらう必要があるので社員さんと一緒にシフトが入る。半年くらい経つとバイトだけで入る時間帯が増えてきた。

平日の昼間だとお客さんの数はそう多くない。空き時間も多かったので教わった通り商品の整列などをやっていると、先輩バイトから「もっと適当にサボっていいですよ」と声をかけられた。働き様を見ている社員もいないし、商品もそう乱れてるわけではない。そのショップの売上がどうとかを気にする立場でもないし、何をしてても時給はもらえる。先輩がそう言う気持ちは分かるのだが、自分はサボって時間を過ごすようなのが気持ち悪く感じた。別にその会社の成功を願っていたわけではないが、なんとなく良い時間の使い方をしたかった。

バイトで本気を出す人はあまりいない。しかし社会に出ると仕事に本気で取り組む態度には賛辞が送られる。自分にはこっちの方が合っている。バイトでは「自分も適当にうまくやってます」という感じを演出することにむしろ労力を費やしていた。会議で発言し、仕事の準備をし、新しいことを学びながら給料ももらえる。これはシンプルで心地良い。余計なことを考えず目の前のことに集中できる。

しかし社会人生活も年次が上がってきて状況がまた変わる。Web業界は若い人が多く、30代手前くらいですでに中堅の扱いとなる。会社にいる期間も長くなり、他部署とのつながりであったり、その会社の経緯を知っていることがアドバンテージのように言われ始めた。自分の思いとしては純粋にエンジニアとしてのスキルを高めたかったし、そこで評価されたかった。チームには恵まれていたので居心地はよかったが、どこか本気を出さないようにセーブする。それは例えば会議の場で、自分じゃなくても言える発言は他の人に任せるということ。チームとしては全員が主体的に話せる方が強いので行動としては合ってるのだが、自分を高める道ではない気もしていた。転職し、ここ数年は別の職業をやっていた。エンジニアの頃とはまるで違い、仕事のやり方を一から学ぶ必要がある。プロダクトマネージャーという職は複雑度が高く曖昧で、会社によって微妙に役割も異なる。自分が本気を出しても半分も理解できない領域。そういう世界で試行錯誤をして試すのが面白い。

今はそのプロダクトマネージャーも辞めてしまったが、曖昧な領域に手を出して学びながら整理していくことが楽しんだと気づけたのは大きな収穫。次の曖昧な領域はAI。仕事や生活が一変するのは確実視されているが、どう変わるかはまだ決まっていない。この領域でいろいろと体験し、その実像を自分なりに捉えていきたい。