少し上の目標に挑む
2025/10/28
入院や手術の話を聞くと身が縮こまる。痛みが苦手、というよりは痛みへの怖れが年々増している気がする。歳を重ねると必ず体調は落ちていくもので、その時が来るのが怖いような気がするが、いろいろ状況も変わるし今から心配するのも違うな。ここでいう状況とは医学の発達とかではなく、周りの友達も同じようにどんどん体が悪くなっていくだろうなということをイメージしている。みんなで渡れば怖くないではないけど、不安や悩みを共有できるのは気持ち的に大きい。
健康の話に比べると、普段悩んでること(「仕事とプライベートのバランス」とか「Webサービスの仕様」とか)は小さな悩みのように思える。健康な体があってどこへでも行ける、これだけで本来はもう100点だ。しかしそれを当たり前と感じているのでさらなる望みを持つ。いい仕事をしたいとか、充実したプライベートを送りたいとか。人間は今ある地点よりも少し上の目標に挑み続ける生き物なのかもしれない。上昇志向を持つのは良いが義務感が出てくると辛そうだ。
京セラ創業者の稲森和夫さんの「生き方」という本に「磨き砂」という考え方が出てくる。自分なりの解釈になるが、人生には苦楽があり、幸せなときと不幸なときと上下する。しかしその都度よく考えて一生懸命取り組むことが大事で、その一連のプロセスが磨き砂となり、自分の魂を洗練させていく、みたいな意味だと理解している。
楽しいこともあればしんどいこともある。今は自分も家族も健康でいれるが、いつ状況が変化するかは誰にも分からない。未来を恐れれたり過去を悔やむのではなく、いまの自分の感じ方を重視できたらよい。もちろんこれは理想で実際は心配したり後悔したりしまくりの日々を送ってる。でも理想はその状態、くらいは覚えておいていい。