余白がありすぎてもよくない

2025/10/18

朝起きて一穂ミチ先生の小説「光のとこにいてね」を読む。一昨日から読み始めたが続きが気になって仕方なく、スキマ時間を見つけては読み進めていた。昼前に読み終わって読後感良し。なんというか良い物語に触れたという気持ちで、充実した時間だった。

朝食を食べて身支度。今日は日中は外に出ようと思っていて、梅田のカフェに行くつもりだったが本を読んでたら遅くなってしまった。今からいくとお昼時と被って入れないかもしれない。色々考えた結果自転車で10分くらいの幹線沿いのカフェに来る。

慣れないカフェに来るとまずメニューにノンカフェインがあるかを探す。いざとなればカフェインを摂取する構えはあるが、体がフラフラになってしまうのでできればノンカフェインが好ましい。ルイボスラテというのがあったのでそれを注文。かなり美味しくてうれしい。

ここで何をやるか。パソコンができるカフェを選んだので選択肢が多い。個人開発で作りたい機能もあるし、読みたい本もあるし、久しぶりにまとまった文章をnoteに書きたいとも思っている。こういう何してもいい時間は至福だが、こういう時間があとどれくらい残っているのか。

「自分と向き合ったり良いアイデアを思いつくためには余白が大事」とよく言っていたが、余白がありすぎてもよくない場合もあるのかな、と最近思い始めてきた。いまの生活は週3で仕事をし、残りの時間で個人開発をしている。個人開発もハードに詰め込むというよりは生活重視で進められるときに進めるみたいな感じ。そうなるとかなり余白の多い過ごし方になる。

立ち止まれる時間が多いと考える時間が多くなる。「この方向でいんだっけ?」「この作業って意味あるんだっけ?」みたいな。しかし細かい作業ひとつがターニングポイントになることは少なく、大抵はいくつかを積み重ねてようやく結果が変わる。ある程度の方向性を定めたら考えすぎずに黙々と手を動かす時間が大事だったりする。余白が多すぎるとすぐ手を止めて考えてしまう。

今必要なのは淡々とやること。大体の方向性があってれば毎回正解じゃなくていい。間違った機能を作ってしまってもいい。いきなり完全なものを作るのは無理なので、足したり引いたりしながら望ましい形に近づけていければいい。