マインドマップで整理する
何かを整理したいとき、マインドマップで書き出すのが良い。中央に関心事の大きなテーマを書き、そこから派生する要素を書き出して繋げていく。書き方にルールはないと思うが、各項目を円で囲い、関連する円同士を直線でつなげていくのが私の基本スタイル。仕事の要件でもプライベートの悩みでも、「生活で大事にしたいこと」といった大きなテーマでもマインドマップは使える。頭の中を書き出すのに優れたツールだ。
書き出すときはノートに手書きで行う。順序なく思いついたものを全部書き出し、関連がありそうなところに繋げまくる。自分にとって大事なものは大きな円で、些細なことは小さな円で書く。関連がなさそうで実はあるよな、ということは点線で表現したりする。これを滑らかにできるデジタルツールにはまだ出会えていない。MiroやFigmaなどのサービスでも似た機能は提供されているが、一度マウスやキーボードの操作に気を使う必要があり頭のなかを書き出す作業にとってはノイズになる。Notionで箇条書きに出すのも悪くはないが、好き勝手に要素を配置できることが大事。手書きだとその時のコンディションによって文字の書き方も変わってきたりするので、それも含めて頭のなかを書き出すことになる。
以前よく行っていたコワーキングスペースで、マインドマップを推し続けている人がいた。その人は後輩らしき人物に何を相談されても「マインドマップ書いた?」と返していた。今日ランチどこ行きますか?みたいなカジュアルな話でもマインドマップを薦めていたのでさすがに違う回答あるやろと内心ツッコンだりしつつ、マインドマップって色んなシーンで汎用的に使えるな、などと考えたりもした。
心の中のモヤモヤは書き出すとスッキリする。言語化して悩みと直面するのが怖い気持ちもあるが、実は苦しいのは「なんかイヤだな」という正体不明の気分だったりするので、自分が嫌に感じている要素が明確になると悩みはマシになる。悩みの要因に対して具体的にとれる対策があればやれば良いし、特にない場合でも自分はこれを嫌に思っているんだな、と認識できればそれで十分。頭の中の整理にマインドマップというフォーマットは使いやすい。
UIを作ると進捗が出る
UIとはUserInterfaceの略で、サービスとユーザーとの接点のこと。ユーザーはUIでテキストを見るし、ボタンを操作するし、サービスで何が起こっているかを理解する。サービス開発では目に見えない部分の実装も多い。金額や日付の計算ロジックであったり、データの保存であったり、メール通知であったり。基本的には目に見えない部分の方が変更が難しいので先に作る。しかしそれだと見た目上は完成に近づいてないように見えるので、気まぐれにUIを作って進捗を出す。
「UIを作ると進捗が出る」というのは大学生の頃読んでいたブログに書かれていた内容。それは個人でMMORPG(オンラインで一緒にできるRPGのPCゲーム)を作っている方で、当時は珍しくサービス開発の過程とかデザインのポイントなどを書いていて楽しく読んでいた。その人がクライアントに進捗を見せたいときはUIを作るといっていて、そういう大人のテクニックがあるのだなと知らない世界に思いを馳せていた。
個人開発は完全趣味なので、どこから作っていってもよい。データベースからでもUIからでも、マーケティング的な調査からでもなんでもいい。ただ最大の敵はモチベーションの低下なので、気まぐれにUIを作り込んで進んだ感を出すと自分が喜ぶ。なんか触り心地よいし、これを作り切って公開したいなという気分になれる。心地よさは実際に触ってみないとわからない部分も多く、その意味でも早めにUIを作ると触れる機会を増やせてよい。違う機能を開発しながら「ここ毎回わかりにくいな」「このボタン押すと何が起きるんだっけ?」などと引っかかるポイントがあったら大体ユーザーもそこで戸惑う。ボタンの位置や文言を調整して分かりやすくしていく。
「Away」というアニメーション映画がある。ラトビアのクリエイターによってつくられた約1時間半の映画だが、なんとたった一人で作った作品らしい。監督、制作、編集、音楽のすべてを担当し、3年半かけて作られたとか。途中で投げ出さず作り切ったことに大拍手だが、ウェブとはまた時間感覚が違うのかもしれない。製作中、アニメーションのコマを描いていって飽きたら音楽、音楽に飽きたら別の工程というふうに、疲れたら頭を切り替えながら作業していたらしい。デザインやプログラミング、コンセプト、仕様設計など、自分も疲れたら違う作業をして頭を切り替えたい。
自律神経をととのえる
手や足は自分の意識で動かすが、内臓や血圧などは自分でコントロールせずとも自動で動く。これが自律神経系で、乱れると心身に不調をきたす。体には意識もできるし無意識にもできるものがある。それが呼吸。呼吸は自分の意思で自律神経に作用できる方法で、しんどくなりそうなときは呼吸を整えると良い。
自律神経は交感神経と副交感神経のふたつから成る。つまり、活動モードとおやすみモード。この切り替えをわかりやすくしてあげることが自律神経の助けになる。例えばリラックスできるはずの夜中に緊張状態が続くといまどちらのモードか分からなくなる。外の光を浴びずに日中もずっと寝ているといつ活動のスイッチを入れたらよいかわからない。規則正しく生活したり、夜寝る前にはスマホは見ないようにしよう、というのはこのあたり。
朝9時頃までの太陽光を浴びると体内にセロトニンという物質が分泌される。セロトニンは幸せホルモンとも呼ばれ、自律神経の調節に一役かってくれる(馬チェロレッテ3で櫛田さんが渡してましたね)。医学的なことなので自分にはちゃんと分かっていないが、読んだ本によると毎朝20分の散歩がうつ病の服薬と同じだけの効果があるとか。ちなみにこれは雨や曇りの日でも有効。人間的には太陽光が届いてないように思っても、体はちゃんとキャッチしてくれる。
私は寒暖差に弱く、春や秋など気温が大きく変わるタイミングで体調を崩す。ただでさえ快適な季節は短いというのにもったいなすぎる。寒暖差で体調がおかしいなと思ったら家でお湯を張りゆっくり入浴したり、岩盤浴に行ったりする。岩盤浴は最近知った趣味だがなかなか良い。体の内側から温められる効果もあるが、スマホを持ち込めないので自然と脱デジタルの時間が作れるのが大きい気がする。マンガ本を持ちこんで読める施設もあると聞いて大変魅力に思ったが、それが良いことかはまだわからない。ただ天井をぼーっと眺める時間が必要かもしれない。
急いだり慌てたりしても自律神経は乱れる。私の場合自律神経が乱れると取り戻すのに小一時間ほどかかるので、待ち合わせには時間に余裕を持って早めに行くようになった。少し早めに着いて本を読んでいたり、1時間以上早く着いておいてカフェで待ちながらプログラミングしたりするのも楽しい。自分が苦手なことがわかったら、それを改善するのではなく対応するようになった。お店のクーラーが寒すぎることが多いので上着を常に持ち歩くとか。荷物は増えるがゲームを攻略しているような感覚にも少しなる。
自律神経はストレスや不安感にも強く刺激される。良い緊張もあるが、未来のことをずっと不安に思っていても良いことはない。その不安を取り除くために今何か行動するか、もしくはいったん忘れてその時が来たら全力で頑張る。先々を心配しすぎて今のコンディションを崩さないようには注意したい。
学ぶは"まねぶ"
「学ぶは"まねぶ"。分かるは"分ける"。」これは社会人になりたての頃友人がツイートしていたスローガンで、それ以降いろんな本でも再度出会うことになる。学ぶは古語では「まねぶ」と読み、真似るの意味。どうやら物事を学ぶには模倣から入るという考えは昔からあったらしい。
デザインのスキルをあげたいとき、闇雲にはじめるのではなくまずはトレースから入る。自分が学びたい分野の美しいサイトやサービスを並べ、ひとつ選んで同じようなUIを作ってみる。各画面のレイアウトからテキストの色、ボタンの形や影まで似たものを作っていく。そうしていくと全体的な美しさはディティール部分の作り込みから来ており、一つ一つのボタンが最高にオシャレというわけではなくても全体で見ると素晴らしいルックアンドフィールになっていることがわかってくる。
プログラミングには「写経」という文化があり、これは誰かの書いたソースコードをそっくりそのまま写して実装することを指す。参考にするコードは書籍でもOSSでもなんでも良いがある程度達人が書いたコードが望ましい。書き写していくうちに全体の設計やコードがどう書いてあると読みやすいか、どういう単位で関数を分けるべきかなどが身についてくる。いきなり超熟したコードを読んでも逆についていけないこともあるが、例えばカレンダーアプリを作るなら誰かが公開してるカレンダーのコードを探して一度写経してみると理解が深まる。
アプリマーケティングの専門家に話を聞く機会があり、「どういうアプリが今流行ってますか?」と聞いたことがある。回答は明確で、「AppStoreのランキングTOP100を全部見て触って、自分なりにグルーピングしていけば傾向がわかるよ」というものだった。マーケの理論などは知らないがそれなら自分にも出来る気がする。実際にやってみると当時はカメラアプリが大盛況していて、その教えてくれた人もカメラアプリを作っていた。
最初の入り口は真似でいい。真似していくうちに、自分のなかで「これは美しい」「これは違う」という基準ができる。基準ができたら自然と真似する対象も取捨選択されていく。こうして自分なりの感覚が積み上がり、自分の型になっていく。いろんな人の作品に触れて、一般的な型が分かればそれを破ることもできる。普通こうだけど自分はこっち、という部分に個性が見えて面白い。
どの分野でも「真似ぶ」は応用が効くという話だが、終始物真似に終わってしまうのはつまらない。習うための真似はよいが、生み出すものは自分の内から出てきたものにしたい。こういうのがあったら面白いとか、困ってる人がこれで助かるとか、そういう思いを大切にしたい。そしてそれをうまく表現する、届ける方法は真似ぶで学んでいく。
共用エリアを綺麗に保つ
『集まる場所が必要だ――孤立を防ぎ、暮らしを守る「開かれた場」の社会学』を読んだ。図書館などのインフラが街に与える影響について書かれた本で、なかなか興味深かった。
一番面白かったのは「荒廃するマンションとそうでないマンションの違い」。アメリカのとある治安の悪いエリアで、新しくマンションが建つことになった。このマンションは人気ですぐに全戸が埋まったが、やがて敷地内で窓が割られたり、薬物の取引がされたりするようになり危険なエリアとなっていく。住民たちは逃げるように引っ越し始め、マンションに空き部屋が増え、人が減ることでさらに治安が悪くなる。
ここで「やっぱ治安悪いエリアって難しいよね」となるのは思考停止で、実はその隣に立つマンションはとてもうまくいっており、住民たちは満足して暮らしている。マンション内の治安も良い。その違いは何かというと、ズバリ「共用エリアが綺麗に保たれているかどうか」。どちらのマンションでも住民たちは自分の部屋など、明らかに自分のエリアだとわかる範囲についてはきちんと手入れしていた。違うのは共用部分の廊下やロビーの扱い。うまくいっているマンションは住民全員の顔がわかる程度に小さく、そのためみな責任感をもって管理していた。新築のマンションは住戸数が多くて見知らぬ人の行き交いが多かったため、当事者意識が薄れて誰も共用部分をメンテせず、そこから乱れていったという。
日本のマンションでも小さければ自治の範囲だが、大きくなってくるとマンションの管理人さんが必要になる。住民全員が話し合って決めることが難しいと誰かが指揮をとる必要が出てくる。会社でも同じで、小さい組織のときはそれほど考えなくても上手く回っていたのが、組織が大きくなってくるとちゃんとしたルールが必要になる。誰もが働きやすい環境を望んでいるはずで、放っておけば各自が勝手に改善する。しかし組織が大きくなると当事者意識を持てない領域も出てきて、そういった場所ではルール・ポリシーや、こぼれたボールを拾ってくれる人が必要になる。
もうひとつ、街の施設の話。食品雑貨店やレストラン、カフェ、本屋などがある街では治安が保たれやすいらしい。著者いわくこういった施設は「街を消極的に監視する」。人を家から外に出す役割を担い、そこで地域への接点が生まれる。普段家にひきこもって仕事してる反動か、最近はこういった地域コミュニティに興味がある。孤立せずにゆるくつながれる社会に一票を投じたい。