人が真似したくないことをやる

2025/05/16

良いアイデアは真似される。そんな世で違いになるのは人が「真似したくならない」こと。例えばサービスの品質やお客さんサポートを必要以上に高めまくる。以前読んだ本によると物事を「80点まで上げる」のと「80点から100点に高める」のとで同じだけ労力がかかるらしい。普通に考えると80点まで上げたら一区切りして次の領域にフォーカスを移す。そこで100点目指して作り込む姿勢が違いを生む。

この不合理に思える判断をなぜその人ができるかというと、その人の中では「合理」になっているから。気をてらってその行動をしているわけじゃなく、本人の中には筋がある。例えばWebサービスを開発しているとき、品質を妥協する理由はいくらでもある。早くリリースしたいとか、この機能はあまり使われないから他の部分に時間使った方が良いとか。しかし開発者の基準が高い場合、細部まで作り込まれたサービスが作られる。これは差別化などの他者を意識した判断ではなく、ただ細部までこだわったサービスを使いたい(作りたい)という自分の内面から滲み出たものになっている。

品質だけでなく、次にどういう機能を追加するか、追加しないかも小さな分岐点。良いアイデアのタネは真似されるが小さな判断のすべてを真似することはできない。それは模倣者の中には基準がないから。なのでスタート地点は同じでも、2-3年積み重ねていくと違いが表面化してくる。経営戦略として他社との差別化が必要とはよく言われる。それは確かにそうなのだが、その違いは狙って生み出すというよりは、むしろ自分の内面に深く潜った結果滲み出るものかもしれない。


絵を描くということ

2025/05/15

NHKの「3ヶ月でマスターする絵を描く」が面白い。おじいちゃん先生こと柴崎先生に教えてもらい、絵は初心者の山之内すずがリンゴや木、街並みなどに挑戦していく番組。光の当たり具合や陰影の考え方などを分かりやすく教える。自分が最初に見たのは木を描く回だったが、葉っぱ一枚一枚を描くのではなく、筆をキャンバスに垂直に押し付けその筆の広がりを葉の広がりのように見せていた。自由な発送で楽しく絵を描いているのが伝わり、自分も挑戦したくなる。

絵を描きたい欲は定期的に訪れる。iPadにProcreateというお絵かきアプリを入れたり、セブ島に旅行したときに絵の具を買ってホテルの部屋で風景を描いてみたりした。腕がなくても楽しいが、自分が見たものをもっと上手く表現したい気持ちになる。大人になってから絵を学ぶ機会は意外と少ない。街の美術教室みたいなのを探したが子供対象のところばかり。リモート授業ならあるが少し味気ない気がしてやめた過去がある。

平日の昼に大きな公園に行くと年配の方々がキャンバスを広げて木や形式の絵を描いている。あぁいう老後を過ごしたい。晴れた日は絵を描きに行き、雨の日は大人しく家で本でも読む生活が理想だ。以前美術館の展示で見て印象に残ってるものがある。ある人の巻物だが、そこには旅先でその人が見た景色や人がスケッチされている。現代ではほとんどの人が写真で撮ると思う。しかし絵の表現ではデフォルメが利く。その絵にはその人が感じた驚きや喜びなどが増幅して描かれていたような気がした。

人生100年時代。どこかで絵には本腰入れて取り組みたい。


「嫌われた監督」を読んだ

2025/05/14

嫌われた監督 落合博満は中日をどう変えたのか」を読んだ。中日ドラゴンズの監督に落合博満が就任する。野球ファンが喜ぶようなロマンは追わず、現実主義にひとつずつ積み上げてチームを強くする。監督を勤めた8年間で日本シリーズ進出や優勝など好成績を収めるが、なぜかマスコミや経営チームから厳しい目線を浴び、やがて退任することになる。落合はファンやマスコミを喜ばせるようなサービストークはしない。本書は落合と近しい選手やコーチに取材し、周りから落合という人物を浮き彫りにしていくノンフィクションとなっている。

野球から遠い人生を送ってきた自分も落合の名前は知っている。子供の頃によく名前を聞いたし、社会人になってからはコーチングや育成などビジネス的な文脈での引用によく出会った。落合の考え方は成果に向けてまっすぐなのでビジネスの場面で参考にしたい気持ちもよくわかる。ただエンターテイメントとしてのプロ野球にとっては盛り上げが物足りない場面も多く、やがて球団側とのすれ違いが大きくなっていく。

たとえば完全試合間近のピッチャーでも交替させる。ファンとしては歴史的瞬間に立ち会いたいので続投させてほしいが、勝つための最善を取るのが落合監督。ただ非情な人物の決断という感じではない。選手心理ももちろん分かりつつ、それでも自他の感情よりも「勝利」を優先順の上に置いているような印象を受ける。印象的だった一節を紹介:

「心は技術で補える。心が弱いのは、技術が足りないからだ。」

落合が求めたのは日によって浮き沈みする感情的なプレーではなく、闘志や気迫という曖昧なものでもなく、いつどんな状況でも揺るがない技術だった。心を理由に、その追求から逃げることを許さなかった。

技術が足りないとき、人は精神論へと逃げる。例えばプレゼン発表で緊張してしまうとき、緊張を抑える工夫をいくらしても意味はない。それよりも発表練習を繰り返して技術を高める。意識せずとも次のセリフが出てくるようにする。この状態までいけば本番でどれだけ緊張しても間違えるほうが難しい。気合いでなんとかするのではなく技術を高める。シンプルだが本質を突いた一言だと思う。


AIと人間では難しさの尺度が違う

2025/05/13

開発中のサービスでとある機能を作ろうとしていた。それはサイドメニューの横幅をドラッグで設定できる機能なのだが、自分のフロントエンド力では少し難易度が高いように感じていた。このサイドメニュー幅を変更する機能はまったくコア機能ではない。固定の幅でも良く、そう考えると実装の優先度は遠のいていく。ただ、先日ちょうど作業の空白時間があり、気まぐれにAIにチャットで依頼したところ1分も経たずに実装できてしまった。これには中々驚かされた。

AIは万能ではない。自分でやれば簡単にできることでも、指示された内容を取り違えて全然違う実装に突き進んでしまうこともよくある。こういうミスがあると与える情報が不足しているのが原因だと言われる。AIは文脈を引き継がないので、過去にどういうやり取りがあったとか、どこを参考にするかを指示に乗せてやる必要がある。それは正論なのだが面倒なのである。本音を言えば適当な指示でいい感じにしてほしい。デザインなどのセンス部分は人間が担保する必要があるとして、簡単な実装くらいは空気を読めるように作れないかな・・などと思っている時に冒頭の件があった。自分が簡単だと思っていたタスクは失敗し、難しいと思っていたタスクに成功するAI。人とは難しさの尺度が違うのではないか?

人は難しさを「難易度 x かかる時間」の掛け算で考えている。「むずかしいですね〜」と言うとき、技術的にそもそも分からないケースもあるが、多くの場合は「実装に半年かかかるので現実的ではない」ではないだろうか。「技術的には可能」という言い方もあるが、エンジニアの見積もりにはもう少しバランスのようなものが含まれている。

AIの難しさの指標は「難易度」のみで、その難易度は解決のための情報が十分あるかどうかとほぼ等しい。回答のタネがWeb上にあるか、指示の中にあるか、ソースコードの中にあるか。AIがプログラミングの分野でまず発展しているのは、コーディングという行為が正解のある仕事なことも関連している。複雑な要件をわかりやすい実装に落とし込むとか、他サービスの似た機能を参考に実装したりとか、どこかで誰かが作ったものの再発明がほとんどだ。それにソースコードは頭の中にあっても動かない。実装されたもののみをベースに動くため、理解のための文脈はすでにそこに言語化されている。イノベーションを生むような仕事には正解がない。いろんなアイデアを組み合わせることはできるが、どの組み合わせがセンスが良いか判断することはできない。選んだその道を信じて突き進むのも人間の仕事。AIは成功する確率分布を計算するところまでしかできない。

AIと人で難しさの捉え方が違うことを覚えておく。時間がかかる単純作業はAIの超得意分野。AIは疲れず24時間動き続け、ひとつの問題を分割して4つの頭で取り組むことも容易い。一方で、要件が整ってない状況では仕事のパフォーマンスは劇的に下がる。この場合は人間のほうが逆に良い仕事ができる。この違いをよく理解してAIと付き合っていく。


読書欲が減衰している

2025/05/12

最近本を読めてない。理由を考えてみるとAIの進歩が影響している気がする。AIは自分の趣味嗜好にピンポイントに刺さる情報をまとめて届けてくれる。直近読んだ4冊くらいの本はあまり心に刺さるものがなかった。最近興味のある分野をAIに教えて生成された文章を読む方が確実にヒットは打てる。さらにその内容の理解度を確かめる小テストを作る、Podcastに変換して散歩中に聴くなど応用の幅も広い。情報収集のための読書の価値は相対的に低くなっている。

AI悲観説を唱えたいわけではない。小説やエッセイなどの価値はこれまで以上に上がっていくと思っている。情報の検索や日常的な作業がAIによって効率化されていく。効率化により生まれたスキマ時間で人間がやりたいのが何かというと表現とか、誰かの表現に触れるアートの時間だと思っている。それは絵でも音楽でも文章でもなんでも良いが、人間が生み出したものに意味を感じて楽しむ時間が増える。ただ自分が最近主に読んでいるのはビジネス書や技術書で、これはAIの効率化により減衰していく分野だと思う。技術本の売れ筋は初心者のための入門本だ。そもそもWeb技術はオンライン上で詳細なドキュメントが公開されていることが多いが、初心者のうちからそれを読みとくのは難しく、易しい言葉で噛み砕かれた本を読みながら学習する人が多い。そして情報を変形するのはAIの得意分野。ドキュメントと自分のレベルを与え、自分に最適なステップバイステップのチュートリアルを作れる日は近いと予想できる。

AIにより情報収集が効率的になるのは間違いないが、それでも本というまとまった形で読める体験には価値がある。自分は電子書籍ではなく物理本派で、電車やカフェなどで書き込みながら読むのが好き。本の内容そのものだけでなく、本を読むことで頭が動く時間にお金を出しているような感覚もある。パソコンでインターネットの短い記事を読むのではなく、長い文章を読むからこそ集中力が持続する。

AIを使って本を作ることはできるだろうか?執筆のアシスタントという意味ではなく、いま自分が興味のある関心事がすべてまとまった本。これを1ヵ月に1回くらい発行できたら面白そうだ。そこには自分が興味のある技術の動向、アーティストのニュース、聞き逃したPodcast、気になってる商品のレビューなどがそれなりの文量で並んでいる。「経営」や「投資」などのテーマを立てる必要もない。章ごとにまったくバラバラの内容でよく、強いて言うならテーマは「あなた自身」。それをePub形式や物理本の形で読めたら面白そうである。自分の興味を与えるところが難しいが、気まぐれに試してみたい。