理想の日記ブログを追い求めたらしずかなインターネットに行き着いた

2025/01/17

しずかなインターネット」というWebサービスがある。日記やエッセイを書く場所だが、その特徴は静かなこと。文章を書くエディタでは太字の装飾は使えず、SNSで見てもらうためのサムネ画像も設定できない。noteやはてなブログでは多くの人に読まれ、いいねをもらい、バズることが良いという雰囲気がある。しずかなインターネットはただ文章を書くだけの場所。

Feedback Loop(このブログの名前です)は自分で作ったWebサイトだが、ゴテゴテしていないシンプルなデザインにしたかった。同僚の方の日記がシンプルでとても読みやすく、まさに求めていたのはコレだと思いほぼ同じ構成にさせていただいた。太字とか下線とはいらないし、カテゴリ分けとかサイドバーにメニューを出したりとかもいらない。ただ文章を垂れ流すイメージで、文章だけだと読みづらいかと思い写真を一枚だけ添える形式にしている。

名もない個人のブログなので特段読まれることもない。ただ読んだ本や最近の体験などを知人の暇つぶし的に読んでもらえると嬉しいので世の中に公開はしている。毎日書いてもらえることを知ってもらう方法として書いたらXに投稿されるようにしているが、これだと毎日日記の投稿が流れてしまいやや過剰気味。興味を持ってくれた人にだけ更新していることがゆるく伝わる形にしたい、と思っていた。

しずかなインターネットには「ひかえめなニュースレター」という機能があり、気になる人を「購読」できる(フォローじゃないのがポイント)。週に一回のペースで、購読している誰かが更新していればメールにまとめられて届く。全員に読んでほしいわけじゃない、とはいえ誰にも読まれないのも少し違う感覚へのアンサーとしてピッタリの機能だ。ニュースレターは自分で実装しようと思うと少し手間がかかる。Webサービスは人気が出ると機能追加が活発になって初期のシンプルさを失うのが常だが、積極的な機能追加はしないと明言されている点もうれしい。自分で作ったこのブログも気に入っているので移行はしないと思うが、優良な選択肢があるのはありがたい。

ブログでいうと、多分いまで140日くらい毎日書けている。その日の思いつきで書いているので自分でも何を書いたか分からなくなってきた。自分用に検索機能をつけたいと思っているが、それもドーンと出すのではなく控えめに表示したい。ほぼ自分しか使わない機能なので、主張しすぎない身の丈にあった場所にこっそり配置したい。


マナーは注意されにくい

2025/01/16

前職にいた頃、兼務として少しだけ人事で働いていた。採用系の業務に関わっていたが、ある日新卒研修で何を伝えるかが議題になり、みんなで意見を出し合ったことがある。「マナーは注意されにくい」はその時に出た意見のひとつ。スキルへのフィードバックはあってもマナーについては早い段階で言われなくなる。マナーはその人の性格的な部分と近く、一歩間違えると人格否定になってしまう。相手を大切に思うほど注意しづらくなる。

この話は「なので、早い段階で正しいマナーを身につけましょう」に繋がる。実際に自分が新卒入社したときはビジネスマナー研修というのが数週間あって、そこで席の上座・下座や名刺交換の作法などを学んだ。こういった知識は慣習としてそうなっているが本質的な意味があるわけではない(暴漢が来たときに一番襲われにくい席、などの由来だが現代ではほぼ無視できる)。自分でいくら考えても辿り着けないので知識として覚えるしかない。いい機会をもらったような、慣習の世界に閉じ込められてしまったような。型を知らないと型破りにはなれないという話もあるので、知識として入れておく分には良いかもしれない。

社会人になって10年以上が過ぎると、マナー以外もフィードバックの機会は減っていく。Web業界では10年働くと中堅、そうなると細かいフィードバックはほとんどされなくなる。その代わりにされるのは「判断」で、与えられた仕事に応えられなければ次からは難易度が一段階低い仕事が渡される。20代の頃と比べて成長にかける期待が減っているとも言える。凝り固まった価値観は変えづらい。仕事を振る立場から考えてみると、積み上げてきたその人なりのやり方があるだろうし、こちらの意見の押し付けはその人の良さを消してしまうリスクがある。いろいろ考慮すると目的だけ渡して方法は任せようという結論になり、あまり細かく口出しなくなる。

総合的なフィードバックは難しいが、粒度を小さくすればフィードバックしやすくなる。たとえば「⚪︎⚪︎ができるようになりたい」と目標を立ててそれをチームに共有する。自分に足りない部分、学んでいく手段を教えてもらいやすくなる。目標が明確なのでアドバイスする側も見当違いのコメントをせずにすむ。「リーダーになる」という目標だと少し難しい。役職はポジションの数が限られているので他者の影響が大きくなる。リーダー相当の振る舞いをしていればその内出世するだろうが、短期的に必ずなれる保証はない。少しでも早めたいなら他の現職リーダーよりも圧倒的にリーダーらしく動くこと。周りのリーダーと同じくらいではダメで上回る。周囲がフルマークで賛同するような状況になれば外圧が働く。

指摘したら怒り出す人にフィードバックしたい人はいない。寛容な受け入れ姿勢があり、いろんなことを吸収して学んでいる人にはフィードバックは集まりやすい。フィードバックは取り入れるかどうか選んでよい。意見をくれる人はすべて各人の立場から見えることを言っている。自分の性質にあうものを選んで取り入れるのは悪いことではない(何が合うかわからない段階ではすべて試してみたらよい)。


人間力=チャーム+徳

2025/01/15

以前社外の勉強会に参加したとき、「仕事に人間力は必要か?」という話になったことがある。そのときは人間力が何を指すのかピンと来なかったが、確かに素晴らしい仕事をする人は人望があり、それは仕事がデキることとは別軸に思える。最近読んだ「リーダーの戦い方」で人間力を解説する章があり、そこにあった「人間力=チャーム+徳」という方程式がしっくり来たので書いておきたい。

チャームはその人の魅力で、生まれ持った個性に近い。一緒にいると楽しいとか、失敗しても笑えるとか、そういった個人の持つ愛らしさ。人それぞれ違うものを持っている。徳は普段の行動で、約束を守ったり他人に親切にしたりすることで蓄積される。徳を積むと周りから信頼される。この二つの要素の足し合わせが人間力ではないか、というのが本書の主張だ。

十年以上社会人として働いてきたが、同じ言葉でも言う人によって重みが違うのは感じていた。たとえばいつも遅刻してくる人が「11時集合」と言ってもあまりアテにならない。逆に毎回きちんと時間通りに進行する人が言えばその時間は厳守になる。いつも適当な人が軽いノリで言った言葉は流れていくが、真面目なイメージの人が軽く意見を言うとそれが真剣に取り沙汰される。ピカソの逸話で、30秒で描いた絵に1万ドルを請求して驚いたファンに対し、「30秒ではない。30年と30秒で描いた絵だ」と言ったという話がある。表層的には同じでも裏側に蓄積されたものがある。

芸人にも「ニン」という言葉がある。この人はサッカーのニンがある、みたいな使い方。そのイメージを持たれてない人がいきなりサッカーの話をしても受け入れられない。それは聞き手に準備ができていないから。2020年においでやす小田がM-1の決勝で2位になったとき、「これで説明書が配れた」と表現されていた。多くの視聴者が見ている番組で「いじられて大声でツッコむ人」というニンが形成される。これは優勝よりも価値が大きいかもしれない。

チャームは先天的な要素が大きい。自分のチャームとまるで違う人を真似してもうまくいかない。OSによって動かせるアプリケーションは違う。自分のチャームを理解し、それに近しい人から学ぶ方が上手くいく。自分のチャームは人からよく言われる印象や、無理なく続けられているものなどを深掘りすると見えてくる。思い返せばそれを知らずに多くの失敗を繰り返してきた。人生まだ長いので、ここからでも間に合うと信じたい。


ギブアンドギブ

2025/01/14

ギブアンドテイクは「人に与えた分だけ自分に返ってくる」の意。しかし見返り前提のギブではスケールが大きくならない。自分の利を考えるのではなくただ与えるギバーになれ。人に与える意味を解説する「GIVE & TAKE」では人をギバー、テイカー、マッチャーに分けて整理する。

テイカーは自分の利を追求する。同僚にアドバイスをすることもあるが自分の意図が多分に含まれているので信頼は薄い。マッチャーは自分が与えるものと貰うものを五分五分にしようとする。相手の出方に合わせて助けたりしっぺ返ししたりする。悪いやつではないがまず相手の出方を窺うので行動は遅くなる。ギバーは困ってる人を積極的に助けようとする。見返りを求めないその姿勢は職場に好循環をもたらす。

ギバーは人のために動くが、厳密にはさらに二つに分けられる。一つは自己犠牲タイプで、自分を下げてでも周りを立たせる。自分のエネルギーは消耗しどこかで疲れ果ててしまう。もう一つは利己的タイプで、人を助けることでむしろ自分のエネルギーが充実する。一見不思議な感じがするが、私たちの生きる空間はゼロサムゲームではない。人に優しくしたり親切にしたりするとオキシトシンという幸せホルモンが分泌される。誰かの役に立っているという実感は私たちの活力になる。

利己的なギバーがしんどくなるのは他者に尽くしすぎたからではない。困ってる人をうまく助けられなかった時に消耗する。ギバーはその性質から他人を勝たせるために自分の勝利を手放すことがある。客観的に判断したいときは「もし友人がその立場だったとしたら」と考えると良い判断ができる。自分という主語を剥がすことでバイアスを避けることができる。

ギバー、テイカー、マッチャーはどれか一つではなく一人の中に混在する。ある場面ではギバーだけど別の場面ではマッチャーになる。それは所属するグループによって変わることが多い。ギバーのいる空間では自分も何か手伝いたくなるのでギバーが増えやすい。自分がいまどの状態にあるのか?この3つの整理は覚えておきたい。


大は小を兼ねない

2025/01/13

Webサービスでは大は小を兼ねない。手に馴染むちょうど良いサイズのものを望む。かつては課題が解決できるなら十分ありがたかったが、サービスが乱立し選択肢が増えた現代ではジャストフィットが好まれる。

カレンダー、タスク管理、チャット、ホワイトボードなど全部盛りのサービスがあったとして、実際使う機能はその一部である。そうなると全部を使いこなせてない感覚になる。ツールのパフォーマンスをフルに発揮できてない。自分の成熟度が低いと感じる。

全部盛りのサービスは複雑度も高い。単一の目的のために作られたものに比べて、どこに何の機能があるか分かりにくい。提供側はそれをカバーするためにマニュアルを用意する。マニュアルを探して読んで使い方を理解するのは手間がかかる。多くのユーザーはこの手間を好まない。

今のサービスではユーザーに「ファン」になってもらうことが大切。ファンは自然とそのサービスのことを周りに話し、新しいユーザー予備軍を連れてきてくれる。近くにいる人は性質が似ている。ファンが連れてきてくれた人もまたファンになってくれる可能性が高い。

ファンになってもらうには「これは自分のためのサービスだ」と感じてもらうこと。抱えている課題をちょうど良いサイズで解決する。こんなものが欲しかった、と思ってもらうには全部盛りの大ではなく小が求められる。

いろんなパターンを救おうとすると提供するものは自然と大きくなる。そこを意識的に立ち止まり、自分たちが本当に解決したいケースにあえて絞って考えることが鋭いサービスづくりに繋がる。