マナーは注意されにくい
前職にいた頃、兼務として少しだけ人事で働いていた。採用系の業務に関わっていたが、ある日新卒研修で何を伝えるかが議題になり、みんなで意見を出し合ったことがある。「マナーは注意されにくい」はその時に出た意見のひとつ。スキルへのフィードバックはあってもマナーについては早い段階で言われなくなる。マナーはその人の性格的な部分と近く、一歩間違えると人格否定になってしまう。相手を大切に思うほど注意しづらくなる。
この話は「なので、早い段階で正しいマナーを身につけましょう」に繋がる。実際に自分が新卒入社したときはビジネスマナー研修というのが数週間あって、そこで席の上座・下座や名刺交換の作法などを学んだ。こういった知識は慣習としてそうなっているが本質的な意味があるわけではない(暴漢が来たときに一番襲われにくい席、などの由来だが現代ではほぼ無視できる)。自分でいくら考えても辿り着けないので知識として覚えるしかない。いい機会をもらったような、慣習の世界に閉じ込められてしまったような。型を知らないと型破りにはなれないという話もあるので、知識として入れておく分には良いかもしれない。
社会人になって10年以上が過ぎると、マナー以外もフィードバックの機会は減っていく。Web業界では10年働くと中堅、そうなると細かいフィードバックはほとんどされなくなる。その代わりにされるのは「判断」で、与えられた仕事に応えられなければ次からは難易度が一段階低い仕事が渡される。20代の頃と比べて成長にかける期待が減っているとも言える。凝り固まった価値観は変えづらい。仕事を振る立場から考えてみると、積み上げてきたその人なりのやり方があるだろうし、こちらの意見の押し付けはその人の良さを消してしまうリスクがある。いろいろ考慮すると目的だけ渡して方法は任せようという結論になり、あまり細かく口出しなくなる。
総合的なフィードバックは難しいが、粒度を小さくすればフィードバックしやすくなる。たとえば「⚪︎⚪︎ができるようになりたい」と目標を立ててそれをチームに共有する。自分に足りない部分、学んでいく手段を教えてもらいやすくなる。目標が明確なのでアドバイスする側も見当違いのコメントをせずにすむ。「リーダーになる」という目標だと少し難しい。役職はポジションの数が限られているので他者の影響が大きくなる。リーダー相当の振る舞いをしていればその内出世するだろうが、短期的に必ずなれる保証はない。少しでも早めたいなら他の現職リーダーよりも圧倒的にリーダーらしく動くこと。周りのリーダーと同じくらいではダメで上回る。周囲がフルマークで賛同するような状況になれば外圧が働く。
指摘したら怒り出す人にフィードバックしたい人はいない。寛容な受け入れ姿勢があり、いろんなことを吸収して学んでいる人にはフィードバックは集まりやすい。フィードバックは取り入れるかどうか選んでよい。意見をくれる人はすべて各人の立場から見えることを言っている。自分の性質にあうものを選んで取り入れるのは悪いことではない(何が合うかわからない段階ではすべて試してみたらよい)。
人間力=チャーム+徳
以前社外の勉強会に参加したとき、「仕事に人間力は必要か?」という話になったことがある。そのときは人間力が何を指すのかピンと来なかったが、確かに素晴らしい仕事をする人は人望があり、それは仕事がデキることとは別軸に思える。最近読んだ「リーダーの戦い方」で人間力を解説する章があり、そこにあった「人間力=チャーム+徳」という方程式がしっくり来たので書いておきたい。
チャームはその人の魅力で、生まれ持った個性に近い。一緒にいると楽しいとか、失敗しても笑えるとか、そういった個人の持つ愛らしさ。人それぞれ違うものを持っている。徳は普段の行動で、約束を守ったり他人に親切にしたりすることで蓄積される。徳を積むと周りから信頼される。この二つの要素の足し合わせが人間力ではないか、というのが本書の主張だ。
十年以上社会人として働いてきたが、同じ言葉でも言う人によって重みが違うのは感じていた。たとえばいつも遅刻してくる人が「11時集合」と言ってもあまりアテにならない。逆に毎回きちんと時間通りに進行する人が言えばその時間は厳守になる。いつも適当な人が軽いノリで言った言葉は流れていくが、真面目なイメージの人が軽く意見を言うとそれが真剣に取り沙汰される。ピカソの逸話で、30秒で描いた絵に1万ドルを請求して驚いたファンに対し、「30秒ではない。30年と30秒で描いた絵だ」と言ったという話がある。表層的には同じでも裏側に蓄積されたものがある。
芸人にも「ニン」という言葉がある。この人はサッカーのニンがある、みたいな使い方。そのイメージを持たれてない人がいきなりサッカーの話をしても受け入れられない。それは聞き手に準備ができていないから。2020年においでやす小田がM-1の決勝で2位になったとき、「これで説明書が配れた」と表現されていた。多くの視聴者が見ている番組で「いじられて大声でツッコむ人」というニンが形成される。これは優勝よりも価値が大きいかもしれない。
チャームは先天的な要素が大きい。自分のチャームとまるで違う人を真似してもうまくいかない。OSによって動かせるアプリケーションは違う。自分のチャームを理解し、それに近しい人から学ぶ方が上手くいく。自分のチャームは人からよく言われる印象や、無理なく続けられているものなどを深掘りすると見えてくる。思い返せばそれを知らずに多くの失敗を繰り返してきた。人生まだ長いので、ここからでも間に合うと信じたい。
ギブアンドギブ
ギブアンドテイクは「人に与えた分だけ自分に返ってくる」の意。しかし見返り前提のギブではスケールが大きくならない。自分の利を考えるのではなくただ与えるギバーになれ。人に与える意味を解説する「GIVE & TAKE」では人をギバー、テイカー、マッチャーに分けて整理する。
テイカーは自分の利を追求する。同僚にアドバイスをすることもあるが自分の意図が多分に含まれているので信頼は薄い。マッチャーは自分が与えるものと貰うものを五分五分にしようとする。相手の出方に合わせて助けたりしっぺ返ししたりする。悪いやつではないがまず相手の出方を窺うので行動は遅くなる。ギバーは困ってる人を積極的に助けようとする。見返りを求めないその姿勢は職場に好循環をもたらす。
ギバーは人のために動くが、厳密にはさらに二つに分けられる。一つは自己犠牲タイプで、自分を下げてでも周りを立たせる。自分のエネルギーは消耗しどこかで疲れ果ててしまう。もう一つは利己的タイプで、人を助けることでむしろ自分のエネルギーが充実する。一見不思議な感じがするが、私たちの生きる空間はゼロサムゲームではない。人に優しくしたり親切にしたりするとオキシトシンという幸せホルモンが分泌される。誰かの役に立っているという実感は私たちの活力になる。
利己的なギバーがしんどくなるのは他者に尽くしすぎたからではない。困ってる人をうまく助けられなかった時に消耗する。ギバーはその性質から他人を勝たせるために自分の勝利を手放すことがある。客観的に判断したいときは「もし友人がその立場だったとしたら」と考えると良い判断ができる。自分という主語を剥がすことでバイアスを避けることができる。
ギバー、テイカー、マッチャーはどれか一つではなく一人の中に混在する。ある場面ではギバーだけど別の場面ではマッチャーになる。それは所属するグループによって変わることが多い。ギバーのいる空間では自分も何か手伝いたくなるのでギバーが増えやすい。自分がいまどの状態にあるのか?この3つの整理は覚えておきたい。
大は小を兼ねない
Webサービスでは大は小を兼ねない。手に馴染むちょうど良いサイズのものを望む。かつては課題が解決できるなら十分ありがたかったが、サービスが乱立し選択肢が増えた現代ではジャストフィットが好まれる。
カレンダー、タスク管理、チャット、ホワイトボードなど全部盛りのサービスがあったとして、実際使う機能はその一部である。そうなると全部を使いこなせてない感覚になる。ツールのパフォーマンスをフルに発揮できてない。自分の成熟度が低いと感じる。
全部盛りのサービスは複雑度も高い。単一の目的のために作られたものに比べて、どこに何の機能があるか分かりにくい。提供側はそれをカバーするためにマニュアルを用意する。マニュアルを探して読んで使い方を理解するのは手間がかかる。多くのユーザーはこの手間を好まない。
今のサービスではユーザーに「ファン」になってもらうことが大切。ファンは自然とそのサービスのことを周りに話し、新しいユーザー予備軍を連れてきてくれる。近くにいる人は性質が似ている。ファンが連れてきてくれた人もまたファンになってくれる可能性が高い。
ファンになってもらうには「これは自分のためのサービスだ」と感じてもらうこと。抱えている課題をちょうど良いサイズで解決する。こんなものが欲しかった、と思ってもらうには全部盛りの大ではなく小が求められる。
いろんなパターンを救おうとすると提供するものは自然と大きくなる。そこを意識的に立ち止まり、自分たちが本当に解決したいケースにあえて絞って考えることが鋭いサービスづくりに繋がる。
多様性と資本主義のあいだ
多様性。人の考えや性質はみな違い、それを性別や国籍で一括りにすることはできない。多様な価値観がありそれを尊重すべき。この考えを否定する人はほとんどいないだろう。
私たちは資本主義で生きている。資本主義というゲームで勝つには多くのものを多くの人に届けて儲けないといけない。そうなると対象はマスになり、自然とマイノリティへの配慮は少なくなる。わかりやすい伝統的な価値観のマジョリティにマーケティングする方が刺さる確率はあがる。ここに多様性と資本主義の相性の悪さがある。
可能性を感じる部分としては顧客も多様化していること。リビングで家族全員がテレビを観ていた時代からYouTubeで個々の好きな動画を見る時代に。一つの大きな円ではなく小さなたくさんの円でマスが表現されるようになり、そこに届けるには作り手も多様な価値観を理解している必要がある。人間が一人で理解できる範囲には限界がある。多様な感性を持つ複数人でチームを作ることで、より精度の高い多くの人に響くものをつくれる。
人材登用という観点だと、必要とする仕事ができる人ならあとは何でも良いですよ、というのが良い会社の姿勢か。良い仕事をするにはコミュニケーションは不可欠だが、それは飲み会でプライベートを赤裸々に語ることとイコールではない。相手が欲しそうな情報をオープンにして置く、必要なタイミングで話し合って前進できるならコミュニケーションとしては十分である。それだと冷たすぎる?仕事という共通の目標があればそれだけで熱くなれる。プライベートな話もできるくらい仲良くなりたい?それは個人的に誘ってみれば良い。相手も同じように考えてくれていれば距離は徐々に近づく。飲みに行くこと自体が悪なわけではない。
男性の方が力が強いという傾向はある。しかしすべての男性が必ず力が強いわけではない。個人差は常に性差を超える。属性は理解するきっかけにはなるが個人そのものではない。