「思ったらいけない」ことはない

2025/01/27

何かの事象を見たり考えたりすると心の波に石が投げられる。それが波紋となり感情が芽生える。怒りや嫉妬など負の感情が湧き上がることもあり、それは世間的には良くないとされる感情かもしれない。でもその感情は咎めなくて良い。どんな感情も自分の中から出るものは自分の感じ方である。

感情そのものを否定するのではなく、それがどう表出するかをコントロールする。表情、言葉、行動を制御する。どんなに激しい感情でもピークは発生から6秒らしい。なので6秒間ぐっとこらえてから行動する。余計なことを言ってしまったり、意図と違う形で伝わり他人を傷つけてしまうことが少なくなる。

社会的に、あるいは周囲との関係的に言わない方が良いこともたくさんある。でもそれを言葉にせずに周りに合わせていると自分を見失う。そんな時は文字に書けば良い。考えてることを書き出し、誰にも見せずにそっとしまう。自分がその時どんな感情になったか、何を思ったのか。人に話せずとも、自分の心中に書き留めておけばそれで十分だ。


周りをエンパワーする

2025/01/26

Webエンジニアは他の職種と比べて個人単位でのパフォーマンスの差が大きい。それは過去に作ったものを再利しやすかったり、システムが複雑なため理解度によって仕事の進めやすさがまるで違うことなどに関係している。どこかで読んだ調査では人によって10倍くらい生産性が違うらしい。この数字は肌感とも近い。

ところで最近はチームでの開発が必要になるシーンが多い。技術は進化しており、シンプルになった部分もあるが複雑度は全体的にはあがっている。優れたサービスが溢れておりユーザーの期待値自体も高い。昔は仕事を楽にするツールがあるだけ有難かったのが、今では仕事が滑らかに進むよう連携機能が求められたり、使い心地の良いデザインが好まれたりする。システム障害を防ぐことも必要。基準の上がった当たり前品質を満たすのに一人では限界があり、チームでの協働に焦点が当たる。

チーム開発となると、個の力よりもチーム全体を押し上げる力が評価される。他のメンバーと比べて1.5倍活躍できたとしても、連携やコミュニケーションが不足していると周りのパフォーマンスを0.8倍にしてしまう。そうなるとチームとして大体マイナスになる。スキル的には多少劣っていても、周囲に良いパスを出せる人は重宝される。自分が0.8の力でも周りを1.1倍にできればトータルプラス。そういう価値の発揮の仕方もある。

良いパスとは何か。具体的には周りのメンバーの様子を伺い、必要な情報をオープンに置いておくこと。困ってそうな人を助けたり、自分が仕入れた知識をシェアしたり、チーム全員が働きやすい仕組みを整えたりすること。周りのために動いてくれる人がいると、それを見た他メンバーもそういう動きをするようになる。ポジティブなサイクルが回り、良い仕事ができるチームになっていく。


相手をコントロールしようとしない

2025/01/25

人に期待をしても良いがコントロールしようとしてはいけない。こう動いてくれ、と思いすぎると実現されなかったときに辛くなる。期待をかけるのは自由だがそれに捉われない。上手くいくとラッキーだな、くらいのニュートラルな気持ちをキープする。

北風と太陽でお馴染みのように、外圧で人を変えるのはほとんどの場合上手くいかない。他人から押し付けられたものでは花開かない。本人が納得して、自分の意思で行動して初めて成功する可能性がある。ビジネスの現場でもティーチングよりコーチングが重視されている。内省を促し、相手の内発的なモチベーションを高めるのが主流になっている。

もしチームや組織として目指したい方向があったとして、実際できるのはそれを繰り返し言い続けることぐらい。そこに行きたい理由をオープンにすべて話し、期待する行動はどのようなものかを明確にする。それに周りがついてくるかは相手次第。掲げられたものへの共感が高まれば人は行動する(その人の意思で)。キングダム31巻の蕞(さい)の戦いでもそんな描写がある。檄を飛ばして士気を高めるのがいつの時代もリーダーの仕事。


「自分がされて嫌なことを人にしない」はウソ

2025/01/23

小学生の頃、教室の黒板横にスローガンが掲げられており、そこには「自分がされて嫌なことを人にしない」と達筆な字で書かれていた。今思えばこれは違う。正しくは「相手がされて嫌なことをしない」。自分と相手で嫌に思うことは違う。

外で遊ぶのが好きな子もいれば体を動かしたくない子もいる。何でも話したい人もいれば必要なことだけぽつりと話したい人もいる。人に危害を加えるなどは勿論ダメとして、物事の捉え方は人それぞれ違う。例えば自分は何かに集中して入りこんでいる時に話しかけられるのが苦手だが、別にいつでも話しかけてもらえたら嬉しいという人もいる。自分を基準に考えると選択を間違える場合がある。

相手への気遣いの範疇であれば間違いも良いが、怖いのはこの理論が反転すること。つまり「この人は自分にとって嫌なことをしてくる。相手も分かってるはずだから、自分に嫌がらせをしたいのか?」と考える。実際はその人としては全然悪意はなく、当人にとって自分がされても嫌に思わない行為の場合がある。社会人になってからこういうすれ違いを多く目撃するようになり、自分と相手を対称で考える危うさを感じている。

目指したいのは「相手がされて嫌なことをしない」。でも他人のことは分からないので難しい。ではどうすれば良いかというと、その人に聞くしかない。相手の話をしっかり聞き、反応を伺い、慎重に距離を縮める。その人をよく知るとその人視点で考えられるようになる。あとは自分もいろんな経験をすること。良い経験もそうだが失敗などのマイナスの経験は特に自分の糧になる。病気になった人のしんどさは病気になったことがある人しか分からない。痛みや弱さを知ると人の心に寄り添えるようになる。


デザインとアートの違い

2025/01/23

デザインは目的がある。例えば特定の層にメッセージを訴求、望むイメージを持ってもらう、困ってるユーザーに機能を提供する。アートには目的は必要ない。ただ表現し、見る人がそれに意味を見出す。

デザインの語源は「de」(削る)「sign」(示す)。在るものを削り、引き算により本質だけを残すことで分かりやすくする。アートは自分の内から生み出す。最近読んだ本では西洋と東洋でアートの捉え方が違うらしい。西洋は積み重ね、つまり足し算で作品を作っていくのに対し、東洋は最初からそれはあり、削ることで浮かび上がらせるようなイメージらしい(仏像を彫るなど)。そう考えるとデザインの発想は東洋の方が得意だったりするのだろうか。

Web業界のいう「デザイン」は多様化している。画面設計もイラストもユーザーインタビューもウェブサイトの装飾もすべてデザイナーの仕事とされる。全部できる人はいないので領域を選んで専門性を深めるか、あるいは全体をバランスよく身につけてオールラウンダーになるか。自分はデザイン系の仕事の中では画面デザインを考えているときが一番好き。