手書きで日記を書く

手書きで日記を書く

2024/09/27
このFeedback Loopとは別に、人に見せない日記を書いている。自分の心を落ち着かせるために書いているもの。日常を生きてて嬉しいとかムカつくとか心が動いた瞬間を短文でメモしておき、夜か朝にそれを見返しながらザーっと書き出す。このやり方は2, 3年続いていて、しっくりきている。「ずっとやりたかったことを、やりなさい」で紹介されるモーニングページという手法と、昔NHKの特番で見た植本一子さんの日記の書き方に影響を受けている。 日記帳は作らず、そこらへんのノートとか紙とかに書く。iPhoneのメモアプリに書くときもあれば、iPadのノートアプリにApple Pencilで書くときもある。なので過去の日記がどこにあるか自分でもわからない。昔のノートを見返したとき、仕事のメモの合間に急に日記が出てきたりする。読み返してみると意外と面白かったりするので、日記を一箇所に集めたいモチベーションが湧いてきた。 そこで作ったのが日記アプリ「Relief」で、心が動いた瞬間を短文で記録する機能と、それを見ながら長文の日記を書く機能を搭載している。iPhoneで書いてもiPadで書いても同期されるようになっていて集約できる(Apple IDを使って繋げている)。ただ、これまでのReliefはキーボードで書く必要があり個人的にテンションが上がりきらない部分があった。

「時給はいつも最低賃金、これって私のせいですか? 国会議員に聞いてみた。」を読んだ

「時給はいつも最低賃金、これって私のせいですか? 国会議員に聞いてみた。」を読んだ

2024/09/26
「時給はいつも最低賃金、これって私のせいですか? 国会議員に聞いてみた。」を読んだ。 著者である和田靜香さんは50代単身フリーランス。お金や住まい、ジェンダー、税金などの日常の不安や悩みを直接国会議員にぶつけ、その問答をまとめた一冊。今年で36歳になるが、この歳まで政治にどう関われば良いのか学ぶ機会はなかった。学校の授業で三権分立とか衆議院と参議院とかは学ぶけど、それは知識としてであって、自分の生活から直接つながるものではない。選挙は毎回行ってるけど、自分の一票が何かに反映されたと感じたこともない。ニュースを追っても派閥とか政局とかの話が多くてそこじゃないと思ってしまう。保護犬とか同性婚とかエネルギーとか、興味があるトピックはあるがどうアプローチしてよいかわからない。それが本を読む前のスタート地点。 さて、まずは冒頭のパンチラインから。日本には有権者が1億人。自分はその1億分の1だと。しょせん、それっぽっちだと。でも、ゼロじゃないよ、と。そこから出発すれば、あきらめずに済むんです。自分自身の有権者としての力を過大評価しても挫折するし、過小評価しても敗北につながる。等身大で評価しないといけない。あぁ、めっちゃ過大評価して挫折したり、過小評価して敗北していたわ。すでに面白い。そして本編に入ってからも、和田さんの生活に根付いたリアルな悩みをひとつひとつ打ち返していく国会議員の小川さん。小川さんの言葉はどれもストレートに頭に入ってくる。これまで自分が抱いていた政治家像と何が違うかというと、話をよく聞き、状況を言語化でき、難しいで終わらせずに自分なりにこうすべきという提案をしっかり持っている。提案はあるんだけど、話しながら折り合いをつけていく柔軟さもある。デキる人の仕事、という感じだ。

「家父長制はいらない」を読んだ

「家父長制はいらない」を読んだ

2024/09/23
『家父長制はいらない 「仕事文脈」セレクション』を読んだ。家父長制とは男性が一家の長で、家族に対して絶対的な支配権を持つ制度のこと。1876年に民放で定められ、戦後に廃止されたが現代もこの慣習は根強く残っており、そのせいで苦しむ人がいる。この本はリトルマガジン「仕事文脈」の中からフェミニズム、ジェンダーなどに関する記事をピックしてまとめられたもので、合計18人の著者がいろんな角度から家父長制にまつわる文章を書いている。 どの記事も面白かったが、特に印象に残った覚えている文をピックアップ。こうした場面では「パートナー」といった言葉よりも「夫婦」というキーワードを使った方が効果が大きいという判断があったからだろう。たしかにそうなのかもしれないが、その現状に追随していたら、数の少ない人たちが小さな違和感を感じ続ける状況は変わらない。これはSEOライティングについての一文だが、自分も同じような経験がある。何かを表現するとき、誰も傷つけない表現はあるんだけど、それだと抽象的すぎて誰にも刺さらないものになってしまう場面。「夫婦」のように言い切ってしまう方がターゲットに届きやすいなら商業的にはそれを選択するのが正解となる。でも自分の気持ち的には違和感があって…みたいな。Webサービスを作ってるとターゲットを明確にすることがよく求められるが、そのターゲットを言語化することで誰かに違和感を感じさせてしまってる気がする。各々が生活しているのに、わざわざ線引きして分断させてしまってるようなイメージ。インクルーシブな社会とマス向けの資本主義のバランスを最近よく考えるが、なかなか自分のなかで折り合いがつけられてない部分。表現の現場でよく聞かれる言葉がある。「実力があれば評価される」「優れた作品をつくれば結果はついてくる」 (中略)

本を読むと何が良いのか

本を読むと何が良いのか

2024/09/18
趣味の一つに本があり、エッセイ、日記、ノンフィクション、小説、自己啓発、ビジネス本、技術本などジャンル問わず幅広く読んでいる。仕事の忙しさや気分によって波があるが、1ヵ月1万円分読むのをなんとなく目標にしている。この1万円というのは確か「レバレッジ・リーディング」に書かれていた金額で、社会人の始めの頃にそのアドバイスに触れて、よくわからないけどいったんこの基準でやってみよう、としたのが今でも続いている。特に社会人初期は本に1万円使うのはお財布的な影響が大きかったが、読書の習慣がついたことはそれを遥かに上回る良いことがあった。 SNSはレコメンドエンジンが発達し、自分の興味関心に沿った情報だけが流れてくる。日常的に自分の考えと近いものばかりに触れるようになり、さらにその考えが強化される。エコーチェンバーやフィルターバブルというキーワードで指摘される現象だが、これは世界の分断を生む。自分から見える景色が強化されすぎて他の人の意見や価値観に耳を傾けるのが難しくなる。読書はこれを解決してくれると思っていて、他人の考えや世界を知ることができる。例えば最近『「コーダ」のぼくが見る世界――聴こえない親のもとに生まれて』を読んだが、こういう本を読まなければその人の体験や心情を知る機会はなかなかない。いろいろな考えを知ることは明日からの仕事に使えるわけではないが、相手の立場に立って考える(共感/エンパシー)のに大事なこと。自分の価値観は限定的な世界で培われたもので、その価値観を人に押し付けてはいけないな、と最近はよく思う。 エンジニアの世界ではXが人気で、最新の技術動向はXで得られるといっても過言ではない。エンジニアは情報をオープンにする傾向があると思うが(OSS=オープンソースソフトウェアという文化がある)、Xはその性質と相性がよく、技術を試したり何かを作ったりするとそれをXでシェアすることが多い。界隈の人をフォローしておくと、いまこれが流行ってるんだなとか、みんなこういうのを最近勉強してるな、みたいなのをなんとなくキャッチできる。トレンドというのはふわっとしていてGoogleでは調べにくいものだが、Xのおかげでぼんやりと可視化されている。

対話がないと疑心暗鬼になる

対話がないと疑心暗鬼になる

2024/09/16
チームや組織で働くと、必ず自分とは価値観の異なる人とやり取りすることになる。相手の言動に疑問を持ったとき、その疑問は相手に直接聞いてしまうのが多分一番良い。これ聞くと失礼かな?と考えて躊躇ってしまうが、聞かないとそのモヤモヤは晴れずに胸中で生き続ける。モヤモヤが残ってると、次また同じことがあったときに「この人はいっつもこうだな」みたいに自分の中で勝手にそれを濃くしてしまい、疑問が熟成されていく。言動ではなく、その人自体を疑問に思ってしまう。 『他者と働く - 「わかりあえなさ」から始める組織論』では、他者のナラティブ(物語。文脈のようなもの)を理解する重要性が説かれている。価値観の違う、対岸にいる人。彼らとは同じ川岸に集まることはできないが、川辺まで寄り添ってよく話を聞き、そこに橋を架けることはできる。橋を架けるために大事なのが対話で、ある意見が出た時、それがどういう価値観から出たのか、どういう状況下で生まれたものなのかを考える。頑固に自分の意見を曲げない人がいるとして、実はチームの目標が厳しく周囲のメンバーのためにどうしてもそう言わないといけないかもしれないし、過去に同じような成功体験があってそれで意見が強くなってるのかもしれない。同意はできないかもしれないが、相手の立場になること、相手を分かろうとする姿勢が重要。 対話がないとどうなるか?埋められなかった差分を、こちらのロジックで勝手に補足していまう。仕事にやる気ないのかなとか、こういう性格だからそうしてるのかなとか、自分から見える景色だけで勝手に着色してしまう。自分と違うものは怖れる傾向があるので、よっぽど意識しない限り悪い方に着色する。それで疑心暗鬼になり、一度疑ってしまうとその人と真っ正面から話すのがどんどん難しくなってくる。火は熱いうちにではないけど、気になることは早めに対話して疑問をひらいていきたい。

「いまだ成らず」を読んだ

「いまだ成らず」を読んだ

2024/09/08
「いまだ成らず 羽生善治の譜」を読んだ。棋士界の動向をまったく知らない自分でも羽生さんは知っており、子供の頃からなんとなく好きだった。数年前に読んだ「大局観」には千手先を読むことから直感的に次の一手がみえるようになった思考の変化について触れられていて、経験を積んでいくといずれロジックを飛ばして最良手に辿り着くことがあるのは面白い感覚だと思った。羽生さんの何千分のイチのスケールだがこの感覚は自分の仕事でも感じるときがあり、Webサービスの仕様を検討する際にロジックをあまり考えずともすぐ決められるときがある。そしてそう判断できる理由を考えていくとこれまでの意思決定であったり、経験してきたことが礎になっていることが分かり、大局観だなぁと本を思い返したりしている。 本書はそんな羽生さんについて書かれた一冊。羽生さんといえば最強というイメージがあったが最近は勝率も落ち負けているらしく、A級から落ちてB級になったりもしているらしい。かつての最強がまた挑戦者へ。AIが登場し研究の方法がまるで変わったりもする。それでも羽生さんは心を曲げず、好奇心をもって探究していく。 本の構成で面白いのが、ドキュメンタリーなのに羽生さん本人には一言も話を聞いていないこと。本人ではなく周りのプロ棋士の生涯を描き、そこに羽生さんが登場していくことで外堀から羽生善治像が描かれていく。羽生さんの背中をみながら苦しんだり、タイトル戦で挑むも自分のペースを崩して負けたり、はじめての一勝を手にしたり。存在感というか、羽生さんが強く純粋であるゆえに誰もそこを無視して通り過ぎることはできず、向き合い続けさせられる。こういう構造のドキュメンタリーは初めて読んだがめちゃ面白く、2日くらいで一気に読み進めた(どの章もパンチラインだらけ)。

慣性の法則

慣性の法則

2024/09/05
フィリピンから帰ってきてから読書欲が高い状態が続いている。旅行中に読んだ本に面白いものが多く、もっとこういう本が読みたいという気持ちでいろいろ読み漁っている。 知人が作っているBookBankというアプリで読書記録をつけているが、このアプリでは月ごとの読書数を振り返る機能がある。ここ数年を振り返ってみると月ごとにかなりバラつきがあり、よく読むときは月10冊を超えるのに対し、月に1冊も読まないときもある。その理由を考えてみると、個人開発に没頭している時期に読書から離れていることがわかる。Webサービスやアプリを作っている間はそれに夢中で、本を読みたいという気持ちが沸かなくなる。 この「何かに興味を抱くとそればかりやってしまう」のは自分のスタイルで、思い返せば子供のときからそうだった。学校から家に帰ってきて漫画を読みはじめたら夕食までずっと漫画を読んでたし、勉強をはじめたら夕食まで机に向かって問題を解いていた。書籍の方の「君たちはどう生きるか」でコペル君が同じことをやり続けるのが人間の習性だと気づくシーンがある。ここを読んだときはわかる!と思ったのをよく覚えている。習慣術みたいな文脈で、朝起きたらまずやることで必要なものを机の上に置いてから寝ましょう、みたいなテクニックがよく語られる。毎朝日記を書くならノートを置く、体温を測るなら体温計を置くみたいな。朝起きて最初にやったことが流れを生むという説だが、これも理に適っているいると思う。逆に距離をおきたいものは収納の中に隠して腰を重くすれば離れられる。

線を引きながら本を読む

線を引きながら本を読む

2024/09/05
読書が好きだが、本は電子書籍ではなくすべて物理本で買っている。電子書籍は何度か試したが続かなかった。私の読書スタイルには物理本が合っている。 スタイルというのはペンを持ちながら読むことで、心に刺さった表現や共感したこと、おもしろい言い回しなどに線を引く。読みながら考えたことや感じたことはページの余白部分に走り書きする。読書していると脳が活性化するのか、本の内容とまったく関係ないことを思いついたりする。それも余白部分に書き込む。書き込みせずに読む場合、紹介されているこの本あとで調べようとか、この言い回し美しいなとか、そういったことを脳の片隅で記憶しておく必要がある。これは読書とは違った脳の種類だと思っており、同時にしようとすると疲れる。最初はビジネス本や技術本でやっていたが、最近はエッセイや小説などジャンル問わずペン片手に読むようにしている。 読み終わったら線を引いた箇所をまとめる。私の場合はNotionというサービスに書き出している。この作業は本を読み終わって2-3日経ってからやると良い。記憶が薄れてきたときに再び本の内容を読むことで、気に入っていた表現に再度触れられるというか、記憶を深いものにできる気がする。ここでまとめた内容を見返すことは正直ほとんどない。ごくまれに何かで引用したり、同僚に紹介したりする時に検索で役立つくらい。それでもこのまとめは絶対に作ったほうが良いと感じていて、それは本で得た内容を脳から切り離して別の場所に記録しておく良さだと思う。「こういう内容あったけど何で読んだたかな…」と思い出せないとき、Notionを探せば見つけられるという環境はメンタル的に良い。

「会社という迷宮」を読んだ

「会社という迷宮」を読んだ

2024/09/01
「会社という迷宮」を読んだ。コンサルとして経験を積んできた著者が「会社」の本質に迫る一冊。いわゆる会社論とは違い、「コンサルではこう言ってるけど本当は〜」みたいな記述が多く、どれも芯を喰っていて唸らされる。私は数年前に転職し、それからはスタートアップの経営チームとしても仕事してきた。エンジニアという枠を超え会社の成長を考えていくなかで、市場調査であったり競合比較であったりは多少経験を積んだが、その過程でずっとあったモヤモヤをこの本は言語化してくれている。 例えば利益についての一文。「利益」という場所から意識が出発すると、つまるところそれは「差」、言い換えると他者との相対的関係においてしか捉えられないものとなる。それを競争と呼ぶ。しかし、それはどこまで行っても、相対的なものであり続ける。問題になるのは、自ら定めた目標との距離ではなく、競争相手との相対的な距離である。もし、会社が自ら航海の行き先と定める独自の価値を持たないならば、航海の羅針盤は競争相手との相対的位置関係だけになる。スタートアップ界隈には「T2D3」という言葉があり、TはTriple、DはDoubleを意味する。つまり今後の5年で、最初の2年はTriple(3倍成長)、次の3年はDouble(2倍成長)するという意味である。スタートアップにはこれぐらいの急成長が必要という指標みたいなもので、これを参考に計画を立てたりもした。しかしこれは「急成長します」以外の何も語っておらず、会社が何をするのか、どういう課題を解決していくのかには当然ながら何も触れていない。会社というのは成し遂げたいことがあったから立ち上げられたもののはずで、そのビジョン(上の文でいう独自の価値)をもっと大事にしなければならないはず。 さらにもうひとつ紹介。可視化できないものまでなんでも可視化して説明しようとする習いが行きすぎれば、逆に対象を見える範囲に限定する視野狭窄となり、結果的にものごと自体を矮小化してしまう。

「何を作るか」のアイデアの作り方

「何を作るか」のアイデアの作り方

2024/08/26
仕事とは別で、趣味でWebサービスやスマホアプリを作っている。平日の夜や週末などに。作ることは楽しいし、うまくいけば広告やサブスクで収益をあげられるので良い趣味だと思うが、難しいのが「何を作るか」を決めること。自分の学びたい技術が何か、個人で作れる規模か、どれくらいの期間で作りきれそうか、便利なもの or 使っていて楽しいものか、それにお金を払ってくれる人はどれくらいいるか、Webで作るかアプリで作るかなど、とても多くの変数がある。 これまではその時々で興味のあるもの、関心のあるものを作ってきたが、継続してアップデートできているものもあればリリース以降メンテできていないものもある。その違いは何かというと「本当に自分が興味を持てているか」だと思う。 自分が憧れる作り方に、コツコツ改善していったらクチコミで少しずつ広がり、やがてヒット作になっていくというものがある。最初の数ヶ月はユーザー数が3人とかで鳴かず飛ばずだが、改善を続けていくと利用者数のグラフは右肩上がりになっていく。有名なところだとAirbnb、個人開発でいうとTODOアプリのミントなどが思い浮かぶ。振り返って語られるのは、初期のユーザー数は確かに少なかったが、その数人はとても熱量高く使ってくれていた、みたいなエピソード。誰か一人に深く刺さるものは他にも刺さる人が必ずいる。ただインターネットは広大なので対象者に届くまでに時間がかかる。それを待ちながら、自分のサービスを信じて改善していけるかがポイントになる。