世の中への解像度があがる瞬間は面白い

2025/07/24

縁あって某FMラジオ局の方とお話しする機会をいただいた。大学の頃からお笑いラジオが好きで今でもずっと聴いており、ここ数年はPodcast番組を友人とやっていたりもする。趣味が高じてAIがラジオを作るWebサービスを作ったりもしたが、その業界の人と話すのは今回が初めて。1時間ちょっとの短い時間ではあったが業界の状況や課題感など濃い話を聞けた。こうやって知らない世界を知る(≒知った気になる)のはいつでも面白い。

振り返れば大学生のときの就職活動で、それまで聞いたことのない会社が重要な仕事をしているのを知ってワクワクした。当時は業種や業界というカテゴリ分けがピンと来ておらず、外資系企業がどういう特徴かなどは知らず、調べながら少しずつ整理できるのが面白かった。

社会人になりたての頃、異業種交流会的な場に参加したこともあるが、それはしっくり来なかった。ただ色んな業界の人と話せれば良いわけではなく、自分の関心を満たせるかが自分にとって大事だったように思う。今まで曖昧だった線引きがクリアになったり、知らない仕事の解像度があがったときにテンションがあがる。色んな人と薄い内容を少しずつ話す場所ではその興味は満たされない。

ここ数年だと英語、水泳、日記が新しい趣味として定着した。好奇心のままに行動できて幸せに思っていたが、英語や水泳など「昨日の自分より上達している」ことを嬉しく思うのは生産性主義的な発想だと最近読んだ本にあった。確かに自分はプログラミングが上達しているかとか、過去に比べて今どうなったかというのをよく振り返る。これは他人との比較ではなく過去の自分と比較する発想だが、その本によるとそれもまた生産性主義に捉われているらしい。子供の時間の過ごし方を見ると「ただその時間と向き合っている」。過去と比べて上下することもないし未来を怖れることもない。ただその瞬間を生きる姿勢を取り戻せれば楽に生きれる、というのは感覚的には理解できる。

イマに生きるという意味では冒頭のラジオ局はただその空間にいるだけで楽しかった。収録ブースを横目に打ち合わせしたが、機材やパーソナリティの方の様子を見れて眼福。これが何に繋がるというわけでもないが、ただ良い時間を過ごせたというので満たされた時間だった。