「弱さ考」を読んだ

2026/01/02

強いビジネスパーソンを目指して鬱になった僕の 弱さ考」を読んだ。著者はNewsPicksパブリッシング編集長の方で、第一線で活躍しながらも体調を崩してしまう。そうして経済社会的に「弱い立場」となった視点から世の中を見つめ直す一冊。

近年、成長し続けることを求められる社会に疑問を投げかける本が増えてきている。「疲労社会」、「ゆるストイック」などはその系統にあたるだろうか。常に勉強し、成長し、結果を出してのみ認められる社会は息苦しい。かといって資本主義をやめれば解決かというとそれも微妙。資本主義は経済をうまく回すハンドルのひとつではあるから。では、どのように折り合いをつければよいのか?

著者は次のように述べている。

ゲームはゲームとしてプレイしつつ、「市場価値と、自分そのものは価値とはまったく関係がない」というシンプルな事実を握りしめていればいい。

ここでいうゲームとは資本主義のこと。自分のスキルをあげて市場価値を高めれば市場価値が増し、ゲームとしては有利になる。しかし市場価値がないと自分が無価値というわけではない。それは経済の基準で物事を見すぎている。自分は自分、その上で資本主義にプレイヤーとして参加してる、くらいの心持ちがちょうど良い。

古代ギリシャと日本の違いの分析が面白い。古代ギリシャでは人の出入りが多く、「いつでも出ていける」状態にあった。そのため関係性を気にせず好きなことをいえる。それが闊達な議論を生み、文明を前進させたという。一方日本は島国で、居着いた場所を気軽に出ていくことはできない。固定化された関係では揉めると大事になるので、事前に調整する根回しの文化が生まれた。調整が多い社会になったのは誰かの好みではなく、必要性があったからだ。

タイトルの「弱さ考」、これは弱い立場から分析しただけでなく、「弱い側の立場に立って考えていきたい」という意味がある。「他人と比べるな」という言葉は正しいが強すぎる。多くの人は「それでも比べてしまう、自分はやっぱりダメだな」となってしまうんじゃないだろうか。弱い立場に立つとは「比べちゃうよねぇ」と共感すること。そういう人がいれば「自分はやっぱりダメ」という二次的な辛さは取り除くことができる。

テクノロジーで文明は便利になったが、それで我々が幸せになっているかは分からない。メールがSlackやTeamsに代わることで効率はあがったが、それを上回るだけ仕事量も増えてしまった。いま「AIが仕事を奪う」というのが議論のテーマになっているが、AIが効率化を推進した結果私たちはより忙しくなるのかもしれない。

忙しい社会で心を失わぬよう、「弱さ考」は拠り所となる一冊だと思いました。