「自分をいかして生きる」を読んだ
「自分をいかして生きる」を読んだ。著者は働き方研究家の西村さん。以前読んだ「自分の仕事をつくる」では各界の現場を訪ねて「いい仕事」に迫っていったが、本書は対象を仕事から人生に対象を拡げる。
自分を活かす、というとすぐに連想するフレーズは「好きなことを仕事にしよう」。しかしこの表現は実際と少しズレていると著者はいう。その道のプロの現場に足を運んで見る光景は「この仕事が好き」ではすまない態度だったりする。悩み苦み、ただ好きなだけでは潜れない深さまで達している。ではどういう表現だとよいか?それは例えば「あなたが大切にしたいことは?」あるいは「自分がお客さんでいられないことは?」というフレーズである。
自分の場合に置き換えて考えてみると、例えば漫画や音楽は好きだが自分でやろうとは思わない。しかし居酒屋のモバイルオーダーのアプリの出来が悪いと自分で作りたくなる。そんな感じだろうか。でも、これは今エンジニアとしてのキャリアがあるから思うことかもしれない。もっと遡ると大学時代、何かのイベントの進行を見て自分ならもっと上手くやれると感じていた。勝手に改善点を考えたりしていた。こっちの方が原点に近いかもしれない。
自分と社会との繋がりを描いた図も面白い。真ん中に「自分」が立ち、右側に「社会」がある。そして左側には「自分自身」がいる。社会に合わせてばかりいると自分自身がおざなりになる。逆に自分自身ばかりと話してると社会との縁が遠くなってしまう。現代を的確に表している気がして好きな表現だ。
SNSで情報との距離が近くなっている現代は「社会」の影響力が大きい。それと離れる時間を意識的に作って自分自身と「ふたりっきり」になる。自分と対話する時間でのみ生育される内面がある。
自分と向き合うことについて、好きなパンチラインがある。
他人からもらったアドバイスより、口に出してみた気持ちや自分が語った言葉の余韻が、再び自分に揺さぶりをかけて、それが次の場所へ向かう足がかりになってきた感覚がある。
これは「もし過去の自分に相談されたらどう聞くか」という著者の思考実験のなかで出てきた言葉だが、なるほどと頷きながら読んだ。思い返すと他人からもらったアドバイスで道が決まることはほぼなかったような気がする。数回あったような気もするが、それも自分の中では決まっているものがあって、それに符合する形で共鳴していたのかもしれない。
最後に、もうひとつパンチラインを紹介。とある画家の方がインタビューされたときの一幕。
「”絵画は死んだ”とよく言われるけど?」という質問にこう答えていた。
ー あまり関係ない。わたしが朝起きて、絵を描こうと思い続けてればね。ロックと同じようなもので、たとえば、今、ギター中心の曲はあまり作られていないけど、誰かがやりたいって思っていいものを作れば、誰もそんなの価値がないなんて言えないじゃない。
この言葉にものづくりのエッセンスが詰まっていると思う。自分が価値があると思えば、他者からの評価がなくてもその価値はゆるがない。