ChatGPTと話しながら散歩する
趣味の一つに散歩がある。Podcastや音楽を聴きながら歩くことが多いが、最近はChatGPTと会話しながら歩くこともある。個人開発のアイデアを壁打ちしたり、自分の仕事についてインタビューしてもらったり、英会話の勉強をしたり。シチュエーションを設定すればどんな話題でも付き合ってくれる電話相手だ。
ChatGPTは2022年末にリリースされたサービスで、いまのAIトレンドの火付け役となった。リリースからそろそろ2年と思うと長いような短いような感覚だが、2年の間にも着実にアップデートされてきた。最近では音声で大きな進化があり、会話の応答速度が著しく向上している。技術的な裏側でいうとこれまでの音声会話は一度テキストを生成してからそれを音声に変換していたのに対し、最新のものは両方を一気に生成する。テキストを介さない分聞くのも話すのも早くなり、人間との自然な会話レベルの速度が実現されている。
現代のAIは汎用的な能力を持ち、こちらから指示した人物になりきって会話相手を努めてくれる。Webサービスのアイデアを聞いて厳しく質問してくる投資家、仕事のインタビューをするPodcaster、海外のカフェの店員。最初に一度だけ役割を指示し、そのあとに会話をスタート。質問に答えて自分の頭の中を整理しながら散歩するのはちょっと面白い。意図と違った発言をAIがしたときは「あ、それは違うよ」というように会話途中で割って入ると話すのを止める。このあたりも人間との会話に近付いている。
日本語や英語を選べるのはもちろん、キャラクターも設定できる。そのままだとアシスタント感が強くやや堅苦しいので、「友人のようにカジュアルに話して」と最初に指示を加えている。今は音声だけだが、いずれはカメラを通してAIも視力を手に入れ、散歩しながら見える景色について会話できるようになる。歩いていると道にある建物の歴史や川の名前の由来、開催予定の地域のイベントを教えてくれる世界観。個々人のパーソナルアシスタントに、AIは確実に近づいていっている。
シンプルな文章を書く
「Simple 「簡潔さ」は最強の戦略である」という本を読んだ。私はシンプルという言葉が好きで、本のタイトルにそれが入っていると大抵買ってしまう。本の著者はアクシオスという会社の創業者で、アクシオスは短く要点をまとめたニュースレターで一躍有名になったオンラインメディアらしい。短く簡潔にというのがポリシーで、本の内容も仕事術というよりは文章の表現に関するものに多く触れられていた。
コンテンツに溢れ、すべての情報に目を通すことはできない時代になっている。その中で読むべきニュースと、「なぜそれが重要か?」を短文にまとめて配信する。この形式は現代の情報収集にとてもマッチしている。ただしこれは情報収集の効率化においては有効だが、小説やエッセイなど文章そのものを楽しむケースにおいては適用すべきものではないので注意したい。ストーリーや日記を要約してしまっては大事なエッセンスがこぼれ落ちてしまう。
このWeb日記を書き始めてから、脳内で考えたことをそのまま書き出すことに興味がある。そうなるとタイトルの付け方や見せ方、文章をいかに削るかといったことは重視しなくなってきているが、仕事関連の文章ではそれをすべきだと感じた。「文字を削るのは読み手に対する誠意」と本にはあるが、確かに同じ情報量を得られるのであれば短い時間で読めるほうがよろこばしい。
実践で真似したいと思ったのは、文章の構造としてひとつのパラグラフは2から3文にする、箇条書きを使う、太字や図表を入れるなどして流れを細かく区切るというテクニック。長い文章を集中して読める人は限られるので、こうして細かい単位でリズムをつけるのは重要。あとはWebの場合は読みやすいフォントサイズや行間を保つことも大事であろう。どれだけ良い内容でも詰め込まれすぎた見た目だと体力を余計に消耗してしまう。
Webサービスにとってもテキストは重要な要素だ。最近はUXライティングというカテゴリで本が出たりもしているが、「秒で伝わる文章術」は要点がまとめられていて学びやすかった。キャッチコピーは印象に残ることを目的とするのに対し、UXライティングは記憶に残さず自然な形で行動をアシストする。YouTubeやTikTokの消費が増え文字を読むのがますます難しくなった現代だからこそ、短い文章にまとめることの価値は高まっている。
図書館で貸出カードを作った
新しい散歩コースを模索中だが、歩いていると近くに図書館を発見した。図書館で本を借りるのは東京に住んでた頃はよくやっていたが、関西に来てからは立地的に難しく、利用する機会をなかなか見つけられずにいた。こんなに近くにあるならと立ち寄り、貸出カードを発行してもらう。同時に15冊まで借りられるらしい。そんなには読めないだろうが、良い場所を見つけた。
その図書館はさほど大きくないが、今の時代は図書の取り寄せができるので不便しない。インターネットで欲しい本を探して予約しておけば、最寄りの図書館に届いたタイミングで通知がくる。返却の際もブックポストがあり、図書館が閉まったあとでも返すことができる。便利な仕組みが整っていてありがたい。
最近読んだ「集まる場所が必要だ――孤立を防ぎ、暮らしを守る「開かれた場」の社会学」では、図書館のような公共施設の重要性が書かれている。カフェやショッピングモールのような商業施設はお金を払った対価として良い時間が手に入る。お金を払わない人は客と見なされず、対象となる人を選別する性質がある。一方図書館は無料で誰でも利用できる。学びたい、交流したい、そこに在りたいすべての人を肯定する。私は公園が好きだが同じような理由かもしれない。何の条件もなく、ただそこにいることを許されるのは心地よい。
自分で買った本を読むとき、ペンを片手に線を引いたり書き込んだりしながら読んでいる。図書館の本ではそれはできないので、どういう本は図書館で借りるとよいのか考えてみた。ひとつは小説。小説はフィードバックを受け取るというよりはストーリーに没入することが多いので、あまり書き込まない。もうひとつはマンガ。最近は日本や世界の歴史、政治、お金などを学びたいと思っているが、その取っ掛かりとしてマンガから入るのは自分に合っていそうだ。教育マンガは冊数が多く普通に買っていくと場所をとる。一度読めれば満足なものなので借りる本としてはちょうどよさそうだ。いろいろと試して自分に合う利用方法を探っていきたい。
同じ方向を物理的に向く
前職で働いていたとき、カンバンという方式でチームのタスクを管理していた。壁に大きな模造紙が貼られており、そこにタスクを書き出した付箋が貼られる。左から「やること」「進行中」「完了」とレーンが分けられており、開発の状況にあわせて付箋が右に移動していく。そこを見れば今何を作っているか分かる、タスク管理の優れた方法だ。
模造紙と付箋のアナログな運用には面倒な部分がある。例えばリモートで働く人だと更新できない、遠くの会議室で打ち合わせするときに持っていくのが大変、タスクが増えてきたときに付箋や模造紙のスペースが不足するなど。こうした問題を解決するためにデジタルのツールが選ばれる。オンラインでカンバンをつくり、そこでタスクを管理する。インターネット上ならどこからでもアクセスできるし、スペースは無限だ。
しかしデジタルで運用していると物足りなさを感じる。それが何か突き詰めていくと、「一緒に同じ問題に立ち向かっている感」が足りてないのではないかと思う。壁に貼られた模造紙をみるとき、メンバーは全員壁の方を向いている。これは物理的に同じ方向を向くことになり、「自分たち v.s. 解決すべき課題」の構図がつくられる。デジタルの場合は各々の画面を見る。自分の仕事には集中できるが、一丸となる感覚は少ない。
家族の食卓でも、向かい合って座るよりも横並び、あるいは90度の位置で座る方がケンカが少なくなるという話がある。向かい合っていると対立構造のようだが、横並びなら同じチームのように感じられる。物理的な配置は捉え方や考え方に影響している。
模造紙の好きだった点として、いつでも壁にあって通りがかりに目に入ることがある。トイレに行くときやランチの帰りに自然と目に入る。通路を歩く他チームの人に何をしているかちょっとだけ知ってもらえる。この体験はリモートワークでは置き換えられていない。開発状況を可視化したダッシュボードはオンラインで作れるが、それは各メンバーが意識的に見る必要がある。模造紙のように、あちらから少しだけメッセージを発してくれるような方法はまだない。
タスクが完了したときは付箋を物理的に動かすが、それは小さな達成感を感じるタイミングになる。今はフルリモートの環境で働いているが、紙に今日やることを書き出して終わったらそれを打ち消し線で消していっている。仕事は毎日続く。ゴールのないマラソンは精神的に負荷が高いので、一歩ずつ前進している感覚を掴むことは大切だ。
日記を朝に書く
なんとなく日記は夜に書くイメージがある。小学生のときの夏休みの宿題は、その日に起きた出来事を振り返って書く絵日記だった。起こったことを書くスタイルでは夜にしか書けない。
最近は朝に日記を書くのが良い気がしている。夜に書くとその日起きた出来事が中心になるのに対し、朝は自分の心の中の大切なことついて描写できる。しんどいことや辛いことがあっても、夜寝れば忘れられることもある。朝起きてもまだ引きずっているものがあれば、それは自分にとって大事なことなのでちゃんと向き合う。
日記を書く効用はいろいろな本で書かれている。バイブルの一冊である「ずっとやりたかったことを、やりなさい。」では、モーニングページという毎朝脳内を書き出す習慣を推奨している。思ったことをただそのまま書き出す。誰かに見せるものではなく、自分の関心や恐れをただ文字にする。これが想像以上に心を楽にしてくれる。
星野源も「いのちの車窓から 2」の中で同じことを言っている。抱えているモヤモヤを、コンプラ的に完全にアウトなことを、頭の中をそのままA4の紙に書き殴り、書き終わった途端にシュレッダーにかける。うまく書く必要はなくてただ書く。「言いすぎたな」と思ったら「言いすぎた」と書く。言動に注目が集まる有名人なら尚更抱えるものも多いだろう。自由に吐いて捨てる場所が心の健康には必要だ。
日記の効用について書かれた素晴らしい本が「さみしい夜にはペンを持て」だ。この本が素晴らしいのはストーリー調になっており、子供や普段本を読まない人でも気軽に手を取れる点。著者は13歳に向けて書いたと言っているらしい。最初こそストーリーの比重が高すぎる気がしたものの、十数ページ読み進める頃にはその世界に入り込み、頷きながら最後まで読めた。SNSが隆盛してどうしても他人を気にしてしまう時代だが、その中で自分と向き合い、自分を大切にする方法を教えてくれる。
自分の内面を曝け出す日記は人に見せるものではない。むしろ人に見せないから本音を書けて、そこに意味がある。一方で個人の日記が出版されることも増えている。自分とは住む国も職種も違う人たちの日常を知ることは、それはそれで大変面白い。内向きの日記と外向きの日記。少し性質は違うがどちらも内面を書き出すことは共通している。