詳しくなくても趣味と言っていい
映画を観るのが好きだというと「好きな監督はいる?」と聞かれる。読書が好きだというと「誰の作品が好き?」と聞かれる。贔屓の作家がいるわけではないのでこういう質問には答えづらい。そして答えられない経験をする度に、あまり知らないし趣味とは言えないのかな〜と思っていた。最近は詳しいかどうかはあまり関係なく、ただ観たり読んだりするのが好きなだけで良いのだと思えるようになってきた。
好きな作家を聞かれても特にいない。でも特にいないと答えると会話が終わってしまうのでみんな好きそうな名前を挙げて反応を窺う。処世術ではあるが、こんなことばかりしてたら自分を見失う。自分が本当に好きなことより相手からの見え方を重視する思考になってしまう。
その作品自体が面白かったかどうか、どのシーンが好きだったかは言えるが、その作り手が誰かまでは把握していない。「あの作品の監督だよ」と言われると確かに似てるなという気がしてくるが、あまりその人の世界観を知ることに興味がないのかもしれない。自分の趣味と合う作り手を知ってればお気に入りの作品に出会う確率があがって良さそうだ。ただ、これまでの経験では同じ作者でも作品ごとに好きなものもあれば微妙だったものもある。
最近は冒頭のような質問にも答えられるようになった。会話が続きやすいボールを投げるのが上達したのもあるが、大人になっていろんなコンテンツを観ていく中でお気に入りの作品が増え、その共通項が見えやすくなった。YouTubeやXなどで他者の感想に触れる機会も多く自分の感情の言語化もしやすい。作り手にスポットライトを当てるトレンドもある。好きな作家は?と聞かれて困っていたのは、自分の感覚を適切に表現する言葉を知らなかったからかもしれない。
何が好きかはたくさんのモノに触れて初めて分かる。子供の頃は変に抽象化する必要はなく、自分が好きなものを一つ一つ集めれば良い。それがたくさん集まるとなんとなく重なる部分が見えてくる。それは作者であったり雰囲気であったり作品のテーマであったりするが、人によってグッとくるポイントは違う。「好きな作家は?」ではなく「印象に残ってる本や映画は?」と聞かれるなら答えられる。世間的な評価も業界のトレンドも関係なく、自分に響けばそれは名作。そう思えるようになるまでかなり長い時間がかかった。
子供の頃読んだ漫画はいつまでも面白い
SLAM DUNKやHUNTERxHUNTERなど自分が学生時代に読んだ漫画はいつまでも面白い。逆に鬼滅の刃やヒロアカなど最近の漫画はあまりハマれない。これは好みの変化もあるが思春期の影響も大きそうだ。
小学四年生の時にジャンプでONE PIECEの連載が始まり放課後よくキャラクターの名前の言い合いをして遊んでいた。大学生の頃はHUNTERxHUNTERやシュートの名言を引用して楽しんだ。多感な時期、自分の基礎が形成される頃に読んだ漫画には大きく影響を受ける。作品の面白さに加えて友達と共有できたというのも大きかったかもしれない。
最近はウェブ連載も増えて人気作品の数はとても増えた。面白いものもたくさんあるがかつてほどはハマれない。読書や個人開発など他に趣味ができて相対的に弱まっているのもあるかもしれない。小説と比べると漫画は一冊をすぐ読み終えてしまう。外出中に読むには何冊も持っていかないといけないし、ボリュームが嵩張るので家のスペースも取る。最新刊を買ってきて本棚に並べるのが好きだったが今は考えが変わってしまった。
鬼滅の刃が流行ったとき、ONE PIECEやBLEACHなどこれまで流行ってきた漫画のエッセンスが凝縮されてるなと感じた。でもこの感じ方は世代的なもので、おそらく上の世代はキン肉マンや聖闘士星矢で感じるのではないか。自分の血肉になったものでどうしても語ってしまう。
今でも紙で買ってるのは「アオアシ」と「ワールドトリガー」。アオアシは気合いじゃないサッカー漫画。高校サッカーではなくJリーグのユースが舞台で、田舎から出てきた主人公はチームに揉まれながら技術を身につける。ワールドトリガーは読むと仕事が上手くなるバトル漫画。宇宙人と戦うストーリーではあるが、個の力でなく組織やチーム戦略の比重が大きい。戦闘中の立ち回り、上層部に承認をもらうべく調整するシーンなどはサラリーマンに刺さる。
ここまで書いていて、漫画を読む時間が減ったのは学生の頃より漫画の話をする機会が減ってるからな気がしてきた。自分に合った漫画を見つけるのは意外と難しい。近しい友人が自分の知らない漫画で盛り上がってそれを読みたくなるようなタイミングが今の生活にはない。絵柄やストーリーからレコメンドする技術が発達したり、友人の読んでいる作品がわかるSNSなどが出てきたら解決されるかもしれない。期待して待ちたい。
褒める時はストレートに褒める
大学時代、受講者が週替わりでWebの技術について調べて発表する授業があった。自分は確かActionScriptというプログラミング言語の特徴について調べ、簡単なデモを交えながらみんなの前で紹介。授業の後に同じ受講者の一人から「一週間で準備した発表とは思えないね」と言われた。その時の自分の感情は「どっち?」である。
顔を見ると少し笑った顔だった。「一週間も準備してこの程度?」とも取れるし、「一週間でよくここまで準備できたね」とも取れる。「それはどっちの意味で?」と聞けばよかったかもしれないが関係性もそこまでなく当時はできなかった。なぜかこの時のことはよく思い出す。今考えてみると褒めてくれてたのかなと思うが、それならもっと分かりやすい言葉で褒めてほしい。疑念を持たせない必要はまったくない。
誰かを褒めるときはできるだけストレートに褒める。自分の思ってるすごいと思った点を並べて伝える。褒めてますよ、尊敬してますよ、それはすごいことですよ、と態度や表情でも表現する。混じりっ気なしの賛辞を相手に送る。そんなことを意識している。
会社のチャットにはGoodworkチャンネルというものがあり、社内メンバーの良い仕事がそこに流れてくる。チャットには「Goodwork!」スタンプが用意されていて誰でも利用できる。そのスタンプがつけられた投稿がGoodworkチャンネルに流れてくるという仕組みだ。会社に関わる人数が増えると他の人が何をしているか見えづらくなってくる。いろんな人たちの活躍が可視化されるこのチャンネルは面白い。
褒める時は人前で褒める。周りに認められると仕事がしやすくなり、さらに成果が出しやすくなる正の循環が回る。注意する時はこっそりと注意する。フィードバックは本人に届けばよく、周りに人がいると無駄に状況を複雑にしてしまう。人が多数いると空気を読んでしまったり見栄を張ったりしてしまい、素直なやり取りが難しくなる。人前で叱りつけるのはやってはいけない。フィードバックだと前向きに捉えられる人もいるが、そうでない人もいる。自尊心を欠いて良い仕事はできない。
「No No Girls」が面白い
最近No No Girlsというオーディション番組を観ている。女性グループのオーディションで、プロデューサーはちゃんみな。「No」と否定されてきた、痛みを抱えた人たちが参加する。ちゃんみなは体型や容姿ではなく歌やダンスの表現で選考する。
ちゃんみな自身も元々ガールズグループを目指していたらしく、オーディションに参加しては落とされるのを18回繰り返してきたらしい。結局今は個のアーティストとして成功しているが、Noを突きつけられてきた時期の苦しさはよく知っている。オーディション番組は厳しくジャッジされるものが多いようだが、ちゃんみなのかける言葉はどれも優しい。努力を認め、才能を引き出してくれる。オーディションなので途中で脱落する人もいるのだが、そういった人たちにも落ちた理由を誠実に伝え、今後どうしていくべきかの相談にも乗る。オープンで誠実な態度に学ぶポイントが多々ある。
審査ではダンスの振り付けを作ったり自分たちで歌詞を書いたり、実際の曲づくりの過程が見れて面白い。参加者のレベルはとても高くてパフォーマンスのたびに歌もダンスも感動する。素人の自分目線だとこれでなぜ今まで落ちてきたのかと思ってしまうが、アイドルとして売り出すにはスキルだけではない部分もあるのだろう。オーディションに落ちてきた経験、君には無理だと言われた経験は心に突き刺さっていて中々抜けない。スキルが高くても自信を持てず、自身を愛せない。そんな参加者たちにちゃんみなは「自分のやってきたことを自分が肯定する」大事さを説く。今ある歌やダンスのスキルは頑張ってきた成果。過去の自分に中指を立ててはいけない。
ちゃんみなの見抜く力にも感銘を受ける。歌やダンスの表現の部分はもちろん、日常的なストイックさが足りないとか、表現の幅が狭いのでもっといろんな音楽を聴いた方が良いとか、一人一人をよくみて気づいた点を言語化してフィードバックする。自分が特に好きなのは「自由になるには一度型にはまらないといけない」という言葉。自分のやりたいスタイルにこだわるあまりアドバイスを取り入れづらくなっていた参加者にかけた言葉だが、どの道でもいえる真理だと思う。やりたいことをやる、自由に表現するためには一度型にハマる必要がある。そしてこれはSKY-HIが言ったものだが「自分の輪郭を塗りつぶす作業が必要」という言葉。自分はこれ、と決めつけず色々な曲を聴き表現にチャレンジする。これはしっくりくる、これは違うと振り分けるうちに自分らしさの輪郭が見つかる。それは思っていたよりも大きいかもしれない。この作業をせずに自分を固めてしまうのは勿体無い。
いま5次選考で次が最終審査。ここまで残った人はさすがにみなレベルが高い。楽曲発表は毎回ワクワクさせられる。毎週金曜に配信でYouTubeで見れるので、興味があればぜひ見てください。
誰もが「新しい時代が来た」と言いたがる
IoT、ブロックチェーン、AI、DX。いつでも誰かが「新しい時代が来る」と言い、常に革新が起きるとされている。
「逆・タイムマシン経営論 近過去の歴史に学ぶ経営知」を読んだ。最近ハマってる楠さんの本で、その時々の流説に惑わされず本質を見極めるための指南書。「DXで時代は変わる」「AIについていけないと終わる」などの煽るような言説がどの時代にもあるが、それはそういうことで得するプレイヤーがいるから。例えばメディアは大げさに言って注意を引く必要がある。投資家は激動の時代にして変化率を高め自分たちの投資のリターンを大きく跳ねさせる必要がある。この本では過去にもてはやされた説を振り返りつつ、その正体を時代背景と合わせてひとつずつ紐解いていく。
何かのブームが起きるとき、必ず成功事例と共に流布される。セブンイレブンやヤマト運輸はITをうまく活用して他社と差をつけた。これを見てウチもITだ!としても中々上手くいかない。企業には文化や環境の土台があり、そこに馴染まないものを持ってきても花開かない。セブンイレブンやヤマト運輸は「IT化」のトレンドが来る前から情報をうまく使うことを戦略としていた。戦略が先、ITが後。どんなトレンドもそれ自体が本質になることはなく、企業が目指している目的に辿り着くための手段に過ぎない。
先に文脈があり後から名前がつけられる、というのでいつも思い出す例がある。前職のヤフーには1on1という文化があり、これは上司と部下が定期的に話をする場を設けるというもの。上司は教えるというよりは部下の話を聞くことにフォーカスし、本人の中にあるものを引き出すことで能力を発揮させる組織開発の手法のひとつだ。私が入社した時はまだ1on1という言葉はなかったが、それをすでに実践している先輩がいた。部下の話を聞くことが大事だと思っているからやる。それに後から1on1という名前がつけられる。ワードになることで体系化されたり人に伝えやすくなったりはするかもしれないが、その本質は変わらない。
本の話に戻ると、他にもいろいろと面白い内容が紹介されている。サブスクという言葉は2018年頃からのもので歴史が浅く、普及にはスマートフォンによる決済の簡易化の影響が大きい。現代は「人口減」が問題と言われているが、少し過去には「人口増」が問題とされていて様々な対策が打たれていた、など。最近は毎日「AIが世界を変える」と言われ続けてもうよくわからなくなっている。革新はある日突然起こるものではなく連続的に少しずつ変わる。情報に踊らされることなく、自分で考えたり試したりして地に足をつけて一歩ずつ進みたい。