南場さんの講演を読んだ
DeNAの創業者で現在は会長の南場さん。AI時代の戦い方についての講演を読んだがとても面白かった。近い将来のAIシフトを分かっていながら、参加しているプレイヤーがとても少ないというのは自分も感じるところ。DeNAは既存事業に割く人数を半分にして残り半分をAI領域にフォーカスするらしい。この規模の会社でそこまで割り切れたら強い。
南場さんの言葉は心に素直に入ってくる。著書の「不恰好経営」にDeNA創業時の一枚の写真が掲載されており、「技術」「ユーザー」「お金」など、異なる軸を好きなメンバーが集まってひとつのサービスを作ったという。スキルや情熱がぶつかりあって良いものが生まれる瞬間はいつでも美しい。
新卒何年目かの頃、いろいろ周りも見えてきて社内の評価制度について少し思うことがあった。そんなとき出会ったのが「コトに向かう力」(これも講演の書き起こし)で、ヒトではなくコトに向かうことの大切さ、シンプルさ、楽しさなどを教えてもらった。周りの評価ではなく自分で意義を感じられるか。人との比較より目の前のことを前進させられたかというのは自分のなかのテーマとしてあって、それはこのスピーチの影響を少なからず受けている。
AI時代はリスクもあるがチャンスもある。個人や少人数のチームとしてはアプリケーションレイヤーは狙い目で、多種多様のユーザーの課題は大手資本が一気に解決するよりももう少し細かい。AppStoreに各ジャンルのアプリが並ぶように、各領域に特化した使いやすいアプリケーションが生き残っていく形になる。
確信度が結果に作用する
仕事ではプロダクトマネージャーという役割をやっていて、次に作る機能の優先度をつけたりしている。優先度決めは難しい。自分たちの作りたい機能、お客さんから求められている機能、不具合修正など、属性の違うものを比べてひとつの軸にのせる作業。プロダクトマネージャー界でもよく議論されており、「こうやって分けるといいですよ」のフレームワークをいろんな人が考案していたりする。
フレームワークは各アイテムにスコアをつけて同じ平面上に置いていく。スコアを求める算出式があり、例えば対象となるユーザーの数や開発にかかる工数などがあり、掛け算して出たスコアを使って優先度の根拠としましょうということだ。さて、この数式の中に「確度」という採点基準がある。これは仮説の確からしさを表しており、「これまでの経験からこれはいける」と「よくわからないけど直感がそう言っている」ではスコアには差がつくべき。Webサービス開発では「作ったけどそれを欲しい人は誰もいませんでした」がよくある。事前のインタビューや調査で確度を高めることを意識させる基準となっている。
確度は確信度とも言い換えられるが、普段の行動でも確信度によって結果が変わることがある。「この資料作る意味ないでしょ」と思いながらスライドを作っていても良いものは出来にくい。「これは本当に必要なものだ」と思えれば頑張れる(最近よく聞く納得感はこれ)。他にも尊敬してない人からのアドバイスは受け入れがたいし、誰が使うか不明な機能を作り込むのは相当エネルギーを消耗する。昔読んだ本に結果とはスキルとモチベーションの掛け算だという式が出てきたが、モチベーションを分解した中にこの確信度が含まれていそうだ。
プライドに自覚的になる
仕事の話をしていて指摘されたくないと思ったり、なんとなく言及を避けている部分に自分のプライドが隠れている。一個人としては触れてほしくない部分はあってもよいが、仕事は割り切ってなんでもオーケーというスタンスに近づけたい。日本人は議論が下手で反論を自分への個人攻撃と捉えてしまうという話があるが、これは数をこなして慣れていくしかないと思っている。
プライドがあって良いことはない。何か壁に当たったとき、プライドは自分の心を折る方向に加速させてしまう。自尊心、誇りはないほど身軽で良い。個人の信念、ポリシーはあって良い。それは自分のなかの決め事で、「こういう人間でありたい」という思いはしんどい時の拠り所になってくれる。プライドと信念は似ているようで違うもの。
プライドの種を見つけたらその場でほぐして解き放ちたい。荷物は少ないほど身軽に動ける。強靭な壁をつくってもいつかは壊れる。そもそも壁がなければ壊れることもない。
役所手続き
役所手続きが苦手すぎる。ここ最近一年に一回くらい引っ越しており、マイナンバーの追記欄に新しい住所が入らなくなって再発行することになった。最初にマイナンバーを作るときも思ったが、パスワードを紙に書かされる運用にとても抵抗がある。できるだけ周りの人から見えないよう素早く記載するも予備としてその紙をコピーしたものを最後に渡される。自分でメモってるから必要ないし、不要にデジタルコピー機に通すのはやめていただきたい。一日お休みをもらっていたのがほぼ潰れる形となり少し悲しい気持ち。
壁に貼られていたポスターにはマイナンバーの登場で仕事がこんなに楽になる!というビフォーアフターのイラストが描かれていた。ビフォー側に「書類がたくさんで手続きが大変・・」とあり、マイナンバー持ってるけど今この状態やん、と心の中でツッコミを入れながら帰宅。普段は些細なことに気づけるよう心のアンテナを立てたいと思っているが、こういう作業系の手続きはある程度気持ちをオフにして淡々とすることが大事かもしれない。冷静に考えれば書類数枚書いて数時間待つだけで苦しいことはさほどない。苦手をゼロにするのは難しいので、エネルギーを消耗しないようにできるだけ省エネしてやり過ごすことも必要だ。
上達してくると自分に足りない部分が見えてくる
劇場版の「ミステリと言う勿れ」を観たが、菅田将暉演じる久能くんが「上達してくると目が肥えて自分のできないところが見えるようになる。そこで残念に思ってやめる人が多いが、目が肥えてきたんだから本当は成長のチャンス」と言っていた。
子供の頃は絵を描くのが好きで、キャラクターの絵を紙に書いたりしてよく遊んでいた。小学校の高学年になる頃から周りの子の方が絵が上手だと分かるようになりそこからトーンダウン。中学の美術の授業で嫌な経験をしたのもあり、絵からは遠く離れてしまった。以前読んだ本によるとこれは多くの子供が経験してることらしく、子供の頃はみんな絵を描くのが好きでクレヨンで適当に色を塗るだけで十分楽しい。それが知覚能力が発達してくると自分の描いた絵が現実の物と全然違うことを理解できるようになり、そこで興味を失ってしまうらしい。まさにこのパターンを踏んだ自分だが、大学生や社会人になってからも絵がうまい友人を見るたびに羨ましく思っており、そういう思いが溢れて「お絵かきコラボ」というアプリを作ったりもした。
エンジニアになった当初、プログラミングができるようになるのが嬉しくていろんなアプリを作った。思いついたものを作ってリリースする。自分しか使わないアプリであっても作る過程が楽しいので十分満足できた。そこから色々と優れたサービスを使っていると、コンセプトや見た目のデザイン、使い心地など自分のなかの基準があがり中途半端なものを作れなくなってきた。本当にそのコンセプトで良いのか、対象のユーザーは市場にいるのか。アイデアを洗練する観点としては良いが、考えて作るだけで面白いというものづくりの純粋なモチベーションは忘れずにしたい。