「DIE WITH ZERO」を読んだ

2025/03/18

DIE WITH ZERO」を読んだ。お金を貯める節約術ではなく、死ぬまでにちゃんと「使い切る」ことに焦点を当てた本。売れすぎて逆に手が伸びなくなっていたが、長時間移動する機会があり空港の本屋で購入。パラパラと機内で楽しく読んだ。

まず根本として死んだらお金はもう使えない。ならば死ぬまでにすべて使い切ることが良い使い方だ、というのが著者のメッセージ。実際死ぬ間際に「もっと働きたかった」と後悔する人はいない。年齢を重ねると身体の健康的にできないことも増えるし、気持ちとしても20代・30代の頃ほど活発に動く気が湧いてこなくなる。お金をひたすら貯めるのではなく適度に使って思い出を作る。思い出は何度思い返しても楽しい。そういう経験のためなら喜んでお金を使うべきだと続く。

お金を使うといっても浪費すれば良いわけではない。必要なのは経験を買うこと。それも「その時々に相応しい経験」を積む。ユースホステルで見知らぬ誰かと一緒に泊まるのは、若い頃であれば良い経験だが、高齢になってからでは中々楽しめない。その時にしかできないことがある。自分にとって必要だと思えば動くべきである。とはいえ、老後にも生活があるのでそれは計画に入れておくべき。著者の見立てでは「毎年の生活費 × 寿命までの残りの年数 × 70%」があれば十分とのこと。これは運用して資産をある程度増やせることが考慮に入れられている。

一番面白かったのは子供への相続の話。よくあるのは死後に遺産を相続することだが、これでは子供が50〜60代になっておりタイミングが遅すぎる。お金の価値を最も享受できるのは25〜35歳。そうであれば子供がその年齢になったときに生前贈与する。自分が老後に必要な金額を把握し、それ以外は次の世代に渡してしまう。お金は便利だが増やし続けることが必ずしも幸福ではない。自分にとって何が価値あることなのかを見極め、お金をうまく使えるようになっていきたい。


週に一度はパソコンから離れる日を作る

2025/03/17

平日は仕事をしていて趣味では個人開発をしている。そんな生活を送っていると毎日パソコンを触るのが基本になるが最近これだと良くない気がしてきた。まず日々が連続しすぎてゆとりがない。ひとつやることが終わっても次にやることがあり、ずっと何かを考えている状態になる。そうなると目の前のことを常にやるので視野が狭くなる。頑張って実装したものが実は不要だったり、もっとシンプルに実現できることに気づかなかったりする。これはマズいと思い、パソコンから離れるオフデーを作ってみている。

休日はカフェなどに行くのが好きだが、パソコンを持っているとつい作業できそうな場所を選んでしまっていた。WiFiはあるか、電源はあるか、長居しても良い雰囲気かなど、いろいろな面を考慮すると条件はなかなか厳しく結局いつも通りの場所に落ち着いたらする。本当は新しい場所を開拓したい。パソコンを家に置いて出かけるようになってからは本当に行きたいカフェに入れるようになった。ノートに文字を書いて考え事を整理したり、本を読んだりしていてかなり落ち着ける時間になっている。

マインドフルネスは数分の間、自分の呼吸だけに集中することで「何もしない」時間を作る。頭の中を一度クリアにするのに良い方法だと思うが、それのパソコン作業版といえるだろうか。仕事でも個人開発でもWebサービスづくりには終わりがないと言われている。長いマラソンを走るために、自分なりにひと息つく方法は確立していきたい。


仕事を俯瞰してゲームにする

2025/03/16

楽しい苦しいは事象そのものではなく自分の捉え方で決まる。実際はどうにも受け入れ難い出来事もあるが、それでも自分の捉え方次第だと考えれば少しは前向きになれる。仕事も時には自分の苦手なことをしないといけないが、工夫次第で楽しむことはできる。

前職で大企業で働いていたとき、あるサービスのアカウントの棚卸しをする必要があった。作業としては1000くらいあるアカウントリストを上から見ていき、各アカウントに必要な権限をポチポチつけていくというもの。その仕事自体は必要だが時間がかかり、単純作業を繰り返すのは苦手なタスクでうんうん悩みながら進めていた。

その時先輩が現れ、やらないといけないことは変わらないのでやり方を工夫しようと声をかけてくれた。先輩の案としては手動で1000件操作するのをやめ、それを自動化するプログラムをJavaScriptで書こうというもの。これならJavaScriptのスキルも高まり、退屈だった時間が勉強の時間に変換できる。この考え方に感銘を受けて実装。スキルもそうだが、何より自分にとって意味があると前向きに仕事と向き合えたのが大きかったと思う。この時の出来事は定期的に思い出す。

ちなみにその数年後、健康診断でバリウムを受けるのが嫌なことを同僚と話しているとその先輩がまた現れ、「バリウムは唯一自分も体を動かす検査項目で、アトラクションみたいで楽しいですよ」と言って去っていった。実際にはバリウムがすごく楽しいわけではないと思うが、この言葉をかけられてから何だかバリウムだけは好きな検査になっている。

人生で起こることをすべてコントロールすることはできない。やるだけのことはやって、偶発的に起きる事象には何とか工夫して楽しみを見出せるように構えたい。


「疲れたこころの処方箋」を読んだ

2025/03/15

疲れたこころの処方箋」という本を読んだ。著者は韓国の僧侶の方で、内容はエッセイとフレーズ集が入り混じる構成。人生の辛い場面をどう乗り越えるか、どう心を前向きに保つかなど、答えのないテーマをいろいろな言葉とともに考える一冊。

例えば「成功」の測り方。世の中の名声からではなく夜どれだけぐっすり眠れるかを指標にする。世にいう成功者も何かに焦り、追われている人は多い。何かを達成することではなく、存在そのものに価値を置くと人生を楽しめる。

人を助けるのは素晴らしいことだが、自分に原因がある場合を除いてその人の悩みを自分が全て解決するのは難しい。最初は善意から動いても、完璧な結果を求めすぎると辛くなって両者の関係を悪くしてしまうこともある。

シンプルに過ごす秘訣は「人が自分をどう思うか聞かない」こと。周りにどう見られているかではなく自分に集中する。会社にはよく360度評価という手法があり、これは定期的に近しい同僚から自分の仕事ぶりにフィードバックしてもらうというもの。人からの見え方を知るという意味では同じだが、仕事のスキルは客観的な目線をもらって市場で評価される形に高めておくと有利に働く。誰と誰が険悪だとか、そういう話は避ける。相談されていない外野が介入してうまく行くことはない。


小確幸、あるいはSBCHという言葉があるらしい

2025/03/14

最近読んだ「疲れたこころの処方箋」という本で知ったが、SBCHという言葉があるらしい。これは「small but certain happiness」の略で、「小さくはあるが確固たる幸せ」と意味する。小確幸も同じ意味だがこれは村上春樹が作った略語らしい。大成功を求めるより日常のささやかな幸せを求める動きがある。

幸せとは何か?それは状態。朝に飲む一杯のコーヒーでも、作業として飲むのと香りや味を堪能するのでは意味が違う。同じ事象があったとき、それに苦しみ続ける人とそうでない人がいる。事象や出来事それ自体は苦しみではなく、それと向き合う人の心が苦しみを生む。自分の捉え方ひとつというと言い過ぎかもしれないが、考え方を変えれば多少は痛みもマシになる。

幸せになるには他人との比較をやめること。スキル、給与、趣味、家族などを比べて良いことはひとつもない。比較しないために自分の好きなことを見つける。自分の拠り所がないと他人の物差しを借りて価値を測ることになる。そのフィールドは大勢の人がいるので狭くて動きづらい。自分の大切なものが何か分かればそこに夢中になれるので自然と人と比べる時間が減っていく。

自分の好きなことを見つけるには一人でいること。自分の心の声に耳を傾けて、気になるものや興味があるものに触れたり、自分なりの意見を考えたりする。どれだけ近しい家族や友人でも自分を完全に理解してもらうことはできない。なので人には話さず自分で考える。周囲との協調が求められる場面では折り合いをつけてまったく問題ない。自分なりの意見を一度考えたというのが自分を知る一歩になっていく。