「会社という迷宮」を読んだ

2024/09/01

会社という迷宮」を読んだ。コンサルとして経験を積んできた著者が「会社」の本質に迫る一冊。いわゆる会社論とは違い、「コンサルではこう言ってるけど本当は〜」みたいな記述が多く、どれも芯を喰っていて唸らされる。私は数年前に転職し、それからはスタートアップの経営チームとしても仕事してきた。エンジニアという枠を超え会社の成長を考えていくなかで、市場調査であったり競合比較であったりは多少経験を積んだが、その過程でずっとあったモヤモヤをこの本は言語化してくれている。

例えば利益についての一文。

「利益」という場所から意識が出発すると、つまるところそれは「差」、言い換えると他者との相対的関係においてしか捉えられないものとなる。それを競争と呼ぶ。しかし、それはどこまで行っても、相対的なものであり続ける。問題になるのは、自ら定めた目標との距離ではなく、競争相手との相対的な距離である。もし、会社が自ら航海の行き先と定める独自の価値を持たないならば、航海の羅針盤は競争相手との相対的位置関係だけになる。

スタートアップ界隈には「T2D3」という言葉があり、TはTriple、DはDoubleを意味する。つまり今後の5年で、最初の2年はTriple(3倍成長)、次の3年はDouble(2倍成長)するという意味である。スタートアップにはこれぐらいの急成長が必要という指標みたいなもので、これを参考に計画を立てたりもした。しかしこれは「急成長します」以外の何も語っておらず、会社が何をするのか、どういう課題を解決していくのかには当然ながら何も触れていない。会社というのは成し遂げたいことがあったから立ち上げられたもののはずで、そのビジョン(上の文でいう独自の価値)をもっと大事にしなければならないはず。

さらにもうひとつ紹介。

可視化できないものまでなんでも可視化して説明しようとする習いが行きすぎれば、逆に対象を見える範囲に限定する視野狭窄となり、結果的にものごと自体を矮小化してしまう。

(中略)

何が正しい経営判断であるかは、論理や計算で客観的に決まるのではなく、第一義的には、視座をどこに据えるかで主観的に決まるものである。

KPI至上主義では目標を因数分解し、それぞれの数値を達成することで会社の成長を押し上げる。これは現在のビジネスではかなり一般的な考え方だと思うが、やってみるとデザインやブランディングなどの曖昧さを含むものはどの数字に効くかを考えづらい。数字で成果を測るには定量化が必要だが、「使い心地が良い」や「デザインが整っていてユーザーへの負担が少ない」といった内容は定量化がとても難しい(継続率や満足率に関連づけられることが多いが実際はもっと全体的に作用している)。大事なのはデザインの効果を数値化することではなく、良いデザインこそがコアだと信じること。数字で測れない曖昧さを認めながら、「私はこれを信じる会社にしたい」と決めて宣言することだと思う。

数字を信じる会社は、それも一つの正解。ただ、世の中で言われてるから数字で測った方が良さそう、みたいな態度ではKPIのジレンマに苦しむことになり、強いチームは作りづらい。多くの人数が所属する組織では、目標数字を掲げて各々に自走してもらうマネージメントがフィットすることも理解はしているので、感性や価値観を大事にしつつ数字を使っていくバランスが求められるのかなと思う。

最後にもうひとつ。

川岸まで近寄り、川を挟んで投資家と対話するはずが、無意識に自分も川を渡ってしまったのである。経営者の意識と目線に、株主や投資家が憑依してしまったということである。

(中略)

投資のリスクとリターンの観点でポートフォリオを考えるのは、投資家の仕事であって、経営者の仕事ではない。

将来を語るときに市場とかビジネスモデルとか競合優位性とかの話になってしまうが、本質は何を解決したいか。売れるから価値があるではなく、価値があると思うことに取り組む一人称的な取り組みが会社のコア。サラリーマンではあるが経営チームに身を置くものとして、この本に書かれていることは何度も思い返すことになりそうです。


1on1の思い出

2024/08/31

新卒で入った会社では、そのシーズンで評価が高いと副社長から声がかかって1on1できるというのがあった。自分も運良く一度だけ1on1の機会をもらったことがある。

数日前に何を話すか考え、あることを聞いてみることにした。Webサービスの開発過程では、開発を滑らかにするためにいろいろなツールを利用する。当時社内ではそれらのツールを内製する傾向があった。内製は自社のデータ流出を防ぐのには有効な一方で、世の中に出ているベストなツールを使う機会が損なわれる。一方は市場で生き残るために切磋琢磨してアップデートし、ユーザーの支持を得て生き残ったツール。もう一方は社内利用に閉じ、ある期間のプロジェクトとしてメンバーが割り当てられて開発されたツール。この競争力の差は思った以上にデカい。

外の世界との分断もある。エンジニアは勉強会などを自主開催して社外のエンジニアと交流する文化があるが、そこではツールの使い方など具体的な知識がやり取りされたりする。そのとき自社ツールしか使ったことがないと深い話に参加しづらい。また、当たり前だがググっても情報がない。社内ドキュメントはかなりまとめてくれていたと思うが、ユーザーが使ってみて感想を書いた記事とか、いろんな角度からのチュートリアルの記事はない。ここらへんは微妙に歯痒いところだった。せっかくの機会なので、こういうモヤモヤを聞いてみることにした。

1on1の場でそれを伝えると、その意見は受け止められた上で具体的にツールのどこが使いづらいかを聞かれた。自分がいくつか列挙すると、「ありがとう。その内容は部署にフィードバックしておく。もし君が今後そういうツールを作る立場になったら、品質にこだわったものづくりをしてね」と言われた。この言葉はなんとなくずっと心に留まっており、何かにコメントをするときは自分もプロの仕事ができているかを自問するようになった。代案がなくてもコメントはして良いと思っているが、批判する前に立ち止まって自分の仕事を振り返るのは意味がある。

こうして書いていると自分の聞いたことへのストレートな回答をもらってない気がするが(内製文化の是非)、自分の仕事を鑑みる機会となったのが印象に残っていて他は忘れているだけかもしれない。今後何をしていきたいか聞かれ、大人数のチームのリーダーとかではなく仲良い数人で楽しくものづくりをしたいと答えたら、「それなら技術力を磨いていくといいね」と言われる。副社長としての回答というよりはWeb業界で経験を積んできた一人のアドバイスという感じがして、立場があってもフラットに接するのはすごいな、などと感じた覚えがある。

大企業で良い仕事をするには二つ上の職位の立場から考えると良いという説がある(メンバーなら部長目線で考える)。この説は一理あると思って支持しているが、経営陣くらいになると日常で接するシーンはほぼなく、何を考えているか想像することは難しい。1on1に限らず対話の話として、いろんな立場・職種の人と話す場があるのは長期的にはとても良いことがあると振り返ってみて思った。


ちょっとできた時間の過ごし方

2024/08/30

ちょっと時間ができたな、という時がある。待ち合わせに5分早く着いたとか、電車が遅延して10分くらいホームで待つ必要があるとか。こういうとき、「その時間よりも長くかかることをやる」ようにしている。

例えば電車遅延で10分時間ができたら、10分では読み終わらないような本を開いて読み始める。そうすると没頭して読んでいるうちにあっという間に10分が過ぎる。もうちょっとこのまま読みたかったな、と惜しみながら本を閉じることになる。逆にXのタイムラインを見たりとか、すぐに終えられることで時間を過ごす10分がとても長く感じてしまう。遅延の時間が伸びた場合、適当に過ごしていると時間を損した気分になるが、本を読んでいればもう少し長く読めることをラッキーだと考えられる。読書じゃなくて英単語の勉強でも、気になる何かを調べるのでも、YouTubeで動画を観るのでもいい。なんでも良いが、すぐに頭を切り替えて没頭状態に入れる何かを持っているとスキマ時間をボーナスタイムのように感じられる。

最近6時間くらい飛行機に乗った。閉所でじっとしているのに苦手意識があったが、読みたかった本を2冊、観たかった映画とドラマをiPadに入れて臨んだところ、それらに没頭していたらすぐに飛行機が着いた。6時間も我慢するのが嫌だなではなく、6時間をどう分配しようか考える思考になった。急に時間ができたり苦手意識があるものはなかなか変えられないが、それを前向きに捉えられる仕組みを考えていきたいと思っています。


iPhoneを能動的に使う

2024/08/29

スマホ依存から脱するべく、iPhoneの通知をすべてオフにしている。正確には通話とLINEだけ通知を許可しているが、他のアプリはすべて通知オフ。スマホに注意を取られないようにしている。

一説によるとスマホが視界に入った状態で作業すると集中力が30%ほど落ちるらしい。通知で画面が光った場合はもちろん、それ以外の時もスマホのデバイスが視界に入っているだけで注意を取られてしまう。Apple Watchがはじめて発売されたとき、Appleファンの自分も購入し、腕に巻いた。Apple WatchはiPhoneと連動して動作し、通知が来るとウォッチがブブッと振動して教えてくれる。腕がノックされると体の反射として必ず注意が取られるが、食事中やミーティング中に何度も腕がノックされてかなり煩わしかったのを覚えている。結局Apple Watchはその初代以降買っていない。

アプリの通知をオフにし、気になるタイミングで自分でアプリを開いて確認するようにしてからは集中力を取り戻せた。スマホでつい触ってしまう代表格はX(Twitter)だが、Xのアプリも消した。投稿や知人の投稿を見たいときはブラウザからアクセスしているが、それもControl Panel for TwitterというSafari拡張を入れて、おすすめタブやトレンドを非表示にカスタマイズしている。この運用にしてからXを触る時間をかなり抑えられたと思う。

最近のiOSではアプリを残したままホーム画面から非表示にできる。ほとんど使わないけど、たまに必要系のアプリはすべて非表示にする。YouTubeなど、よく使っているため体が覚えて無意識に開いてしまうアプリがある。そんな時はホーム画面のアプリの位置を入れ替えて、その場所に日経電子版やKindleやなどその時間で代わりにやりたいことを置く。便利すぎてスマホからはもう逃れられないが、できるだけ能動的に使うことを意識したい。


英語

2024/08/28

1週間ほど仕事を休んでフィリピンに行ってきた。旅行中、英語について自分の中での変化を感じたので書いておく。

長い期間、英語を話すことに苦手意識を感じていた。よく覚えている場面は二つあって、一つは大学生のとき。大学のサービスで、昼休みにこの教室にいくとネイティブのスタッフと英会話できますよ、みたいな仕組みがあり、それに友人と参加した。30分くらいの間ほぼ喋れず、いくつかの言葉を捻り出すもスタッフから「喋るのが遅すぎておばあちゃんと話してるみたい」と言われた(今となっては友人と思い出して笑う対象になっているが当時は凹んだ)。

二つ目は社会人になってからで、出張でサンフランシスコに行ったとき。街中を船で移動する必要があって、次の船は何時?というシンプルな質問を聞けなかった。難しい単語や文法が登場する会話でもなく、たぶん「Next Ship?」とか言えば意図を汲んで教えてもらえたと思う。たぶん質問して応えてもらったときに聞き取れないのが怖くて聞けなかった。これが大体10年前のこと。

今回のフィリピン旅で、英語への抵抗がかなり薄らいでいることに気づいた。例えばホテルの部屋の空調の調子が悪いことをフロントに電話して修理をお願いする。カフェでコーヒーを頼むときにカフェインレスのものがあるか聞いて変更する。説明に分からない部分があったら有耶無耶にせず聞き返す、など。以前なら諦めたり我慢してたりしてた場面で、普通にというか、会話できるようになったことに成長を感じる。

この英語へのマインド面の変化がどこで起きたかというと、5年ほど前に行ったカナダ・バンクーバーでの体験がデカい。バンクーバーは一年の多くが雨で、「レインクーバー」と揶揄されるくらい雨がよく降る。それを知らずに計画していたプランは雨でほぼ崩れ、特にやることがないまま2-3日をホテル周辺で過ごした。さすがに暇すぎると感じて飛び込んだのが現地の英会話レッスン。カフェの一角で行われたこのレッスンは主催者の先生が6人の生徒に順に話を振っていく形式で、イディオムを学んだり、それを使って自分の体験を話したりなどを1時間ほど行った。生徒は日本人は自分だけで、他にはメキシコなど中南米の人が多かったように思う。そこで衝撃的だったのは、なんとこの生徒達のなかで自分が一番英語を喋れたということである。それまで「日本人は英語が苦手」というイメージにより、海外では通用しないんじゃないかという恐怖を常に抱いていた。でも第二言語として英語を話す人たちはみな英語を勉強して話していて、その立場は自分とまったく同じことにこの時初めて気づいた。みんなで英語を勉強しているなら間違うことを恐れて喋らないんじゃなく、たくさん喋って間違いをフィードバックしてもらう方が良い。カフェからホテルへの帰り道、レッスンを思い返してテンションあがりながら帰ったことを覚えている。

海外登壇の準備でNativeCampをやりまくったり、コロナ禍で暇すぎてTOEICの勉強をしてたりと定期的に英語を勉強してきたのももちろんあるが、自分の原体験としてはこのバンクーバーの英会話教室がデカい。日本語だといろいろ緻密に表現できるところを、英語だと語彙が少ないので自然とシンプルな表現になるのも英会話の楽しいところ。久しぶりの海外旅行だったけどまた行きたいです。