目に触れたものについて考える時間が増える

2024/12/14

人は意識的に生きているようで受動的で、周りの環境に左右されやすい。コンサルとして有名な大前研一も「人間が変わる方法は3つしかない。時間配分を変える、住む場所を変える、付き合う人を変える」と言っている。「最も無意味なのは決意を新たにすることだ」とも。また別の人物は「まわりにいる5人の平均が自分」という。話し方、言葉遣い、趣味、年収、思考。普段どんな人と接しているかで考え方が変わるのは肌感とも近い。

Xのおすすめのタイムラインでは毎回新鮮なトピックが提供され、誰かが何かを言っている。それを見ると気になって調べたり、世間の反応を探ったり、自分なりの意見を考えたりする。それが自分の考えを深めるなら良いが大抵は一過性で翌日には忘れてしまう。思考を活性化させるのに外部からの刺激は大事だが、それなら本を読めばいい。偶然出会う玉石混交の情報に振り回される必要はない。しかしXのタイムラインでもYouTubeのショート動画でも、現代のWebサービスは注意をひくための仕組みを改善し続けている。無料で使ってもらって広告で儲けるサービスなら当然なのだが、そこから逃れられるかが各個人の意思にかかっているとしたら不利な勝負すぎる。

自分の過ごしたいように時間を過ごすなら、まず環境を整える。仕事する場所を定め、そのまわりに目標や時間の過ごし方について書いた紙を張る。自然に目に入るようにしておく。パソコンのデスクトップにバーチャルな付箋を貼るのでも良いが、張り出された紙の方が目に入る機会が多いので良い。スマホのロック画面に文字を書いておくのでも良い。意識せずとも目に入るところに置いておくことが大事。

以前は一日の時間の使い方を紙に書いて張っていたが、引っ越しのタイミングでどこかに行ってしまった。そうすると習慣が崩れて今はダラダラと過ごす時間が増えた。この日記も朝8時くらいに書いていたが今なんと14時である。土日も平日と同じリズムで過ごした方が良いことは知っている。知ってはいるが実践できないこともある。意思を強くする方向ではうまくいかない。壁に紙を張り出し、目に入る機会を増やすという仕組みで改善を試みたい。


4年ぶりにMacを新調した

2024/12/13

新しいMacを買った。前回は2020年に買ったので4年ぶりの買い替え。最近は物欲が下がっており、新しいガジェットを買って届いてもしばらく未開封のまま放置していたりもしたが、今回は到着を楽しみにして受け取り次第すぐセットアップ。本当に必要なものを買うのは幸福度に直結する。

4年も経つといろいろ性能があがっているが、一番の変化はディスプレイを「Nano-texture」ガラスに変えたことかもしれない。これは2万円弱追加で払うと変更できるもので、画面への光の映り込みを軽減してくれる。通常のガラスだと光をそのまま反射する。綺麗で美しくはあるが、照明の光や背景の映り込み、キーボードを叩く自分の手などが反射してややノイズになる。Nano-textureは光を拡散してくれるのでこれが軽減される。この違いは使ってみないと分からないと思うが、自分は光に敏感で疲れやすい特徴があるので2万円の価値は十分感じられている。

さて、実はMacを注文した当初はNano-textureではない通常ガラスで購入していた。手元に届くまでの間にいろいろ調べていてNano-textureが良さそうだと知る。通常だと自分の下調べの甘さを嘆くシーンだが、Appleの製品は購入後2週間は無料で返品できる。それを知っていたのでNano-texture版も追って購入。一時的に2台分払っているのでお財布には痛いが、納得できる買い物ができた。気軽に返品ができると臆せず買える。返品された時のオペレーションの大変さを想像してしまうが、購入者にとって良い体験を提供してくれてありがたい。

Macのデータ移行もとても簡単になっており、昔のMacと新しいMacを並べて同じネットワークにつなげ、転送ボタンをポチッとするだけでほぼすべての情報が転送できた。iPhoneを買い替えた際に2台を重ねてデータ転送できるがあんな感じ。ファイルやアプリケーションはもちろん、環境設定などすべての情報が引き継がれる。これは想像以上に便利で、開封してから1時間後には新しいMacの方でプログラミングをしていた。来年にはAppleのAIであるApple Intelligenceが日本でも使えるようになる。Macの画面をAIに見せてアドバイスをもらったり、声で指示してAIに直接操作してもらったり。どんな形になるかは分からないが確実に便利な変化が来ると思うので期待している。


東京じゃない場所で暮らす

2024/12/12

東京から関西に引っ越して3年ほど経った。地方都市に住んでいることもあって不便はない。東京を離れて思うこととしては、東京は街ごとに役割が分かれている。渋谷、新宿、原宿、大久保、秋葉原、中目黒、巣鴨。それぞれが大きな都市で特徴がある。年代や興味によって行く場所がカテゴリ分けされている。

大阪も最近は大変発展しており、駅前でいうと東京並みかそれ以上だと思うこともある。しかし東京と違うのはこれくらい巨大な駅が周りにあまりないということ。そのため老若男女いろんな人が集まる。最先端のファッションに身を包んだモデルのような人が歩く隣で、腰を曲げて散歩するおばあちゃんがいる。いろんな世代の人が伸び伸び過ごせる空間はなんだか居心地が良い。

昔カナダのバンクーバーに行ったことがある。バンクーバーは自然と都市のバランスが取れた街で、移住した人も多くいろんなバックグラウンドの人が暮らしている。小さなカフェでコーヒーを飲んでいると、隣の席で若いカップルがプロポーズをしていた。おぉと思って逆側の席を見ると、そこでは老夫婦がトランプでババ抜きをしている。レジの方を見ると店員がカウンターの中で本を読んでいる。いろんな空間が混じっているなと思った。ここまで各々の時間を過ごしている光景はあまり日本では見かけないなぁなどと考えていたが、大阪のミックス具合からは近しいものを感じる。

大阪駅の付近は高層ビルが立ち並ぶが、少し離れるとそうではない。賃貸の値段もそこまで高くはなく、近くに住んで自転車で通う人も多い。電車も混む時はあるが東京ほど極端ではない。飲食店の値段もちょっとだけ安い気がする。総じて住みやすい。東京を離れて失ったものが何かというと気になるイベントや勉強会に気軽に行けなくなったことだろう。人が集まる会は人が多いところでやるに越したことはないので合理的に東京が選ばれる。出張でたまに行ってるとはいえそこまで頻繁には行けない。このあたりは仕方ないものと割り切る必要がある。少人数の集まりなら自分が企画すれば良いのもあるかもしれない。


キャリアは轍

2024/12/11

「キャリア」と聞くと今後どうなっていきたいか、どんな役割を目指したいかを連想するが、キャリアの語源は轍。前方ではなく車が走った後にできる。自分がこれまでやってきたこと自体がキャリアである。

目標を立てることが尊ばれている。何歳までに何を実現したいか、明確な人ほど良いとされている。10年後の状態から逆算して現在の行動を決める。そうできたら良いだろうが、なかなか今時点で10年後を決めるのは難しい。自分は「便利なものを作りたい」というなんとなくの方向性があるくらいで、具体的なイメージはそこまでない。何かを消費するよりも作っている時の方が脳汁が出て楽しい。その状態をできるだけ長くしたい、くらいに思っている。

エフェクチュエーション 優れた起業家が実践する「5つの原則」』という本がある。起業してうまくいった人にアンケートを取り、共通する部分を抜き出して深掘りした本だが、その中に偶発性を味方につけるという章がある。目標までの道が明確な場合、偶然起きる出来事はノイズになる。目標を抽象化して持っているとき、偶然の出来事は「この状況をどう活かせるか?」の追い風にできる。どんなトレンドになり、どんな人と今後出会えるかはわからない。すべてを逆算して計算するのではなく、その時々の偶然を楽しみながら取り入れる。良し悪しはわからないがこの発想の方がなんとなくスキである。

ある地点を目指そうとするとき、自分がいま持っている状態を考慮せずに決めてしまうことが多い。自分にできること、自分が身を置く環境はどんなものか。そこからステップを刻んで目標地点まで進めていく。一足飛びに目的地に辿り着こうとすると、自分に足りないところばかり見えて息苦しい。目的地の方向性は見つつも、途中の寄り道も楽しめるような余裕は持っていたい。

とはいえ、ソフトバンクの孫さんやサイバーエージェントの藤田さんなどの偉大な起業家は目指す先を早い段階から定めている。それを宣言することで周りを巻き込んだりもしている。世の中を動かすために大きな志を持つことは間違いなく良いことなので、自分のやりたいことがそこにないということかもしれない。顔の見えない100万人に使ってもらうより、よく知る周りの人たちの課題解決に取り組んでいる時の方が楽しい。作りたいのは立派な会社ではなく、使いやすく便利なサービスである。


リベラルアーツとは何か

2024/12/09

リベラルアーツとは何か?博識や物知りとは違う、実践に基づいた教養。例えばスーパーのレジに並んでいる時に前に割り込まれたとする。その時「なんだコイツ」という怒りで終わらせず、この人がどういう状況にいるのかに想いを馳せる。子供が家で泣いていて急がないといけないのかもしれない。大事な仕事がこの後あり急いで戻らないといけないのかもしれない。実際どうかはわからないが、こうして一呼吸置くことで余白ができ、多面的に考えられる。リベラルアーツはそういう類のものだと理解している。

リベラルアーツは実践の中で磨かれる。色々な分野の学問を学び、それを実践する。専門職的なスキルが高い人はすごいとは思うが憧れの対象ではない。憧れるのは自分の基準を持っている人。「自分はこうしたい。だからこう行動している」こうやって自身の価値観をシンプルに言語化できる人には憧れる。

一生手元に起き続けたい本に「他者の靴を履く アナーキック・エンパシーのすすめ」がある。シンパシーとエンパシー、日本語に訳すとどちらも「共感」だが意味するところは異なる。シンパシーは自分と同じ属性に対して感じるもの。一方でエンパシーは相手の立場になって考えることだ(=他者の靴を履く)。明らかに一方に非があると思われる状態でも一考の余地を残す。相手がその言動に至ったのはどういう背景があったか?想いを巡らせた結果それに同意できなくても構わない。相手の立場で考えることは上手くなりたい・継続していきたいことのひとつ。

最後に、楠健一さんの著書「経営読書記録 裏」に書かれていたお金とリベラルアーツについての一節を紹介。

なぜお金が好きなのか。オプションが増えるからだと思います。僕は今日、地下鉄でここまで来ましたけれど、もう少しお金があればタクシーで、すごくお金持ちならヘリコプターで、というふうにオプションが増えていく。これがお金の便利なところです。

ただし、お金があれば自由が手に入るかというと、そんなことはまったくありません。増えたオプションのどれを選ぶかは、その人の価値基準にかかっている。自分の中に価値基準がなくてお金というオプションだけたくさん持っているような人がいます。そういう人は自分の外にある物差し、世間の基準で判断するしかないわけです。

この「価値基準がある」というのがリベラルアーツ、つまり教養のある人の定義だと著者は言っている。お金が増えると便利になるのは間違いないが、それイコール幸せというわけではない。自分の中で長年モヤっていたが、リベラルアーツと絡めて綺麗に言語化してもらった。最後にもう一節。

自分の人生を自分の思うままに生きる。これがいちばん大切なことだ。世の中は自分の都合で回っているわけではない。ほとんどのことが自分の思い通りにはならない。それでも、自己に内在化された価値観に基づいて考え、自律的に選択したことであれば、泰然として受け止められる。

自分で決めたことなら失敗しても受け止められるが、他人に決められたことは失敗したら他責にしてしまう。何をやるか?から自分で決められるのが自由。「幸せ」になるために、その状態を長く続けるために、自分にとって大切なものは書き留めておきたい。