本を読んでいて息切れしたら
本を読んでいると脳が活性化するのか、色々なことへの考えが浮かんでくる。それは本のテーマと関係ない場合もあったりするが、本の端のスペースにその考えをメモしたり、空白のページを見つけて書き散らかしたりするのをよくやっている。頭の中にはいろんな情報があるが多すぎて普段は引き出しにしまわれている。本に書かれている理論や出来事がそこに刺激を与えて表面化するようなイメージだ。
そういう体験も含めて読書は面白いが、たまに読んでいても身になっていない感覚、内容が入って来ず息切れしているような感覚になることがある。そんな時は読んでいる本のテーマが今の自分の興味と合っていないとか、他にやるべきことがあってそれが脳を占有しているとか、インプット過多になっていて何かでアウトプットする必要があるとか、そういう読書に没頭できない状況であることが多い。読書はどんな本を読むか選ぶところから始まっている。今どういう分野の知識をつけたいのか、どういうモヤモヤを明確にしたいのか。自身の状況を鑑みて読みたい本を選んだ時は外さない。インプット過多もよく感じる。読書ばかりしていて発散や表現の場がないとき、脳に余白がなく新しいものの吸収率が下がっている。ブログを書く、散歩する、ノートに頭の中を書き出すなど何でも良いが、溜めたものを一度吐き出して整理することが必要になる。
インプット過多の逆で、アウトプット過多を感じるときもある。それは例えばプログラミングをしていたり、人と話していたり、日記を書いていたりといろんな場面で起こる。1の内容を10に広げて書いているとか、ずっと同じようなことを繰り返していて進歩がないような時にそう感じやすい。アウトプット過多を感じたら一度休んで情報を仕入れるターンとしたい。息切れした状態で人と話しても楽しくないし、いろんな知識を仕入れることでアイデアの組み合わせが増える。大事なのは遊びで、いつもと違うやり方を試したり、いまやっていることと全然違う分野の本を読むのも有効。同系統のことをやり続けるよりも幅が出て、ワクワクを取り戻すことができる。
大切な人に親切にする
人に親切にするとオキシトシンというホルモンが分泌される。このオキシトシンは幸せホルモンとも呼ばれ、リラックスしたりストレスを軽減する効果がある。
初めてオキシトシンを知ったのはNHKの犬についての特集で、犬と見つめ合うとオキシトシンが分泌されるという研究結果が紹介されていた。オキシトシンは一般的には人と触れ合ったり赤ちゃんの世話をしていたりすると分泌される。人に親切にするのも犬を愛するのも同じということ。愛を持って接したときにオキシトシンは増える。
困ってる人の話を聞いたり手助けしたりすると自分が幸せになれる。ホルモン的にそうなっている。しかしそこに見返りを求める気持ちがあると歪む。人と自分の基準がピッタリ合うことはない。満足いくだけの見返りがもらえないと、自分の行動にケチをつけられたように感じて面白くなくなってしまう。
「困ってる人を助けたい」は内発的動機、「見返りを期待する」は外発的動機。外から来るモチベーションは息切れしやすく続かない。自分の内から湧き上がる感情は持続する。ただ自分がやりたいからそうする、というスタンスは強い。
人に尽くすと聞くと美しい響きだが、人を大事にするにはまず自分を大切にしないといけない。自分が空虚だからと人助けに自分の存在価値を求めると、これまた息切れしてしまう。まずは自分を大切に、次に身近な人を大切に。そして偶然出会った一期一会の人を大切にする。自分を攻撃したり傷づける人は愛さなくて良い。自分が好きな人たちを大切にできればそれで良い。
最初からひとりなら孤独じゃない
誰かと一緒にいたら楽しいし、ひとりで過ごすのもそれはそれで楽しい。寂しいのは誰かと居た状態から一人になるタイミングだ。友達と一緒に遊んだ後の帰り道。楽しかった旅行が終わる瞬間。人数が減ってひとりになる時に人は孤独を感じる。
人間は元々ひとりで生まれて来る。現代の社会でひとりで生きることはできないので他人と繋がる方法を求める。人と完全に分かり合うことはできないが、だからこそ共通の話題で盛り上がったり、心情に寄り添ってもらえたりすると喜びを感じる。やがて別れが来ると孤独を感じて辛くなる。でもその孤独に耐えられれば、次にまた誰かと一緒にいるときにその時間をより大切にできる。
友達が引っ越して遠くに行ったり、仲の良い先輩が会社を辞めたりするのは悲しい。悲しみは去る側よりも残される側の方が大きい。去る側は自分で決めたことだし、次の世界へのチャレンジがもう始まっているから。残る側にできる心構えは何か。別れもあれば新しい出会いもあると自分に言い聞かせて、目の前のことを一生懸命やるくらいしかないかもしれない。縁がある人なら一度交流が途絶えてもまた出会うことにある。その時によりパワーアップした自分でいられるよう、良い毎日を過ごすなどだろうか。
好きなものを好きという
漫画を読むのが好き。いろんなジャンルを読むが、世間で人気でも自分にはハマらないものがあったり、逆にまったく聞いたことがないけど面白い漫画があったりする。人に伝えるとき、そこで話題に出すのは好きな漫画だけでいい。インターネットなど不特定多数の人に見られる場では特にそう。これは本でも映画でも同じことがいえる。
この考え方は元々「アル」という漫画メディアのメッセージで教わった。曰く「自分の好きな漫画が嫌いと言われてると悲しい。面白くない漫画は放っておいても終わることになる。じゃあ話題にするのはみんなの好きな漫画にしよう」のような内容だったと思う。確かに何かを上げるために別の何かを下げる必要はない。自分の好きを表現していけば、その積み重ねで自ずと人気漫画になったり打ち切りになったりするはずだ。何より漫画は多様さが素晴らしい。自分が理解できないからといって他の人でもそうとは言えない。悪評が先行して読むべき人が読む前に判断してしまうのは悲しいことだ。
漫画に限らず映画や音楽などのエンターテイメントは、その人の経験してきたもので好き嫌いが分かれやすい。仲の良い友人がオススメしていて、それを楽しみにして読んでも全然面白くないこともある。感性が近いのになぜ、と不思議に思ったりするが、読んできた漫画の数、漫画のジャンル、絵のタッチ、セリフの言い回しなど変数が多くて重なりづらいのだろうと思う。最近は「天国大魔境」を楽しく読んでいる。石黒先生は人気作「それでも町は廻っている(通称 それ町)」で感銘を受けてそれ以来大好きな漫画家だが、それ町をオススメして同じように絶賛してくれる人がなかなかいない。日常に推理、笑い、感動、時系列の要素などあって本当に名作と思うのだが、これもまた人によるのだろう。AIが進化して期待したいのは漫画のレコメンド。絵のタッチやストーリーからなど、なんでも良いが自分がまだ読めてない面白い漫画を教えて欲しい。人気ランキング以外で新しい漫画を知るのは難しい。AIの特徴は究極のパーソナライズといわれる。当日の気分や人生の局面など、いろんな状況を理解した上でいま読むべき漫画を教えて欲しい。
「ビジネスを育てる」を読んだ
「ビジネスを育てる」を読んだ。1987年に出版されてから50カ国以上で販売されているスモールビジネスについての本。書かれたのは35年以上前だが内容はまったく古さを感じない。例えばかつては大企業が「規模」で戦っていたが近年は「個々人への最適化」が焦点となっているという話。最新のビジネス書でもまったく同じ内容が紹介されている。
スタートアップの経営チームとして頭を使っていた時期があり、その頃は会社の成長についてよく考えた。シリコンバレーには「T2D3」という言葉があり、これは3倍成長(Triple)を2年連続、そして2倍成長(Double)を3年連続でしよういうひとつの指標。出どころは不明だが急速な成長は投資家からは歓迎される。海外の有力スタートアップと渡り合うためにはこれくらいを目指さないといけない、という考えがあるのかもしれない。
本書ではそんな風潮とは真逆のことが書かれている。
成長率が10%だろうと150%だろうと関係ない。そんなことは問題じゃない。他人と比較してはいけない。メディアが好んで騒ぐ「スピード成功」なんて忘れることだ。大切なのは、成長率の数字ではなく、成長があなたにとって心地よいかどうかだ。
自分のサービスを見れば「もっと広がりそうか」「十分広がったので作り込むタイミングか」などは判断できる。市場の平均値と戦ったりメディアの話題に影響されると外部からの目線でサービスを見ることになる。今じゃないタイミングでアクセルを踏んでしまえば疲弊して、逆に寿命は短くなる。
経営者がするべき仕事についても明記されている。それは「魅力的な問題が発生する会社にすること」。どの会社でも問題は必ず起きる。コントールできるのはその問題の質である。取り組むのが面白い問題があれば、それを解決できるだけの賢い人は必ず集まる。あなた自身が問題を解けなくてもよい。ただ良い問題が起きる環境を整え、問題の数が多すぎないように適度に取捨選択できればそれで良い。
本の中で紹介されている信念は「成功するビジネスとは、個人がのびのびと自分を表現することでもたらされる」。成功への道というと何となく実直で、真面目にコツコツと進めることが大事なようなイメージがある。それももちろん大事だが、自分のアイデアはのびのびと表現してもよい。表現してもよいどころかそれが成功をもたらしてくれる。本気で何かに取り組むとつい真面目モードになって視野が狭くなってしまうことが多い。行き詰まったときこそ遊びを取り入れる。いつでもユーモアを持って楽しく表現と向き合う。