慣性の法則
フィリピンから帰ってきてから読書欲が高い状態が続いている。旅行中に読んだ本に面白いものが多く、もっとこういう本が読みたいという気持ちでいろいろ読み漁っている。
知人が作っているBookBankというアプリで読書記録をつけているが、このアプリでは月ごとの読書数を振り返る機能がある。ここ数年を振り返ってみると月ごとにかなりバラつきがあり、よく読むときは月10冊を超えるのに対し、月に1冊も読まないときもある。その理由を考えてみると、個人開発に没頭している時期に読書から離れていることがわかる。Webサービスやアプリを作っている間はそれに夢中で、本を読みたいという気持ちが沸かなくなる。
この「何かに興味を抱くとそればかりやってしまう」のは自分のスタイルで、思い返せば子供のときからそうだった。学校から家に帰ってきて漫画を読みはじめたら夕食までずっと漫画を読んでたし、勉強をはじめたら夕食まで机に向かって問題を解いていた。書籍の方の「君たちはどう生きるか」でコペル君が同じことをやり続けるのが人間の習性だと気づくシーンがある。ここを読んだときはわかる!と思ったのをよく覚えている。習慣術みたいな文脈で、朝起きたらまずやることで必要なものを机の上に置いてから寝ましょう、みたいなテクニックがよく語られる。毎朝日記を書くならノートを置く、体温を測るなら体温計を置くみたいな。朝起きて最初にやったことが流れを生むという説だが、これも理に適っているいると思う。逆に距離をおきたいものは収納の中に隠して腰を重くすれば離れられる。
習慣の観点でいうと読書したりしなかったり、自分の習慣はあまり安定していない。そういうプロと話す機会があるとしたら1日15分でも良いから毎日読みましょう、とか言われそうだ。でも個人開発に没頭している時期はすべての時間を注ぎ込みたくなったりする。本を読むことはすでに生活に溶け込んでいるとは思うので、ベストプラクティスみたいなものに捉われすぎず自分なりに読書を楽しめれば良いかなと思っています。
線を引きながら本を読む
読書が好きだが、本は電子書籍ではなくすべて物理本で買っている。電子書籍は何度か試したが続かなかった。私の読書スタイルには物理本が合っている。
スタイルというのはペンを持ちながら読むことで、心に刺さった表現や共感したこと、おもしろい言い回しなどに線を引く。読みながら考えたことや感じたことはページの余白部分に走り書きする。読書していると脳が活性化するのか、本の内容とまったく関係ないことを思いついたりする。それも余白部分に書き込む。書き込みせずに読む場合、紹介されているこの本あとで調べようとか、この言い回し美しいなとか、そういったことを脳の片隅で記憶しておく必要がある。これは読書とは違った脳の種類だと思っており、同時にしようとすると疲れる。最初はビジネス本や技術本でやっていたが、最近はエッセイや小説などジャンル問わずペン片手に読むようにしている。
読み終わったら線を引いた箇所をまとめる。私の場合はNotionというサービスに書き出している。この作業は本を読み終わって2-3日経ってからやると良い。記憶が薄れてきたときに再び本の内容を読むことで、気に入っていた表現に再度触れられるというか、記憶を深いものにできる気がする。ここでまとめた内容を見返すことは正直ほとんどない。ごくまれに何かで引用したり、同僚に紹介したりする時に検索で役立つくらい。それでもこのまとめは絶対に作ったほうが良いと感じていて、それは本で得た内容を脳から切り離して別の場所に記録しておく良さだと思う。「こういう内容あったけど何で読んだたかな…」と思い出せないとき、Notionを探せば見つけられるという環境はメンタル的に良い。
これらの方法は昔読んだレバレッジリーディングという本にならっている。レバレッジリーディングの中では本のことを「おがくず」と表現しており、養分を摂取するもので本自体を大切にする必要はない、みたいなことが書かれている。これは本にやや失礼な表現な気がする。ただ大切に扱いすぎないというのは同意で、汚さず綺麗に読み切ろうとすると意識がそちらに割かれてあまり内容が頭に入ってこない。線を引いたり書き込んだりすると綺麗な状態は諦められるというか内容に集中できるようになる感覚があり、そういう意味でもペンは読書に欠かせないものになっている。
タスクが複数あるときは簡単なものから終わらすとよい
仕事でも生活でも、やるべきことが溜まって辛くなるときがある。そういうときは簡単なものから着手してタスクの数を減らすのを優先するのが良い。
例えば10分で終わるメールの返信と6時間かかる確定申告があるとする。今まではなんとなく重要で期限のある確定申告(重いタスク)から終わらせようとしていた。でも実際はメールの返信(簡単なタスク)から着手する方が楽になれる。
まずタスクを抱えているだけで、「あれもやらないとな...」みたいに無意識に考えてしまって脳内のリソースを消費してしまう。そしていきなり重いタスクに着手してもなかなかエンジンがかからず、集中モードに入るまでに時間がかかる。軽いタスクでもひとつ終わらせるとリズムが生まれる。その勢いを活かして重いタスクに全集中するのが得策な気がしている。この進め方はやるべきことが10とか20とかある時により有効で、簡単なものから入ってタスクの数を減らしつつリズムを作るのが良い。RPGなどでボスと手下と戦闘になったとき、手下から倒すのと感覚的には近いかもしれない。
タスクでいうと、苦手で先回しにしたくなるタスクほど抱えずにすぐやる方が良い、というのもある。例えば私は電話をかけるのがとても苦手だけど、2週間先延ばしにしていると2週間ずっと「やらなければ…」を抱えることになる。考えるだけで脳内のリソースを使ってしまうのでもったいない。解決策はすぐやること。その場で電話してしまえば、苦手な時間も5分くらいで終わって楽になれる。嫌なのはその瞬間に留めて、未来の自分に負荷をかけないのが良いと思っている。
フィリピン その2
夏休みにフィリピンに行ってきた。街中を散策して見たのは多くの野良犬で、道路沿いやショッピングモールなどいたるところに犬がいた。
ガイドブックを読んでいると必ず書かれているのが野良犬への注意であり、噛まれると狂犬病と向き合うことになる。狂犬病は日本では根絶されているが海外では普通にある怖い病気。前情報では「野良犬は人を怖がっているので基本的に人から離れていきます」とあったが実際は全然そんなことはなく、側道でのんびりしてたり、食事する人々の足元で寝てたりする。人も怖がって避けるというよりは気にせず過ごしているように見えた。
犬が好きで、犬たちが幸せに暮らせる世の中になってほしいと思っていて、数年前からピースワンコ・ジャパンさんに寄付をしている。ピースワンコ・ジャパンさんはNPO団体で、殺処分ゼロを目指し、保護した犬が過ごせる環境をつくったり里親を探したりする活動をされている。いずれはこの分野で働きたいと考えており、エンジニアやプロダクトマネージャーの経験を活かし、Webの力を使って活動を支援できるような動きをしたいと思っている。昔しんどかったときに犬に助けられたので、その恩を返したいという気持ち。
フィリピンに行って揺らいだのは、狂犬病の野良犬や貧富の差など、人の命に関する社会課題がまだまだあるということを目の当たりにしたこと。知識としてはあったが自分の目で見るとまた違う。優先度をつけてはいけないものだが、人の命がまず守られないといけないのでは、と自問することになった。こうやってグローバルでみると様々な社会課題があるなかで、自分が取り組むのは犬の保護活動で本当に良いのか?狭い視野で考えてしまっているんじゃないか、という自問。これは旅行中に何度も考えることになった。
いろいろと考えたうえでの自分の結論としては、それで良い、である。いろいろな社会課題があるが、それに優先度をつけるのはそもそも難しいし、自分が興味・関心がある範囲でやれば良い。ジェンダーだったり教育であったり、気になる課題は人によって違う。関心の高い課題に取り組む方が良い結果が得られやすいと思うので、各々が自分のできる範囲でできることをやれば良いと思った。そして自分が関心があるのが保護犬の活動なので、それをやる。
ビジネスでも世界の課題を並べて課題感の大きいものから着手していくのではなく、身の回りの困っている人を助けることや、世の中に必要だと自分が強く感じるものを作ることから始まって会社ができたりする。そして会社が大きくなったら他の課題領域に取り組んだり、社会貢献活動を行ったりすることもある。まずは自分から見えている課題に取り組む。その道中で他の課題を知ったり自分の興味関心が移ったら、それをやれば良い。逆算ではなく積み上げ式で良い。こんな感じで自分の中では落ち着いた。あとは、インパクトの大きい課題といっても人によって感じ方はまちまちだし、当事者でないものが課題感の大きさを測るものではない気もする。自分に見えてるところからやるので良いのかなと思っています。
「会社という迷宮」を読んだ
「会社という迷宮」を読んだ。コンサルとして経験を積んできた著者が「会社」の本質に迫る一冊。いわゆる会社論とは違い、「コンサルではこう言ってるけど本当は〜」みたいな記述が多く、どれも芯を喰っていて唸らされる。私は数年前に転職し、それからはスタートアップの経営チームとしても仕事してきた。エンジニアという枠を超え会社の成長を考えていくなかで、市場調査であったり競合比較であったりは多少経験を積んだが、その過程でずっとあったモヤモヤをこの本は言語化してくれている。
例えば利益についての一文。
「利益」という場所から意識が出発すると、つまるところそれは「差」、言い換えると他者との相対的関係においてしか捉えられないものとなる。それを競争と呼ぶ。しかし、それはどこまで行っても、相対的なものであり続ける。問題になるのは、自ら定めた目標との距離ではなく、競争相手との相対的な距離である。もし、会社が自ら航海の行き先と定める独自の価値を持たないならば、航海の羅針盤は競争相手との相対的位置関係だけになる。
スタートアップ界隈には「T2D3」という言葉があり、TはTriple、DはDoubleを意味する。つまり今後の5年で、最初の2年はTriple(3倍成長)、次の3年はDouble(2倍成長)するという意味である。スタートアップにはこれぐらいの急成長が必要という指標みたいなもので、これを参考に計画を立てたりもした。しかしこれは「急成長します」以外の何も語っておらず、会社が何をするのか、どういう課題を解決していくのかには当然ながら何も触れていない。会社というのは成し遂げたいことがあったから立ち上げられたもののはずで、そのビジョン(上の文でいう独自の価値)をもっと大事にしなければならないはず。
さらにもうひとつ紹介。
可視化できないものまでなんでも可視化して説明しようとする習いが行きすぎれば、逆に対象を見える範囲に限定する視野狭窄となり、結果的にものごと自体を矮小化してしまう。
(中略)
何が正しい経営判断であるかは、論理や計算で客観的に決まるのではなく、第一義的には、視座をどこに据えるかで主観的に決まるものである。
KPI至上主義では目標を因数分解し、それぞれの数値を達成することで会社の成長を押し上げる。これは現在のビジネスではかなり一般的な考え方だと思うが、やってみるとデザインやブランディングなどの曖昧さを含むものはどの数字に効くかを考えづらい。数字で成果を測るには定量化が必要だが、「使い心地が良い」や「デザインが整っていてユーザーへの負担が少ない」といった内容は定量化がとても難しい(継続率や満足率に関連づけられることが多いが実際はもっと全体的に作用している)。大事なのはデザインの効果を数値化することではなく、良いデザインこそがコアだと信じること。数字で測れない曖昧さを認めながら、「私はこれを信じる会社にしたい」と決めて宣言することだと思う。
数字を信じる会社は、それも一つの正解。ただ、世の中で言われてるから数字で測った方が良さそう、みたいな態度ではKPIのジレンマに苦しむことになり、強いチームは作りづらい。多くの人数が所属する組織では、目標数字を掲げて各々に自走してもらうマネージメントがフィットすることも理解はしているので、感性や価値観を大事にしつつ数字を使っていくバランスが求められるのかなと思う。
最後にもうひとつ。
川岸まで近寄り、川を挟んで投資家と対話するはずが、無意識に自分も川を渡ってしまったのである。経営者の意識と目線に、株主や投資家が憑依してしまったということである。
(中略)
投資のリスクとリターンの観点でポートフォリオを考えるのは、投資家の仕事であって、経営者の仕事ではない。
将来を語るときに市場とかビジネスモデルとか競合優位性とかの話になってしまうが、本質は何を解決したいか。売れるから価値があるではなく、価値があると思うことに取り組む一人称的な取り組みが会社のコア。サラリーマンではあるが経営チームに身を置くものとして、この本に書かれていることは何度も思い返すことになりそうです。