「時給はいつも最低賃金、これって私のせいですか? 国会議員に聞いてみた。」を読んだ

2024/09/26

時給はいつも最低賃金、これって私のせいですか? 国会議員に聞いてみた。」を読んだ。

著者である和田靜香さんは50代単身フリーランス。お金や住まい、ジェンダー、税金などの日常の不安や悩みを直接国会議員にぶつけ、その問答をまとめた一冊。

今年で36歳になるが、この歳まで政治にどう関われば良いのか学ぶ機会はなかった。学校の授業で三権分立とか衆議院と参議院とかは学ぶけど、それは知識としてであって、自分の生活から直接つながるものではない。選挙は毎回行ってるけど、自分の一票が何かに反映されたと感じたこともない。ニュースを追っても派閥とか政局とかの話が多くてそこじゃないと思ってしまう。保護犬とか同性婚とかエネルギーとか、興味があるトピックはあるがどうアプローチしてよいかわからない。それが本を読む前のスタート地点。

さて、まずは冒頭のパンチラインから。

日本には有権者が1億人。自分はその1億分の1だと。しょせん、それっぽっちだと。でも、ゼロじゃないよ、と。そこから出発すれば、あきらめずに済むんです。自分自身の有権者としての力を過大評価しても挫折するし、過小評価しても敗北につながる。等身大で評価しないといけない。

あぁ、めっちゃ過大評価して挫折したり、過小評価して敗北していたわ。すでに面白い。そして本編に入ってからも、和田さんの生活に根付いたリアルな悩みをひとつひとつ打ち返していく国会議員の小川さん。小川さんの言葉はどれもストレートに頭に入ってくる。これまで自分が抱いていた政治家像と何が違うかというと、話をよく聞き、状況を言語化でき、難しいで終わらせずに自分なりにこうすべきという提案をしっかり持っている。提案はあるんだけど、話しながら折り合いをつけていく柔軟さもある。デキる人の仕事、という感じだ。

人口問題や生活保障など、政治の話はどれも複雑に絡み合って簡単に解決できるものはない。唯一の正解というのもない。「一緒に悩んで、たったひとつの正解じゃない解にリスクを背負って、決断して、歩みを始めよう」と国会議員の小川さんは言う。正解がない状況で前に進む難しさは会社でプロダクトマネージャーをやっている自分も少しはわかる。政治家と国民がひとつのチームだとして、一緒にリスクをとりながら前に進んでいくのを実現するには、開かれた議論と決断するリーダーシップが足りない気がする。しかしこういう社会を作り上げたのも私たちだと小川さんは言う。私たちで作ったものだから、私たちで変えていけないはずがないと言う。それはそうかもしれない。

この本が面白いのはかなり難しい税や社会保障の議論に、和田さんが勉強しながら喰らい付いていくところ。和田さんはいわば自分と同じ立場で、政治の知識はないけど生活の悩みはある。小川さんとラリーしながら自分はなぜそれで悩んでいたのか、紐解かれていく様子はおもしろい。自分がエンジニアの仕事をするときでもマーク・ザッカーバーグとか三木谷さんとかじゃなくて、身近な人の活躍の方が参考になったりする。政治のプロではない著者だからこそ影響を与えられる構図で、心にスッと入ってくるように感じた。

さて、小川さんを取り上げたドキュメンタリー映画「なぜ君は総理大臣になれないのか」、そして続編「香川一区」を観た。映画のなかでも政策について的確に受け答えし、しかも人と接するときは柔らかさのある小川さん。観た人をファンにする魅力があるが、それでも選挙で負ける。政治家としての苦悩や、家族との関係性も描かれる。選挙期間中に街頭演説とか選挙カーとかを見ることはあったけど、選挙活動ってこういうことをしてたんだ。インターネット使ってスマートにやった方がいいんじゃないかとか素人ながら思ったりしたけど、そうではないな。届けたい相手に届けるためのベストな手段を選んでいる、という印象に変わった。

「争点」はマスコミが決めるのではなく、自分たちで決めて良いらしい。勝手に決まったものが押し付けられるんじゃなくて、自分なりに考えて良いなら主体的に参加できる。気になるトピックはいくつかあるので、次の選挙では候補者のマニフェストを、自分なりの争点のフィルターを通して比べてみたい。

最後に、和田さんが次に出した本「選挙活動、ビラ配りからやってみた。「香川1区」密着日記」から引用。

それって結局、選挙に出られるのは、国会議員になれるのは、健康で元気はつらつの人ばかりってことにも通じる。
たとえば「鬱病」のような心の病を抱える人が選挙に出ることは、今のあり方じゃ難しいだろう。毎日朝から晩までびっしり選挙運動なんて、想像しただけで困難だ。

たまには「鬱のためにお休みします」と、堂々とお休みしてくれたら、ああ、鬱でお休みしていいんだなぁ、それは決して恥ずかしいことでもないし、悪いことでもないと、当事者たちが安らかに思える。今、日本中に心を病む人がどれほどいることか!

ほんとにそう!


何かを作り始めるのに遅すぎるということはない

2024/09/26

昔から本に関するWebサービスを作りたいと思っていた。しかし大学時代にはすでにブクログがあり、当時としてはかなりクオリティも高く、ユーザーも定着してるしもう参入するのは遅いかなと思った。そう思っていると読書メーターというWebサービスが登場し、読書量がグラフで可視化されるという特徴をフックにユーザーを獲得。人気サービスのひとつになる。その後似たような読書管理サービスがいくつか登場し、さすがにお腹いっぱいかと思っていた頃、ビブリアという読書管理アプリが登場する。これはスマホで使いやすい設計、きれいで可愛らしいデザインによりユーザー数を伸ばす。ビブリアが人気を博していくのを見た時に思ったのは「あ、まだいけだんだ」である。

考えてみればApp Storeにはメモアプリ、日記アプリ、Todo管理アプリが山のようにある。そして、メモアプリの中で最も優れたひとつのみが選ばれるというわけでもなく、いろいろなメモアプリが人気を博している。そもそも「優れている」みたいな基準が人によって違うのかもしれない。多機能なほど良いという人もいれば、デザインがかわいいものを探す人がいる。書き心地が良いのを探す人もいれば、そこはどうでもよくてパソコンとのデータ連携が簡単なものを選ぶ人がいる。使い道によって求めるものは違っていて、すべてに応えられるアプリはない。仮にこの世で考えうるすべての機能を持ち、デザインも自分好みにフルカスタマイズされているアプリがあったとして、それも全員に使われることはない。「機能が多すぎて手に余る」という敬遠される理由になるからである。人間関係と同じく、全員に好かれることはできない。

何を作ればよいかというと、自分(もしくは特定の誰か)が心から欲しいと思えるもの、を作るのが良いと思う。もし自分ひとりしか使わなかったとしても、問題なく開発を続けられるようなもの。最低でも自分は使うから作るだけでプラス、他の人も使ってくれたらラッキー、みたいなもの。世界は広いので誰かに深く刺さるものは他にも欲しがる人がいる。

分析的な目線でいうと、元々利用者の多い界隈のアプリやWebサービスだと有利な面がある。例えばアップルパイの焼き方を見れるアプリだと、そもそもそれを使いたいという対象者の数が少ない。日記アプリだとライバルは多いが、ユーザーの母数が多いのでそれを分け合ってもそれなりの数になったりする。メジャーの中のニッチを攻める、みたいな。例えばカメラアプリは人気のカテゴリのひとつだが、撮った写真にハートがついて可愛くデコられるとか、ティーン向け女子に絞っていても商業的に成り立つ。自分の好きなものを作れば良いが、世の中で流行る可能性を高めたいならこういう観点もあっても良いのかもしれない。

さて、2年ほど前に「エアマーカー」という読書メモ記録アプリを作った。本のページをカメラで撮ると文字が認識されて、それを読書メモとして記録できるアプリ。Kindleにハイライトという機能があるが、それをリアル本でできるというもの。図書館から借りてきた本とかフリマアプリで後から売る予定の本とかに使える。数としては全然少ないが課金してくれるユーザーもいる。うれしい。何か作りたいものがあるなら作るのに遅すぎるということはない。流行らしたいなら早いタイミングで参入する方が有利なのは有利だが、後発でも誰かに刺さるものが作れれば自分としては十分満足できる。


ZINEをつくった

2024/09/24

先日、友人とZINEを作った。ZINEは個人や小規模グループにより作られる本で、テーマや形式は自由。文章でも写真でもなんでもよい。読み方は「ジン」で、リトルプレスと呼ばれたりもする。私は友人とPodcastをしていて、そこでよく話している一つのトピックについて深掘りして文章を書き、それをもとにZINEを作ってみた。

本といってもその形式も自由で、今回はA3用紙の裏表印刷で、そこに入るだけの文字量を書いた。最初に章立てを考えてパートを分け、あとは各々の担当箇所の文章を書いていく。私たちはお互いの文章を同期して見れるようにNotionに下書きを書いていき、その後Canvaでレイアウトに落とし込んだ。Canvaは本当に便利で、雑誌のようなレイアウトのテンプレートがたくさん用意されていてそこから選んで本を作れる。リアルタイム同時編集も可能で、二人で同時にレイアウトを調整したり文章を直したりして、かなりサクサク作れた。しかもすべて無料である。どうなっとるんじゃ。ZINE作ろうという人にはCanva、オススメです。ちなみに文字のサイズ、Webサイトだと14pt未満は小さすぎるのでやめよう的なルールを自分の中でもっていたが、印刷物では14ptは大きすぎる。逆に8ptとか10ptとかに落とさないといけない。パソコンよりも本や雑誌の方が目に近い位置で読むのでそういう関係?14ptで印刷したらめっちゃ文字デカくてひと笑いした。

配布の方法はコンビニプリントで、読みたい人はコンビニにあるプリンターで自分で印刷してね、という形。A3の裏表なので1枚40円。ネットプリントに登録してプリント番号を共有すれば、全国各地で誰でも印刷できる。期限はコンビニによって違うが、今回使ったセブンイレブンのネットプリントだと7日間。つまり登録してから1週間が経つと自動的にプリント番号が利用不可になる。この期間を無限にできたらどこかでプリント番号を掲出し続けて、興味ある人がいつでも手に入るようにできたんだけど、まぁそこはデータベースも有限ということで仕方ない。ちなみに今調べたらローソンとかファミリーマートのネットプリントだと最長30日間に伸ばせるっぽかった。明らかにこちらを選んだ方がよい。まぁそれも趣味のZINEということで、ご愛嬌。1日で印刷までできて作る時間も面白かったので、また折を見てやってみたい。


余白をつくるとアイデアが湧く

2024/09/23

2025年からマイナンバーカードと免許証が一体化するというニュースを見た。情報流出したときのインパクトは大きくなってしまうが、基本的に持ち物が減ることは良いことだと思う。最近はちょっと出かける分には財布を持ち歩かなくなった。コンビニやスーパーはどこも電子マネーが使えるし、個人のお店もPayPayに対応してるところは多いし、電車はモバイルSuicaで乗れる。スマホだけ持ってれば大方問題なく、手ぶらでどこにでもいけるのは心地よい。

最近は余白や余裕の大事さをよく考える。例えば新しいサービスを作るとき、時間を多めにとって落ち着いたカフェとかでノートに小一時間考えてることを書き出すとけっこう良いアイデアが浮かぶ。仕事やプライベートで行き詰まったとき、公園を散歩しながら何に悩んでるのかぶつぶつ口に出すと折り合いがつけれたりする。逆にミーティングや用事で日常がパンパンになってるとき、ひと息つく余裕がなくてただ目の前の作業をするだけになる。物事を俯瞰できなくなる。

ずっとやりたかったことを、やりなさい」では、人間には創造性が本来備わっており、それをいかに解放するかという話が繰り返し出てくる。どうやって創造力をあげるかではなく、本来ある創造力を堰き止める要素をどう解放していくか、という方向で考える。そのために幼少期に植え付けられた価値観を掘り起こして向き合ったり、自分の創造性を信じ直すためのワークをやったりする。自分的には机のまわりや部屋を片付けておくとアイデアに良い気がしている。人間はふと目に止まったものを考えてしまう。未払いの公共料金の紙とか読みかけの本とかが目に入るとそのことを考えはじめてしまう。スマホは視界に入るだけで、何も表示されてなくても20%ほど注意を取られるらしい。目に入らないところに置くか、画面を伏せて置くようにしている。

Netflixの「アート・オブ・デザイン」は毎回いろんな分野のデザインについて語る番組だが、シーズン2にInstagramのチーフデザイナーの回がある。デザイナーのイアンは京都を定期的に訪れるらしく、その目的について「インスプレーションをもらうわけではない。頭や心のなかを整理する。するとできた余白にインスピレーションが湧いてくる」と話している。アイデアは外ではなく内から見つかる。見てきたものや考えてきたことが、染み出して現れる。

昔は良いものを真似て、その組み合わせがオリジナリティだと思っていた時期があった。「コピーキャット」などそういう理論を書いている本もある。それもひとつの真実だとは思っていて、例えばユーザーインタフェースを考えるのに必要なのは引き出しの数な気がする。ただ、根幹のコンセプトのところは個性というか、自分がどういうのが好きか、何が気になってしまうかなどを突き詰めた先にあるものだと思う。ブルーボトルコーヒーの創業者の方がインタビューで、もし日本に生まれていたらカフェではなく喫茶店をやっていたと思うと言っていた。自分のルーツに沿ったものをやることは、創造としても強いし長くも続けやすい。


「家父長制はいらない」を読んだ

2024/09/23

家父長制はいらない 「仕事文脈」セレクション』を読んだ。

家父長制とは男性が一家の長で、家族に対して絶対的な支配権を持つ制度のこと。1876年に民放で定められ、戦後に廃止されたが現代もこの慣習は根強く残っており、そのせいで苦しむ人がいる。この本はリトルマガジン「仕事文脈」の中からフェミニズム、ジェンダーなどに関する記事をピックしてまとめられたもので、合計18人の著者がいろんな角度から家父長制にまつわる文章を書いている。

どの記事も面白かったが、特に印象に残った覚えている文をピックアップ。

こうした場面では「パートナー」といった言葉よりも「夫婦」というキーワードを使った方が効果が大きいという判断があったからだろう。たしかにそうなのかもしれないが、その現状に追随していたら、数の少ない人たちが小さな違和感を感じ続ける状況は変わらない。

これはSEOライティングについての一文だが、自分も同じような経験がある。何かを表現するとき、誰も傷つけない表現はあるんだけど、それだと抽象的すぎて誰にも刺さらないものになってしまう場面。「夫婦」のように言い切ってしまう方がターゲットに届きやすいなら商業的にはそれを選択するのが正解となる。でも自分の気持ち的には違和感があって…みたいな。Webサービスを作ってるとターゲットを明確にすることがよく求められるが、そのターゲットを言語化することで誰かに違和感を感じさせてしまってる気がする。各々が生活しているのに、わざわざ線引きして分断させてしまってるようなイメージ。インクルーシブな社会とマス向けの資本主義のバランスを最近よく考えるが、なかなか自分のなかで折り合いがつけられてない部分。

表現の現場でよく聞かれる言葉がある。「実力があれば評価される」「優れた作品をつくれば結果はついてくる」

(中略)

ここでの「実力」や「優れた作品」を評価する仕組み自体に偏りがあるということに他ならない。

女性の作品が評価されにくいのではないか、というのを受けて。自分のなかであまり言語化できてなかったが少しモヤが晴れた。そもそも評価というのは他者から与えられるもので、その評価者は男性が多い。自分と似ている人のことは理解しやすく、無意識のうちに加点するものなので、男性の作品が評価されやすい構造になってしまう。女性の作品が評価されることももちろんあるが、その一例をとりあげてワーッと叫ぶのではなく構造の不平等を解決するのが大事。何かの審査がなされる場であれば審査員を男女半々にするのがまずは出発点かなと思った。

私たちは自分と異なる考えを持つ人に同意はしなかったが、その意見を正そうともしなかった。ただ、反論に耳を傾けるだけの好意と信頼を相手に抱いていたと思う。

こういうコミュニケーションをしたい。ただ聞くというのをやりたいと思ってるが、相手の意見を強く押し付けられそうになると反発してしまう。他人に同調してしまいがちな性格なので、うかうかしてると相手の価値観に染められるような恐怖がある。実際は大事なものは人それぞれ違っていて、考え方が違うのは当然で、それでOK。各々の意見を言って、必要あればそれを擦り合わせていくので良いのに、それが難しい。これは練習が必要なものだと思ってるので少しずつトライしていきたい。

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自分は男性なので、男性の立場から。「男らしさ」という価値観がインストールされていることで苦しむことは割とあった気がする。力は強くないし、喧嘩したことないし、小さいことをいつまでも気にする性格。車を運転できないのは長らくコンプレックスに感じていた(免許はあるが運転が怖い)。泣くこともよくある。それも感動して"男泣き"とかではなく、普通に寂しくて泣いたりする。今ではそれも自分の特徴と思えてるけど、子供のときとかは何となく良くないようなことに感じていた。

男性が女性を守るべきみたいなのも、もっとフラットで良い気がしていた。困ってる人がいれば重い荷物持ったりしたいけど、それは男性だからではなくその人より自分の方が力が強いならそうした方が良いと思っているんだと思う。男性の方が女性より力が強いでしょ、みたいなのは傾向としてはあると思うが、個人差は常に性差を超える。男性だからどう・女性だからどうではなく、その人がどう感じるか。とはいえ構造的な不平等があるなかでフラットもクソもないので、まずは個人としては日常の男性特権に自覚的になるところからかなと思っている。