神谷町

2025/07/13

六本木から歩いて15分ほど。東京タワーの裏に位置し、オフィス街でもある神谷町に社会人最初の2年間住んでいた。関西出身の身からすると突然東京生活が始まるのは怖気付くものがあり、同じように恐れを抱いていた関西同期6人と一緒にシェアハウスをしていた。

同期といっても社会人になる年が同じだけで会社はバラバラ。「関西から東京に出る」という共通点だけで、友人が友人を呼ぶ形でメンバーが集まった。6人の中間地点といえる神谷町に良い物件があり、そこでの暮らしが始まる。マンションの3階だったが周りには高い建物は少なく、ベランダから東京タワーが見えた。東京タワーは午前0時ちょうどに消灯する。島耕作の演出で彼女の誕生日にケーキを用意し、ロウソクが一本足りないのを東京タワーでカバーするというものがある。0時になった瞬間にフッと消すとまとめて火が消える粋な演出だが、シェアハウスメンバーの誕生日でこれを真似た。

だらけた生活はしたくないというモットーがあり、リビングにはゲームやコタツは置かれず、広い空間にあったのはテレビと1人掛けのソファ、ダイニングテーブル、そして壁一面の本棚。本棚には各自が持ち寄った本が並べられ、重複するものは捨てられた。同じ本が何冊も並ぶと美しくないという理由だったが、シェアハウス解散時に誰がその一冊を持っていくかで揉めた。この共有本棚はなかなか楽しく、自分なら買わないような本を何冊も読んだ。メンバーの一人が海外で買ってきたエヴァのイラストが飾られていて、そのペイントの仕方がカッコよかったと今でも思い出す。

働き方改革より少し前、自分以外の5人は猛烈に働く会社に勤めていたので平日はあまり顔を合わせなかった。ホワイト企業で働く自分は18時頃には帰宅し、一人分の料理を作って食べ、プログラミングを勉強してよく寝落ちしていた。ほとんどのメンバーは朝に顔をあわせることになるが、一番ハードワークをしていたメンバーは朝起きるとすでに家を出ていて姿を見ることがなく、休日しか存在を認識しなかった。

家が広いというのもあってそこそこ来客もあり、人の出入りがあるのは自分的には心地が良かった。今なら麻雀卓やSwitch、ロボット掃除機あたりを置くと思うが当時はもっと欲望にシビアだった。発表練習を夜中までリビングでやったり、家事にポイントを振って分け合ったり、皇居に一緒にランニングに行ったり。今では虎ノ門ヒルズや麻布台ヒルズが立ち並ぶスポットになったが、自分の中ではオフィスビルに挟まれた小さな洋食屋のイメージが神谷町だ。